自傷行為
乾いた、けれど重く沈み込むようなその声。
私の脳裏には、かつて「彼氏と別れたから」という理由で腕を切ったクラスメイトの姿が過る。
あの時の自分は、それを「自分勝手な弱さ」だと、どこか遠くから眺めていた。
けれど、今の目の前の人は違う。
尾崎様は、誰かを振り向かせたいわけでも、気を引きたいわけでもない。
ただ、自分がこの毛利という家の一部として、存在することを許されたいだけなのだ。
もし子が産めなければ、彼女の居場所は、彼女の誇りは、そして彼女の「命」すらも、この乱世の理に消し去られてしまう。
自傷……なんて、言葉じゃ足りない。これは、この人の戦いだったんだ。
私の指先が、その赤黒い痕をなぞろうとして、震える。
尾崎様の「代わりに」という言葉は、本来なら怒りを感じるべき提案のはず。なのに、私が感じたのは、そんな汚い感情ではなかった。
そのあまりに歪で、純粋すぎる願いを、誰が否定できるだろうか。
「……尾崎、さま……」
名前を呼び尾崎様を見つめた。
それは、尾崎様への同情でも、自分の将来への不安でもない。
ただ、一人の人間が、これほどまでに自分を追い詰め、そして自分を信じてその「代わり」を求めてきたことへの、震えるような衝撃だった。
「(少輔)四郎と紡を産んだ際、貴方は血を流し死にかけた。そんな貴方に何度も命をかけ跡取りを産んでくれと頼むは酷だとは分かっております。」
服を着直しながらそう続ける尾崎様を黙って見つめ続けるしか無かった私に尾崎様は
「でもこのまま跡取りがいないわけにはいかないのです。側室を娶るように隆元様に伝えても隆元様は『焦らなくてもそのうち子は出来る』と言っておりました。でも私の胎には子が出来ないのです。こんな体では毛利家の……殿の役にすら立てないのです。」
そんなことない。子ができなくても奥向きの仕切りをして、山口での話を出来るあなたの存在は役に立っている。そう言いたいけど、戦国時代の女性が求められることは『子を産むこと』なのだ。
腰を抜かしてしまっている私の頬を両手で包み込むと、見たことの無い泣きそうな顔で
「このままでは、私は『毛利の女』ではいられなくなる。……山口を失い、子も成せぬ女など、殿の傍にいる資格はない。……いずれ、離縁を言い渡されるでしょう。それは、私にとって死よりも恐ろしいこと。そして殿は……隆元様は、優しいお方です。だからこそ、私に気を遣い、一人で寂しさに耐えておいでです。……だけど、今毛利には未来が必要です。雫様、貴女なら……殿が唯一、心から愛しみ、触れることを許した貴女なら、私の代わりに、殿の孤独を埋めてあげられる。
私たちのためにその命を使ってくれませんか。」
セックスは嫌いだ。気持ち悪いと今でも思う。そんなことしなくても人と人は分かり合えるし愛し合えると思う。
だけどそれは未来の話で、戦国時代ではそれは通用しない。
そして双子を産んだ時の事も思い出す。体から熱が抜けて意識が遠のいた。自分はこのまま死ぬのだと分かった。あの恐怖は時折夢に見るほど深く刻まれている。
でも尾崎局が本当に子供ができないなら、そろそろ生まれるはずの毛利輝元が生まれない未来が来てしまう。
穂井田元清の時と同じだ。
きっとこれは私が戦国時代で修正すべきポイントなのだろう。
未来のため、毛利のため。
そして目の前で苦しむ貴方と隆元様のため。
「…………分かりました。」
私はその一言だけ返した。
尾崎様は表情を緩ませた。でもその表情は安堵以外にも悲しさや少しの羨望の色を交えたものに見えた。




