ただいま
窓の隙間から差し込む光が、埃を白く輝かせながら、雫の寝床を静かに照らしていた。
私の手は、何度も水桶に浸したせいで赤黒く腫れ上がり、指先はもう自分のものとは思えないほど感覚が鈍っている。けれど、雫の額に置いた手拭いから伝わる熱が、昨日までとは明らかに違う「穏やかさ」を帯びていることに、私は震えるような思いで気づいた。
「……あ、……」
ふっ、と。
ずっと虚空を泳いでいた雫の瞳が、力を持って動き、私の顔を捉えた。
「……おざき、さま……」
ひび割れた唇が、かすかに動く。
それは、熱に浮かされたうわ言ではない。私の姿を、私の存在を、はっきりと認識した瞳だった。
「……雫……! 分かりますか、雫。私ですよ、尾崎ですよ」
私はたまらず、彼女の冷たい手を握りしめた。
雫は、折れた肋骨をいたわるように小さく、けれど深い呼吸を一度つき、そして、泣き出しそうな私を見て、ふっと子供のように微笑んだのだ。
「……ただ、いま……。……おざきさま、……戻って、きました……」
「ただいま」——。
その一言が、私の胸の奥に、数日間溜め込んできた冷たい澱をすべて流し去るように響いた。
ああ、この子はあちら側から、自分の足で、私の呼び声に応えて戻ってきてくれたのだ。
その瞬間、糸が切れたように全身の力が抜けていくのを感じた。
「毛利の未来」も、「身代わりとしての責任」も、何一つ考えられない。
ただ、目の前にいるこの子が生きている。その事実だけが、泥のように重い安堵となって私を押し潰した。
「……おかえりなさい、……雫。……よく、よく戻ってきてくれました……」
私は、雫の手を握ったまま、彼女の枕元に崩れ落ちるように額を預けた。
嗚咽さえ出ない。ただ、どっと押し寄せる疲労と、温かな安心感に身を任せ、私は数日ぶりに、雫の規則正しい呼吸の音を聞きながら、深い、深い微睡の中へと沈んでいった。




