浅はかさと必死さと
「……っ、はぁ、はぁっ……!」
汗が目に入り、視界が滲む。
私は何度も、あの加速を繰り返した。
重心を前方に投げ出し、赤川殿の意識の外側から懐へ潜り込む。これまでは、これで何度も彼の喉元を脅かせてきたはずだった。
けれど。
「……またその足捌きか。飽きたぞ、雫」
赤川殿の声は、先ほどまでの驚愕を失い、冷淡なまでの静けさを湛えていた。
私が踏み込む瞬間に合わせ、赤川殿は一歩も引かず、ただわずかに木刀の角度を変えた。
……えっ!?
入り口を塞がれた。
私が「ここだ」と思った隙間には、すでに鉄壁の守りが置かれている。
まるで、私の動きがスローモーションで彼に見えているかのように、先回りをされているのだ。
「お主の動きは確かに速い。だが、速いだけだ。……お主は、自分の身体が『どう動くか』を、自分以上に私が知っていることに気づいておらぬな」
赤川殿が木刀を軽く一閃する。
回避する間もなかった。私のこめかみを、木刀の風がかすめる。
私はすぐに赤川殿の懐深く、その喉元へ木刀を突き出そうとした。
だが、その瞬間。
「……甘い!」
赤川殿が、回避を捨てて「身体ごと」ぶつかってきた。
技術や型ではない。ただの肉の塊としての、圧倒的な質量攻撃。
「ぐっ、あ……!?」
正面から大型トラックに撥ねられたような衝撃。
「どこの知識だか何だか知らぬが、型とは、敵を欺くためにあるもの。……お主のそれは、ただの『癖』だ。一度見切れば、赤子の動きを止めるのと変わらぬ」
私は焦り、さらに加速しようとした。
けれど、焦れば焦るほど、私の体は「慣れ親しんだ合理的な動き」——つまり、決まりきったリズムを繰り返してしまう。
「そこだッ!」
赤川殿の怒号。
私が踏み込むはずの場所に、赤川殿の巨大な掌が突き出された。
「ぐふっ……!?」
間合いに入るどころか、自分から赤川殿の手に腹部を突っ込んだ形になった。
鼻を突く泥の匂い。
そのまま首根っこを掴まれ、逃げる間もなく地面に叩きつけられる。
「あ、……か、はっ……!」
「……雫。お主は、速さに溺れておる。……お主の動きは美しいが、そこには『迷い』がない。迷いがないということは、敵にとってこれほど読みやすいものはないのだ」
赤川殿が、倒れた私の腹部を、木刀の先で容赦なく突いた。
「このまま厳島へ行けば、お主は最初の半刻で首を撥ねられる。……殿の盾になるどころか、殿の目の前で無様に散るだけだ。それが、お主の望む小姓の姿か?」
「……っ、……ちが、う……!」
私は泥を噛みながら、震える手で地面を掻いた。
悔しい。自分の持っている「知識」や「経験」が、この時代の本物の「死線」の前では、ただの子供騙しでしかないという事実が。
腕が棒のように硬直して動かない。
「……それでも、……っ。……捕まらなければ、良いだけの話です」
「抜かせ! 立てもせぬ者が!」
赤川殿の声は厳しかったけれど、その瞳の奥には、今投げ飛ばした時の「あまりの頼りなさ」への困惑と、それゆえの恐怖が滲んでいた。
彼には分かってしまったのだ。
私は、鋭く研ぎ澄まされているけれど、一度でも強く叩かれれば、粉々に砕け散ってしまうほど脆いということが。
「立て。……読ませぬ動きを教える。……泥を舐め、型を捨て、ただ『殺す』ことだけを考えろ。……お主が『雫』である限り、私は何度でもお主を叩き潰すぞ」
赤川殿の影が、巨大な絶望のように私を覆う。
夜の練兵場で、私は自分の「浅はかさ」を思い知りながら、それでも立ち上がるしかなかった。




