表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鼓星  作者: 吉川元景
120/134

厳島の戦い―血の味

陶軍の残党を西の入り江まで追い詰め、私たちは大元神社の境内に仮の陣を敷いた。

雨上がりの湿った空気が、重く肌にまとわりつく。

配下たちが手際よく、竹の皮に包まれた握り飯を配っていく。

「雫殿! お主、その折れそうな身体で、よくぞそんな動きができるものよ!」

国司が、明るい声で雫の肩を叩く。雫は少しはにかんだように、誇らしげに彼と話していた。その姿を見て、私は少しだけ胸をなでおろしていたのだ。彼女がまだ「こちら側」に留まっている、と。

雫は、甲冑についた返り血を無造作に拭うと、いつも通り私の前に膝をつき、自分の分の握り飯を手に取った。

「雫。少しは休め。……食べられるか?」

「はい。……お気遣いなく。お腹、空きました」

彼女は無理に口角を上げて、平気なフリをして見せた。

だが、受け取った指先は、隠しようもなく小さく震えている。

彼女は「小姓」として、他の家臣たちの前で弱みを見せるわけにはいかないと、その幼い心で自分を律しているのだ。

雫は、冷え切って硬くなった握り飯を一口、大きく口に含んだ。

咀嚼し、飲み込もうとする。

……だが、その瞬間に彼女の動きが止まった。

「……雫?」

彼女の顔から、さっと血の気が引いていく。

彼女は口元を必死に押さえ、天幕の影へ駆け出すと、激しくえずいた。

「……げほっ、……ぅ、ぁ……っ!!」

胃の中には何もないはずなのに、何度も何度も、突き上げるような嘔吐感に襲われている。

私が背中をさすろうと伸ばした手を、彼女は拒絶するように振り払った。

「……来ないで、ください……っ。……いま、口の中が……っ」

彼女は涙を流しながら、地面に突っ伏した。

「……味が、しないんです。ただの、冷えた米のはずなのに、噛めば噛むほど、口の中に鉄の味が広がって……。……さっき斬った男の、あの生暖かい血を……飲んでいるような、感覚に……っ」

彼女は自分の喉を掻きむしるようにして、嗚咽を漏らす。

戦場の高揚感が消え、静寂が訪れるたびに、彼女の五感は「犯した罪」を鮮明に再現してしまうのだ。

周囲に悟られないよう、声を殺して震える彼女の背中。

それは、どれほど武芸に秀でていようとも、中身はまだ争いを知らぬ時代の、心優しい平和な世から来た女の子であることを、残酷なまでに物語っていた。

「す、すみません。私、大丈夫ですから。……また、すぐ戻ります……」

立ち上がろうとする彼女を、私は強引に座らせた。

もう「小姓」としての体裁など、どうでもいい。

私は自分の水筒の水を彼女に含ませ、その顔を自分の胸に押し当てた。

「……もういい。平気なフリなどするな。……誰も見ていない。ここでは、私とお前だけだ」

私の胸元で、雫は声を殺して泣き続けた。

手に持ったままだった握り飯は、泥にまみれて転がっている。

この世で最も尊いはずの「生きるための糧」が、今の彼女にとっては、自分を責め立てる「毒」にしか感じられないのだ。

その夜、彼女が口にできたのは、私が無理やり飲ませたわずかな水だけだった

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ