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鼓星  作者: 吉川元景
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毛利輝元誕生

「おめでとうございます! 男子の御誕生にございます!」

産婆の歓喜の声が、産屋の重い空気を切り裂いた。

だが、私の視界にあるのは、毛利の未来などではない。

今しがた、すべての命を使い果たしたように、シーツへと沈み込んでいく一人の少女——雫の姿だ。

「……あ、……ぁ……」

雫の瞳から、急速に光が失われていく。

前回ほどでは無いが血は止まらず、浅く速かった呼吸は、不自然な間隔を開け始めた。

手首に触れる脈は、早鐘のように打ち鳴らされていたかと思えば、ふっと指先から逃げるように消えていく。

「……雫? 雫、目を開けなさい!」

私が叫んだ瞬間、彼女の体が一度大きく跳ね、そして、嘘のように動かなくなった。

顎が力なく落ち、胸の上下が止まる。

静寂。

「命の糸がぷつりと切れる音」が、私の耳の奥で鳴り響いた。

「……お、尾崎様……もう、魂が抜けられました。これ以上は、仏罰が……」

産婆たちが、震えながら手を引く。

だが、私の胸に湧き上がったのは、祈りなどではない。激しい「怒り」だった。

誰が死なせていいと言った。誰が、この子を連れて行っていいと言った!

「黙りなさい! どきなさいッ!!」

私は産婆を突き飛ばし、雫の横に膝をついた。

さらしを外した彼女の胸元は、あまりにも薄く、頼りない。

私は、自分の両手を重ね、その胸の真ん中に置いた。

今の私も、神仏ですら敵だった。

「戻りなさい! 雫! 戻ってきなさい!!」

私は、自分の体重のすべてを乗せて、雫の胸を突き上げるように押した。

昔貴方から「心臓が止まったばかりの時はこうやってやると復活することがあるんですよー」と教わったことだった。

バキ、と鈍い音が掌に伝わる。あばらが折れたのかもしれない。けれど、そんなことはどうでもよかった。

止まったのなら、私の手で動かす。

この子が流した血の分だけ、私の命を押し込む。

「一、二、三……! 起きなさい、雫!!」

産婆の震えて止めようとする声が死に物狂いで彼女の胸を押し続ける私の孤独を、いっそう狂わせる。

雫の体は、冷たい人形のように私の下で揺れるだけだ。

産婆たちは、狂った私を見て、啜り泣きながら経を唱え始めた。

「……死なせない。……貴女を、絶対に死なせない……!」

私は、雫の青白い唇に自分の唇を重ね、祈りとともに、ありったけの息を吹き込んだ。

肺よ、膨らみなさい。心臓よ、私の叫びに応えなさい!

十数回目か、あるいは百回目か。

私の掌の下で、ぐにり、と、肉の動く感覚があった。

「……っ……、……ぁ、……ふ、ぅ……っ!!」

雫の胸が、激しくひきつるように跳ね上がった。

閉ざされていた肺が、無理やり外気を取り込み、喉の奥からヒュウ……と、掠れた音が漏れる。

「……雫……?」

虚ろだった彼女の瞳に、微かな、本当に微かな光が戻る。

心臓が、泥濘ぬかるみから這い上がるような、重く苦しい鼓動を再開させた。

「……おざ、き……さま……」

消え入りそうな声。

私は、力が抜けていく自分の指先を見つめ、それから、再び脈を打ち始めた彼女の胸に、顔を埋めて泣き崩れた。

理屈も神仏もすべてなぎ倒して、地獄の縁からもう一人の女を引き摺り戻したのだった。

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