罪を背負う
行灯の炎が爆ぜる音さえ、今の儂には耳障りな警鐘のように聞こえた。
広間から運び込んだ雫を寝かせ、その傍らで薬師の言葉を待つ。だが、老薬師の口から漏れたのは、吉報などではなく、逃れようのない「地獄の図図」であった。
「……申し上げます。……雛殿の脈は、今、二つの命が食らい合っております。……本来、去年のあの大出血から、お体は半分も戻っておりませぬ。……血を蓄えるべき器が、底の抜けた桶のようになっておられるのです」
薬師の震える声が、儂の鼓膜を汚していく。
雫の、あの細すぎる手首。まるで枯れ枝のように脆いそれを、薬師は絶望の象徴として扱っていた。
「……このままでは、冬を越せますまい。……子が育てば育つほど、雛殿の心臓は悲鳴を上げ、血は枯れ果てます。……もし、産月に辿り着いたとしても……次は、助かりませぬ。……間違いなく、出血は去年の比ではございませぬ。……産み落とすと同時に、雛殿の命の灯火は……完全に、消えましょう」
儂の指先が、無意識に手元の扇を握りしめていた。
パキリ、と。乾いた音が響き、扇の骨が折れる。だが、その痛みさえ感じない。
薬師は残酷にも、その「死」に至るまでの過程を詳しく語り始めた。
これから冬に向かい、腹の子が育つにつれ、雫の心臓は無理な拍動を続け……やがて肺に水が溜まり、横になることさえ叶わぬほどに喘ぐようになるのだという。
生きたまま、自分の体の中で溺れる。その凄まじい苦しみを想像し、儂の視界は真っ赤に染まった。
「……っ、助ける手立てはないのか! 薬を、明からでも取り寄せよ!」
叫んでいた。だが、薬師の返答は冷酷なまでに静かだった。
血を増やす薬はあれど、失われる速さに追いつかぬ。雫が生きれば子が死に、子が育てば雫が死ぬ。
それは、どちらかを選べという「命の天秤」などではなく、どちらを選んでも何かが死ぬという、救いようのない詰みの一手だった。
隣で、尾崎が声もなく震えている。
大内の姫としての矜持をかなぐり捨て、ただの一人の女子として、妹のように慈しんできた雫の「死」を突きつけられ、絶望に身を震わせている。
儂は、その震える肩を抱き寄せた。だが、その温もりさえ、今はひどく虚しい。
「……殿。……今ならば。……今ならば、薬で……。腹の子を、諦めるという道も……」
薬師が口にした禁忌の言葉。
……それをすれば、雫は助かるのか?
一瞬、心が揺らいだ。だが、儂は静かに首を振った。
雫は……あの五月の夜。儂の孤独を、儂の弱さをすべて受け入れ、命を削ってでも儂のそばにいると決めたのだ。
あの子のその凄まじい「覚悟」を、儂の都合で、儂の恐怖で否定することなどできぬ。
すまぬ、雫。儂は、お主を殺す道を選ぼうとしている……。
儂は、雫の、墨で汚れたままの手に自分の手を重ねた。
冷たい。
まるでもう、命の半分がこの世から引き剥がされているかのような冷たさだ。
「……尾崎。……覚悟を決めよ。……我らは、あの子を殺しながら、毛利の未来を産ませるのだ。……この罪は、儂と、お主で背負う」
自分の声ではないような、枯れた声。
尾崎が涙を流しながら頷く。その瞬間、儂たちはもはや救われることのない罪人となった。
愛する雫を、毛利という怪物のために生贄に捧げる、残酷な者たちだ。
窓の外では、夏の虫たちが狂ったように鳴き、短い命を謳歌している。
その輝かしい生の咆哮が、この死の匂い満ちる奥の間を、あざ笑うかのように鮮明に照らし出していた。
死なせたくない。……けれど、お主の覚悟を、儂が汚すわけにはいかぬのだ……。雫、許してくれ……。
雫の墨の匂いが、鼻の奥を突く。
それは、死への道標となる、この上なく愛おしく、そして呪わしい匂いだった。




