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鼓星  作者: 吉川元景
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ふたつき後の話-雫目線

視界の端が、ちりちりと焼けるように白んでいく。

耳の奥では、心臓が早鐘のように打ち鳴らされていた。ドクン、ドクンと、自分の脈動がうるさくて、赤川殿の地響きのような声さえ遠くの雷鳴みたいに聞こえる。

……書かなきゃ。あと、少し……尼子の動き、兵糧の道……。

墨を摺る手が、自分のものじゃないみたいに震えている。

空を切るように力が入らない。

現代人の私の「常識」が、脳のどこかで警報を鳴らしていた。

『これは、ただの貧血じゃない。もう限界だよ。倒れるよ』って。

でも、止まれなかった。

隣に座る隆元様の横顔が、あまりに険しくて、あまりに孤独に見えたから。

元就様も元春様も、隆景様もいないこの安芸で、たった一人で家を守ろうとしているこの人を、少しでも支えたかった。

「雫……? 雫、もうよい。後は儂が書く。…下がれ」

隆元様の声。いつもより低くて、突き放すような優しさ。

顔を上げようとしたけれど、首の骨が消失したみたいに力が入らない。

あれ?なんで…。

視界が、ぐにゃりと歪んだ。

「……っ、いえ……あと、少し……書かねば……」

書かなきゃ、私がここにいる意味が、なくなっちゃう……。私が出来ることがあるならしたい。もっと役に…っ。

「雫!」

その叫び声と同時に、手から筆が滑り落ちた。

あ、汚しちゃった……。そう思った瞬間、世界が真っ逆さまに落ちていく。

冷たい畳にぶつかる、と思った。

けれど、私を包み込んだのは、温かくて、泣き出しそうなほど震えている隆元様の腕だった。

「――っ!」

……暗い。

墨で塗りつぶされたように視界には何も見えない。ただ、墨の匂いだけが鼻を突く。

遠くで、国司殿が泣きそうな声を出しているのが聞こえる。

無口な粟屋殿が、私の汚した筆を拾ってくれている気配がする。

赤川殿が、何かを堪えるように畳を叩く音が響く。

みんな、ごめんなさい。

私、また、みんなに心配をかけて……。

――その時だった。

奈落の底に落ちていくような意識の闇の中で、お腹の奥が、ふっと熱くなった。

去年のあの夜。雪の中に消えてしまいそうだった、あの絶望的な冷たさとは違う。

私の血を食らって、私の命を削って、無理やり心臓を動かそうとする、傲慢なまでの「生」の熱。

ああ、そっか。ちゃんと毛利輝元がここに…。

私の知識が、残酷な答えを導き出す。

この動悸も、この冷えも、この吐き気も。

全部、身体が「次の歴史」を作ろうとしている証拠なんだ。

「……ぁ……」

声にならない吐息が漏れる。

隆元様に抱き上げられ、揺られている感覚の中で、私はただ、墨で汚れた自分の指先を思った。

この手で、また一人、歴史に名を残す誰かを産む。

その代償として、私の命はまた少し、この時代に削り取られていく。

良かったはずなのに…。

助けて、隆元様。怖い。そう思ってしまうのはきっと私が弱いせいだ。

でも、彼の胸板から伝わってくる、必死な鼓動が。

「死なせぬ」と誓うような、強い腕の力が。

私の恐怖を、少しだけ、深い眠りの中へと沈めてくれた。

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