厳島の戦い―赤川と雫
吉田郡山への帰還が決まった日の朝。
荷物をまとめ、天幕の外へ出ると、そこにはいつものように少し気難しそうな顔で海を見つめる赤川殿の姿があった。
「……赤川殿」
私が声をかけると、赤川殿はゆっくりとこちらを振り向いた。厳島の荒波を越えてきたその顔には、隠しきれない疲れと共に、どこか晴れやかな色が混じっている。
「……戻るそうだな、雫。体調も優れない中、あの雨の戦場での働き見事であったと聞いているぞ。体調はどうだ?」
「はい。大丈夫です。
隆元様から、尾崎局様へのお使いを頼まれ、一足先に吉田郡山へ戻ります。……それと、身体を休めろ、とも」
俯きながらそう言うと、赤川殿は「ふん」と鼻で笑った。でも、その笑い声は以前のような冷たさはなくて、なんだか陽だまりのように温かかった。
「殿も案外、甘いお方だ。……だが、此度の殿を守るあの働き、そして隆景様を救い出したお主の執念や未来視には、正直驚かされたぞ。私が鍛えた甲斐があったというものだ。」
「赤川殿……。私、あそこで赤川殿が隆元様に掛け合ってくださらなかったら、そして景様を助けて下さらなかったら、今頃きっと後悔して死んでいたと思います。……本当に、ありがとうございました」
私が深く頭を下げると、赤川殿は少し困ったように頭を掻いた。
「よせ。私はただ、お主の『目』に賭けただけだ。……小姓が主君を守るのは当然のこと。礼などいらぬ」
そう言いながら、赤川殿は私の隣に立ち、同じ海を見据えた。
「雫。お主は強くなった。……だが、強すぎる刃は、時に自らを削る。吉田郡山に戻ったら、まずはその研ぎ澄まされすぎた心を休ませろ。……殿の御側には、この赤川がしっかり付いている。安心せよ」
「……はい!」
厳しい言葉の裏にある、不器用な優しさ。
赤川殿がいなければ、私は今ここに笑っていられなかった。
「赤川殿も、お怪我のないように。……隆元様を、よろしくお願いします」
「ああ。吉田郡山に戻ったら酒宴の席で聞いてもらえなんだ儂の話も聞いてもらわねばならないでな。……さあ、行け。船が出るぞ」
背中をぽん、と軽く叩かれる。その手のひらの厚みが、今の私には何より心強かった。
私はもう一度深く一礼して、郡山へと続く船へと走り出した。




