罪を背負う-尾崎局目線
尾崎目線だよ
行灯の炎が爆ぜ、畳の上に落ちる影が微かに揺れた。
隆元様は、込み上げる情をその背に隠し、主君としての職務を果たすため広間へと戻られた。去り際、私の肩に置かれた隆元様の手の震え……。それは、主君としての決断ではなく、一人の男としての、血を吐くような悲鳴に思えた。
薬師が残していった言葉は、今も私の耳の奥で、毒のようにじわじわと染み渡っている。
『次は、助かりませぬ。……産み落とすと同時に、命火は完全に消えましょう』
……そんな、そんなことがあっていいはずがありません。
一度は死の淵を彷徨ったこの子が。私の身代わりとして子を成してくれたこの子が。よく笑いよく話し私を大内からの嫁ではなく1人の人間として扱ってくれたこの子が。産んだ子(少輔四郎や紡)を自分の子として育てられなくても優しく見守るこの子が。ここで生きていくために一生懸命なこの子が。
ようやく、少しずつ笑えるようになって、墨の匂いに包まれて筆を動かす日常を手に入れたというのに。
私は、雫の細い、墨で汚れた指先を、濡れ布巾でそっと拭った。
冷たい。夏の盛りだというのに、この子の指先は、まるで冬の雪をそのまま閉じ込めたかのように、血の気が引いている。
雫……。貴女が、私や殿(隆元)の孤独を救ってくれた。……けれど、その報いが、死だなんて……。私が願い縋ったために。
その時、雫の長い睫毛が微かに震えた。
私は咄嗟に、大内の養女として、毛利家の当主の妻として、何重もの仮面を被り直した。
鏡の前で幾度も繰り返してきた、一点の曇りもない、気高くも慈しみ深い微笑み。
「……尾崎、様……」
弱々しい声が、静寂を破った。
雫がゆっくりと、濁った瞳を私に向ける。その瞳に、私の「嘘」が映り込んでいるようで、胸が張り裂けそうになった。
「……気がつきましたか、雫。……無理をさせてしまいましたね」
「……あ、……はい。尾崎様……打ち合わせ通り、に……。」
雫が、消え入りそうな声で、自分のお腹に手を当てた。
そう、これは「作戦」だった。
雫が男の小姓としてここに在り続けるために。殿の世継ぎを、私が産んだことにするために。
私たちは何度も話し合い、この「身代わり」の筋書きを練り上げてきた。
雫も、自分が「殿の厄を引き受ける依代」を演じることを、誇りを持って受け入れてくれていた。
けれど。
……この子が知らないことが、一つだけある。
「……ええ。……おめでとう、雫。……貴女は、また宝を授かりました。本当にありがとう。」
私は、彼女の手を上から包み込んだ。
「死ぬかもしれない」という薬師の宣告は、私の心の奥底、誰にも触れられぬ場所に埋めた。この子には、一瞬たりとも死の影を感じさせてはならない。それが、この子の命を削って毛利を繋ごうとする、私の、せめてもの贖罪。
「……今日からは、予定通り、貴女は『殿の厄を一身に受けている小姓』として、この奥で静かに過ごすのです。……表向きには、私が懐妊したことにいたしました。……分かりますね?」
「……はい。……分かって、おります……。私が、役に……。」
雫は、私の言葉を、私たちの「作戦」が成功した証として、安心したように微笑んだ。
その純粋な微笑みが、今の私には、どんな刃よりも鋭く胸に突き刺さる。
貴女は、自分が守る側だと思っている。けれど、その守ろうとしているもののために、貴女自身の命が尽きようとしていることを、私は……。
ああ、神仏よ。どうか、この子を連れて行かないで。……もし、誰かの命が必要だというのなら、代わりになれない私を、いっそ……。
けれど、私の口から出たのは、あくまでも凛とした、主母としての言葉だった。
「……さあ、もう一度おやすみなさい。……殿も、赤川殿たちも、貴女が『厄』と戦っていると信じて、外で奮闘しておられますよ。……貴女は一人ではありません。」
雫が、安堵したように再び目を閉じる。
その穏やかな寝顔を見つめながら、私は握りしめた拳を、爪が食い込むほどに強く突き立てた。
窓の外では、夏の虫が狂ったように鳴いている。
この「優しい嘘」が、いつか血の色に染まる日が来ることを。
そしてその時、私は、真っ白になってしまったこの子を抱いて、正気を保っていられるのだろうか。
行灯の火を少しだけ落とし、私は暗闇の中で、ただ一人、決して零してはならぬ涙を、静かに飲み込んだ。




