VS遺跡の主4
短剣が——弾かれた。
刃先は確かに核に触れた。赤い光に、届いた。
でも——浅かった。
鱗が閉じる力に押し返され、手首が捻られる。刃が、核の表面を滑って——外れた。
次の瞬間、衝撃が来た。
主の前足が、僕を薙ぎ払った。
◆
体が、宙を舞った。
壁に叩きつけられる。肺から空気が抜ける。視界が白く明滅した。
——痛くない。
《戦乙女の加護》が、痛みを消している。
でも、体が動かない。腕に力が入らない。立ち上がろうとして——膝が折れた。
主が、咆哮を上げた。
さっきまでとは違う。怒りに満ちた、地を揺るがす咆哮。
核を傷つけられた。それが——主を、本気にさせた。
主の動きが、変わった。
速い。さっきの比ではない。
四本の足が床を蹴る。巨体が、信じられない速度で迫ってくる。
僕は転がった。爪が、壁を抉る。石の破片が降り注ぐ。
立ち上がる暇もない。次の攻撃が来る。
尾だ。横薙ぎに振られる。
跳んだ。尾の上を越える。でも、着地した瞬間——
——顎が、開いていた。
牙の並んだ口が、目の前にあった。
「ユウ!」
銀色の影が、僕を突き飛ばした。
ヒルデだ。
牙が、空を噛む。ヒルデの髪が、数本——切れて舞った。
間一髪だった。
距離を取った。
ヒルデと並んで、主と対峙する。
彼女の息が、荒い。弱体化した体で、限界に近い動きをしている。
「……浅かったな」
ヒルデが言った。
「核に届いたが、砕くには至らなかった」
「わかってる」
僕は短剣を握り直した。
手が——震えていない。
恐怖がないからだ。普通なら、今の攻撃で心が折れている。何度も殺されかけた。体はボロボロだ。
でも——頭が、冷えている。
考えられる。まだ、考えられる。
主が、こちらを睨んでいた。
赤い目が、怒りで燃えている。胸の傷から、黒い血が流れている。
でも——致命傷ではない。核は、まだ無事だ。
「もう一度、同じことをやっても——通じない」
ヒルデが言った。
「咆哮の瞬間を狙うと知られた。次は、そう簡単に吠えない」
「……じゃあ、どうする」
「考えろ」
ヒルデの金色の瞳が、僕を見た。
「お前の《記録》は、何を刻んだ。今まで見たもの、感じたもの。その中に——答えがある」
◆
主が、ゆっくりと近づいてくる。
時間がない。考える時間が——
——待て。
《記録》を、遡った。
この戦いが始まってから、刻んできたすべて。
主の動き。攻撃のパターン。体の変化。
そして——核を狙った瞬間。
あの時、何が起きた。
胸の鱗が開いた。核が露出した。短剣を突き刺した。
でも——弾かれた。
なぜだ。
——鱗が、閉じたからだ。
咆哮が終わった瞬間、鱗が閉じ始めた。その力に押し返された。
つまり——咆哮の一瞬では、足りない。
もっと長く。もっと確実に。核が露出している時間を——引き延ばす必要がある。
主が、跳んだ。
僕とヒルデは、左右に分かれた。爪が、中央の床を砕く。
距離を取りながら、考え続ける。
核が露出するのは、咆哮の瞬間だけか。
《記録》を、さらに遡った。
戦闘の最初。主が動き出した瞬間。攻撃を繰り出す時。
どの瞬間も——鱗は閉じていた。
胸を守るように、隙間なく覆っている。
開くのは——咆哮の時だけ。
いや——違う。
もう一つ、あった。
第一形態から第二形態に変わった瞬間。
あの時、主の体は——変形していた。
全身の鱗が波打ち、背中の突起が伸び、筋肉が膨張し——
胸の鱗も、開いていた。
核が——光っていた。
形態変化の瞬間。体を作り変える時。その間、核は——露出している。
「ヒルデ」
僕は叫んだ。
「形態変化の時——核が開く」
「何?」
「第二形態になった時、胸の鱗が開いていた。変化の間、核は——無防備だ」
ヒルデの目が、わずかに見開かれた。
「……なるほど。それなら——狙える」
◆
だが——問題がある。
主は、すでに第二形態だ。これ以上の形態変化が——あるのか。
《記録》を、探った。
この遺跡の主。古い存在。ヒルデの言葉が、頭を過ぎる。
『古い存在には、核がある』
核は——生命の源。それを守るために、体がある。鱗がある。
でも、核を傷つけられた時——
——守りを、強化しようとするはずだ。
体を変える。もっと硬く。もっと強く。
つまり——第三形態。
核が傷ついたから、さらなる変化が起きる可能性がある。
「ヒルデ」
「何だ」
「核を——もう一度傷つける。そうすれば、形態変化が起きるかもしれない」
「……危険な賭けだな」
「でも、それしかない」
ヒルデが、僕を見た。
厳しい目。でも——否定はしなかった。
「いいだろう。やってみろ」
主が、動いた。
今度は尾からだ。横薙ぎではなく、叩きつけ。上から振り下ろされる。
僕は横に跳んだ。尾が床を砕く。衝撃で体が浮く。
着地して、主の横に回り込んだ。
横腹が見える。さっき傷をつけた場所。鱗の隙間。
——狙う。
短剣を構えて、踏み込んだ。
主が反応した。前足が振られる。でも——遅い。横腹を守ろうとして、動きが大きくなっている。
その隙に——刺した。
鱗の隙間に、刃を差し込む。深く。奥まで。
黒い血が、噴き出した。
主が、絶叫した。
咆哮ではない。苦痛の叫び。
体が——痙攣した。
僕は短剣を引き抜いて、後ろに跳んだ。
主の体が——変化し始めた。
鱗が波打っている。筋肉が膨張している。背中の突起が、さらに伸びている。
——来る。
第三形態への変化。
僕は、主の胸を見た。
鱗が——開いていた。
赤い光が、露出している。核が——見えている。
——今だ。
走った。
全力で。主に向かって。
変化の途中。体が不安定な状態。反撃は——来ない。
核が——目の前にある。
赤く脈打つ光。生命の源。
短剣を——構えた。
これで、終わらせる。
踏み込んで——
——足が、止まった。
変化が——終わっていた。
主の体が、完全に変わっていた。
第三形態。
さっきより——大きい。鱗が——厚い。そして——
胸の鱗が、閉じていた。
◆
間に合わなかった。
変化の時間が——短すぎた。
第二形態への変化より、ずっと速かった。
僕は急いで後ろに跳んだ。
第三形態の主が——動いた。
速い。第二形態より——さらに速い。
爪が迫る。避けられない——
「ユウ!」
ヒルデが割り込んだ。両腕で爪を受け止め——弾き返した。
でも、その反動で——ヒルデの体が、吹き飛んだ。
壁に叩きつけられる。崩れ落ちる。
「ヒルデ!」
彼女は——動かなかった。
気を失っている。いや——息はある。でも、これ以上は——動けない。
僕は、一人になった。
第三形態の主と——一対一だ。
恐怖は——ない。
《戦乙女の加護》が、すべてを消している。
心臓が暴れている。肺が悲鳴を上げている。体中が痛いはずだ。
でも——聞こえない。感じない。
頭の中が——静かだった。
無音の世界。
心臓の鼓動だけが、遠くで響いている。
これが——加護の真価。
絶望的な状況でも。一人になっても。体がボロボロでも。
考えることを——やめない。
主が、こちらを見ていた。
赤い目。怒りに燃える目。
でも——その目の奥に、何かがあった。
焦り。
——焦っている。
なぜだ。主の方が圧倒的に強い。僕一人では、勝てない。
でも——焦っている。
《記録》が、その理由を探った。
主の動き。体の状態。傷の深さ。
横腹の傷から、血が流れ続けている。核にも、僕の刃は届いた。
ダメージが——蓄積している。
第三形態になったのは、防御を強化するためだ。でも、それは——体への負担も大きい。
主は——消耗している。
僕も限界だ。でも、主も——限界に近い。
◆
勝ち筋が——見えた。
言葉にする。頭の中で、整理する。
一つ。主は消耗している。長期戦になれば——持たない。
二つ。核を守るために第三形態になった。でも、核が傷ついている以上——修復に力を使っている。
三つ。第三形態は第二形態より強い。でも——それは、無理をしているということだ。
無理を続ければ——どこかで、綻びが出る。
僕がやるべきことは——耐えること。
避けて、逃げて、時間を稼ぐ。
主が限界を迎えるまで——生き延びる。
主が、動いた。
爪が迫る。避ける。尾が来る。跳ぶ。顎が開く。転がる。
一つ一つの攻撃を——ぎりぎりで躱していく。
《記録》が、パターンを刻み続けている。
第三形態の動き。第二形態との違い。速度。威力。軌道。
少しずつ、見えてきた。
第三形態は速い。でも——動きが大きい。攻撃の予備動作が、わずかに増えている。
体が大きくなった分、小回りが利かなくなっている。
そこを——突く。
爪が振られる。予備動作を見て、左に跳ぶ。爪が右を通過する。
尾が来る。軌道を読んで、伏せる。尾が頭上を通過する。
避けられる。まだ、避けられる。
時間が——過ぎていく。
どれくらい経っただろう。一分か。五分か。十分か。
僕は避け続けた。ひたすら、避け続けた。
体が重い。腕が痺れている。足が震えている。
でも——動ける。まだ、動ける。
主の動きが——鈍くなってきた。
さっきより、遅い。攻撃の間隔が、広くなっている。
——効いている。
消耗が、限界に近づいている。
主が——止まった。
荒い息を吐いている。体が——震えている。
胸の傷から、黒い血が流れ続けている。核の傷も——塞がっていない。
修復に力を使いすぎた。第三形態を維持するのに、限界が来ている。
そして——
主の体が——揺らいだ。
鱗が、波打ち始めた。筋肉が、痙攣している。
——形態が、維持できなくなっている。
第三形態が——崩れようとしている。
そして、崩れる時——また、変化が起きる。
体が作り変わる時——核が、露出する。
◆
主が——咆哮を上げた。
苦痛の叫び。怒りの叫び。
体が——縮み始めた。
第三形態が崩れていく。鱗が剥がれ落ちる。筋肉が萎んでいく。
そして——胸の鱗が、開いた。
核が——露出した。
赤い光が、脈打っている。傷ついた核が、剥き出しになっている。
——今度こそ。
僕は——走った。
最後の力を振り絞って。
核に向かって。
短剣を——構えた。
赤い光が、目の前にあった。




