休息
「尾崎。雛の顔色が優れぬ。わしが無理に昼から休むよう伝えた。……あ奴は放っておくと、どこまでも無理を重ねるからな。あとは頼むぞ」
去り際の隆元様の声は、どこか自分を責めるような響きがあった。
私は一礼し、早まる鼓動を抑えながら、雫の——雛の部屋へと急いだ。
床上げから少しずつ動き出してはいたものの、やはりあの「死の淵」からの半年。心臓が一度止まったという事実は、そう簡単に消えるものではない。
襖をそっと開けると、部屋は静まり返っていた。
「……雫様?」
声をかけても、返事はない。
装束を着替える間もなかったのか、彼女はいつもの小姓装束のまま、布団の上に横たわり、ぐったりと目を閉じていた。
その顔色は、まるで雪を塗り込んだように白く、呼吸は浅く、胸元の動きも危ういほどに小さい。
……ああ、雫。貴女という子は、どこまで……
誰かのために、あるいは自分の責任を果たすために、体が悲鳴を上げていることさえ無視してしまう。
私は彼女の傍らに跪き、冷たくなった指先をそっと握った。
「神仏から返していただいたばかりの体です。……あんなに、大事にすると言ったではありませんか」
私の小言にさえ気づかぬほど、彼女は深い眠りの底に落ちている。
私は彼女の装束の帯を解き、窮屈な重なりを緩めると、その上から厚手の布団を優しく掛け直した。
隆元様が、彼女の「危うさ」に気づいて休ませてくれたことに、心から感謝しながら。
「……今は、ただ眠りなさい。貴女が背負っている『歴史』も『重責』も、この私がしばらく預かっておきますから」
少し安心したように眠っている部屋を一度出る。
少し熱っぽかったので手ぬぐいと水桶を持っていくと、紡が布団の中に潜り込んでいた
「……あら」
手拭いと水桶を抱えたまま、私はその場で足を止めた。
つい先ほど、雫を一人静かに眠らせたはずの布団が、不自然に膨らんでいる。
そこから覗いていたのは、脱ぎ捨てられた小さな草履と、布団の端からひょっこりと飛び出した、紡姫の柔らかな後ろ髪だった。
「姫……、雛は今、お休み中ですよ」
私が声を潜めて近づくと、布団の中から「しーっ」という小さな声が返ってきた。
紡姫は、ぐったりと眠る雫の腕に自分の小さな体をぴったりと寄せ、その細い首元に顔を埋めるようにして丸まっていた。
「……ひな、いたいいたい、してたから。つむぎが、あっためてあげるの」
紡姫の小さな手は、雫の冷たくなっていた手のひらを一生懸命に握りしめている。
見れば、雫の蒼白だった頬が、紡姫の放つ純粋な体温によって、ほんのりと桃色に染まり始めていた。
神仏から返してもらったばかりの、あまりに脆い雫の命を、この幼い姫が自分の温もりでこの世に繋ぎ止めようとしている……。
「……そうですね。貴女が一番の、お薬かもしれません」
私は込み上げる熱いものを飲み込み、持ってきた手拭いを水桶に浸した。
絞った手拭いを雫の額に当てようと手を伸ばしたとき、眠っているはずの雫が、ふっと小さく吐息を漏らし、無意識に紡姫を抱き寄せるように腕を動かした。
その口元に、微かな、本当に微かな安らぎの微笑みが浮かぶ。
「……ははうえさま、ひな、わらってる?」
「ええ。きっと、姫の魔法が効いたのでしょう」
私は、二人の上にさらに一枚、羽織をそっと掛け直した。
尼子との戦乱がすぐそこまで迫り、誰もが明日をも知れぬ恐怖の中にいる。
けれど、この布団の中にある、二つの重なった鼓動だけは、何があっても守り抜かなければならない。
私は水桶を傍らに置き、二人の寝顔を見守りながら、この静かな時間を神仏に感謝した。
雫が背負う歴史の重みも、いつかこの子が知るであろう戦乱の苦しみも、今、この温もりの中ではすべてが遠い夢のようだった。




