【Side:高嶺澪】 光るペンダントと誓い
黒瀬ユウが行方不明になって、十三日目が経過していた。
高嶺澪は、朝食のテーブルで、パンを一口も食べていなかった。
隣に座った篠原由依が、そっと澪の皿に視線を落とした。
何も言わなかった。でも、その沈黙が澪には伝わった。
わかってる、と思った。食べなきゃいけないのは、わかってる。
それでも、喉が通らなかった。
◆
食後、神崎玲央が廊下で待っていた。
壁に背を預けて腕を組んでいる。いつもより目が落ちていた。
澪が近づくと、神崎は顔を上げた。
「……捜索の件、聞いたか」
「聞きました」
声が、自分でも驚くくらい平坦だった。
昨晩、シュナイダー騎士団長から説明があった。縦穴の深さが想定以上だった。降りられる状態にするには設備が必要で、工事には相当な期間がかかる。現状では続行できない。捜索の規模を縮小せざるを得ない——
神崎が、壁から体を起こした。
「俺が……もっと早く動いていれば」
低い声だった。
神崎玲央は、澪の前でそういうことを言う人間ではなかった。
だから、その言葉は——澪の胸に、ひどく重く落ちた。
「神崎くんのせいじゃないです」
「あの夜、混乱してた。俺が状況をもっと把握できていれば、黒瀬が穴の近くにいることに気づけたかもしれない」
神崎が、天井を見上げた。
「俺は、もっとできたはずなのに——できなかった」
澪は、何も言えなかった。
責めることも、慰めることも、できなかった。
◆
昼過ぎ、訓練場の外のベンチに座っていると、由依が隣に来て腰を下ろした。
しばらく、二人で黙っていた。
空は晴れていた。この世界の空は、日本より少し青みが濃い。黒瀬くんがそれを、いつか言っていた気がした。「なんか空が違う感じがする」と。誰に向けるでもなく、ぼんやりと。
「澪」
由依が、静かに言った。
「……うん」
「つらいのはわかる。私だって、黒瀬くんのこと……心配してる」
由依の声は、いつもより柔らかかった。
「でも。捜索が縮小されるって、それは——現実を見ないといけないっていうことで」
「見てる」
澪は、静かに言った。
「現実、ちゃんと見てる。わかってる。深すぎる穴に落ちて、十三日経って、捜索もできないって——そういう状況なのは、わかってる」
「澪……」
「でも」
由依が、息を飲む。
「まだ——わからないよ」
澪の声が、最後だけ、ほんの少し震えた。
わからない、というのは感情ではなかった。
信じたいという気持ちとも、違った。
何か——根拠のない、でも消えない確信みたいなものが、澪の胸の奥にずっとあった。
由依は、それ以上、何も言わなかった。
ただ、澪の隣に座り続けた。
その体温が、少しだけ、澪の冷えた横をあたためた。
◆
夜。
部屋に戻ってから、澪はベッドに座ったまま、長い時間動けなかった。
窓の外に月が出ていた。
この世界の月は、地球の月より少し大きい。満ちるとハッキリわかるほど、大きく輝く。
澪は胸元に手をやって、ペンダントを引き出した。
チェーンが絡まらないように指に巻いて、掌の中に収める。
冷たかった。
いつも、最初は冷たい。温もるまで、しばらくかかる。
「黒瀬くん……」
呟いた途端、目が熱くなった。
泣くつもりはなかった。
ここでは泣かないと決めていた。泣いたら、諦めることになる気がして。
でも、涙は——自分の意思とは関係なく、溢れてきた。
◆
いつから、というのはわからない。
気がついたら気になっていて、気がついたら目で追っていた。そういう感じだった。
黒瀬くんはどこか人に興味のないような感じがした。
クラスメイトと話すときは当たり障りのない会話をしていて、だから最初は落ち着きのある人なんだなと、ぼんやり思っていた。
でも、ちゃんと芯がある人だった。
黒瀬くんが教室の隅でライトノベルを読んでいた。可愛い女の子が表紙に描かれている本だった気がする。
榊くんたちがそれを見つけて、「黒瀬ってやっぱオタクだよな」と笑い始めた。悪意があるわけじゃないけど、少し見下した感じが混ざっていた。
黒瀬くんは本から目を上げて、榊くんたちを一瞬見た。それから言った。
「面白いよ、これ」
それだけだった。謝るでも、隠すでも、言い返すでもなく。ただ「面白い」と言って、また本に目を落とした。
榊くんたちはなんとなく拍子抜けして、笑いながら離れていった。
澪はその場面を少し離れたところから見ていた。
どうでもよさそうな顔で言えるのがすごいと思った。恥ずかしいとか、カッコ悪いとか、そういうことを全然気にしていない感じ。澪にはできない種類の強さだった。
そこから私は黒瀬くんの事が気になり、少しずつ話しかけるようになった。
私もミステリーや恋愛小説を読むから、ジャンルは違えど数少ない読書仲間になれるかなという淡い期待を込めて。
いつか本以外の話もするようになっていた。
文化祭の時、多くの人達に押されてミスコンに出ることになったとき、本当は運営をやりたかった。だれかをサポートして、その人が輝く瞬間を見る事が好きだから…。
何となく、黒瀬くんにミスコンに出場する話をしてみた。
「高嶺さんは運営の方が似合うと思うな。なんとなくだけど、いつも周りのみんなが活躍したり、評価されたりするとき、自分の事以上に嬉しそうだから」
黒瀬くんからは、みんなとは違う言葉が出てきた。
いつも私は周囲の人間に求められている人物像があったような気がしていた。私の勝手な思い込みかもしれない。
だけどその一言で、胸の中で何かが変わった気がした。すぐにその正体はわかった。
歴史の三上先生は、授業と関係ない話をしたがる先生だった。
趣味が鉄道で、ある日の授業終わりと昼休の境目にその話をし始めた。この路線が廃線になるとか、そういう話。
誰も聞いていなかった。みんな自分たちの話をしているか、スマホを見ているか、そそくさと教室を出ていくか。先生も途中からそれに気づいたのか、声が少しずつ小さくなっていった。
黒瀬くんだけが、手を止めて先生を見ていた。
「その路線って、今は乗れないんですか」
先生が、ぱっと顔を上げた。
それから二人でしばらく話していた。黒瀬くんは詳しいわけじゃないと思う。でも相槌を打ちながら、時々質問した。先生がだんだん嬉しそうになっていくのが、離れたところからでもわかった。
澪はその場面を見ながら、胸の中で何かがじわりとした。
一人でも、少しだけでも、自分の事を理解しようとしてくれる人がいる。それだけ充分だった。
◆
もっと話しかけておけばよかった。
なんとなくタイミングを掴めないまま、時間が過ぎていった。
そうして気がついたら異世界にいて、気がついたら黒瀬くんはいなくなっていた。
「会いたい」
声に出したら、涙が頬を伝った。
「もう一度、会いたい」
掌の中のペンダントを、両手で包み直した。
——その瞬間だった。
金属の感触が、温かくなった。
両手の隙間から、淡い光が漏れていた。やわらかくて、白に近いほのかな光。ペンダントが—光っている。
「……っ」
息が止まった。 手を開いた。
ペンダントが、静かに輝いていた。
シュナイダー騎士団長の言葉が、頭の中で響いた。
持つ者が、心から大切だと認めた相手が生きていると、淡く光る、と言われている。
手が震えた。
「心から大切だと認めた」——今まで、澪はそれを、ここまで意識したことがなかった。
でも、さっきたった今、「会いたい」と声に出した。
それは——認めることだった。 ただのクラスメイトじゃない。大切な、誰かだと。
「……そっか」
涙が、ぽたりと落ちた。
「私は、黒瀬くんのことが…」
言葉が続かなかった。
ペンダントを贈った人が「心から大切だと認めた相手」。
黒瀬くんが、このペンダントを自分に渡した。
「生きてる」
呟いたら、体の奥で何かが、かちりと固まった。
「生きてる——黒瀬くんは、生きてる!」
理屈じゃなくて、わかる。根拠も何もない、でも確信がある不思議な感覚。
◆
しばらく、澪はペンダントを見つめ続けた。
光はやがて、静かに消えた。
でも、その余韻が——掌の温もりとして残っていた。
澪は、涙を拭った。
もう一度、拭った。
だめだ、泣いてる場合じゃない。
泣くなら、会ってから泣けばいい。
まだ会えていないのだから。
「誰も信じてくれなくても」
澪は、静かに言った。
月明かりの窓に向かって。誰にでもなく。自分に向かって。
「私は信じる」
黒瀬くんは生きている。
穴の底のどこかで、今も生きている。
「強くなる。もっと強くなって——必ず、会いに行く」
ペンダントを胸に当てた。
光はもう消えていたけれど、金属はまだ温かかった。
待っててね、黒瀬くん。
澪だけが知っている——黒瀬ユウは、生きている。




