不吉な予感
「……雫。お主、なぜ此度に限って、それほどまでに出陣を急ぐ」
動けず荒い呼吸を繰り返す雫を見下ろし、儂は思わず問いかけていた。
今までも毛利は幾多の危難を乗り越えてきた。だが、そのたびに雫は「城で殿の帰りを待つ身」であったはずだ。
「此度の厳島、確かに毛利の命運を懸けた大戦よ。だが、それは今までの戦も同じこと。……お主のその眼は、まるで……」
儂は言葉を飲み込んだ。
雫の瞳に宿っているのは、勝利を信じる武士の輝きではない。
「ここで私が何かをしなければ、取り返しのつかないことが起きる」という、切迫した、救いのない確信だ。
……この男には、何が見えている?
まるですべての結果を知っているかのような、あるいは「悲劇」が起こる場所をあらかじめ知っているかのような、底知れぬ気配。
赤川様の脳裏に、雫が「殿の厄を背負う者」だという噂がよぎる。
まさか、殿の『死』が見えているのか……?
もしそうなら、雫がこれほどまでに形振り構わず、自分の身体を壊してまで「牙」になろうとする理由も頷ける。
自分を犠牲にしてでも、歴史の歯車を無理やり捻じ曲げようとしているのだ。
「……雫。お主、もしや厳島で、殿に何かが起きると言うのではないな」
私の問いに、雫は下を向き答えない。
その沈黙こそが、何よりの肯定に思えて、私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「……よそう。お主が何を予感していようと、私がやるべきことは変わらぬ」
私は再び木刀を構えた。
もし雫の予感が「真実」であり、厳島に殿の命を刈り取る魔物が潜んでいるというのなら。
私は、この小さな「死神」を、その魔物を食い殺す「毛利の牙」に仕立て上げるしかない。
「今日はここまでだ。
だがお主に伝えておくことがある。
死ぬな、雫。……お主が死ねば、殿は勝っても、一生を闇の中で過ごすことになるぞ」
雫は、まだやれるという執念の火を灯しながら、力の入らない身体で地面に転がっていた。
その夜廊下を歩きながら月を見上げる。
最初は仕上がらなければ何がなんでも置いていこうと思った。
だが「……連れて行かぬわけにはいかなくなったな」そう月に向かって吐きつけた。




