VS遺跡の主3
第二形態の主が、跳んだ。
——速い。
さっきとは、比べ物にならない。
僕は横に転がった。爪が、床を抉る。石の破片が、頬を掠めた。
痛みは——感じない。
《戦乙女の加護》が、すべてを消している。恐怖も、痛みも、焦りも。
頭の中が、静かだった。
心臓は暴れているはずなのに、その音すら遠い。
——無音の世界。
この感覚を、ヒルデは教えてくれていた。
恐怖がない代わりに、危険を理屈で判断しろ。今、何が起きているか。何をすべきか。冷静に、考えろ。
◆
主が、再び動いた。
今度は——尾だ。
横薙ぎに振られる。さっきより速い。さっきより重い。
避けられない。
咄嗟に、短剣を構えた。
衝撃。
体が、吹き飛ばされた。
壁に叩きつけられる。肺から空気が抜ける。
——痛くない。
でも、体が動かない。腕が痺れている。足に力が入らない。
立て。立ち上がれ。
頭が、命令を出す。体が、従おうとする。
遅い。主が、もう目の前に——
「ユウ!」
銀色の影が、割り込んだ。
ヒルデが、主の前に立っていた。
両腕を広げて、僕を庇うように。
主の爪が、振り下ろされる。
ヒルデが——受け止めた。
いや、受け止めたのではない。両腕で爪の軌道を逸らし、横に流した。
それでも——衝撃は大きかった。
ヒルデの体が、よろめいた。膝が、床につく。
「ヒルデ!」
「黙れ。立て」
振り返らずに、ヒルデが言った。
その声は、厳しかった。でも——震えていなかった。
「お前が倒れたら、終わりだ。私一人では、こいつは倒せない」
主が、再び腕を振り上げた。
ヒルデが、また前に出る。
「だから——立て。私が時間を作る」
その背中が、また壁のように見えた。
細いのに。弱体化しているのに。
それでも——僕を守ろうとしている。
僕は、歯を食いしばった。
壁に手をついて、立ち上がる。
足が震えている。腕が痺れている。
でも——動ける。まだ、動ける。
ヒルデが、主の攻撃を捌いていた。
避けて、流して、後退して。その繰り返し。
でも、限界が近い。動きが鈍くなっている。息が荒い。
——考えろ。
勝つ方法を。生き残る方法を。
《記録》が、主の動きを刻み続けていた。
第一形態との違い。速度。威力。パターン。
何か——ないか。弱点が。隙が。
◆
主が、咆哮を上げた。
その瞬間——動きが、止まった。
一瞬だけ。ほんの一瞬だけ、硬直している。
——これだ。
《記録》が、その瞬間を捉えていた。
咆哮の直後。威嚇のために力を込めた反動で、体が硬直する。
第一形態にはなかったパターン。第二形態になって、新しく生まれた隙。
でも——一瞬だけだ。
その間に、何ができる。
考えろ。今ある情報を、整理しろ。
主の弱点。鱗の隙間。さっき傷をつけた横腹。
でも、あそこを狙っても——致命傷にはならなかった。形態変化を引き起こしただけだ。
もっと深く。もっと確実に。
——核。
ヒルデの言葉が、頭を過ぎった。
『古い存在には、核がある。それを壊せば、倒せる』
核は、どこだ。
主が、また動き出した。
ヒルデが、限界に近い動きで躱している。
僕は、主の体を観察した。
《記録》が、すべてを刻んでいく。
黒い鱗。背中の突起。金色の目。
どこかに——核があるはずだ。
心臓か。頭か。それとも——
主が、再び咆哮を上げた。
その瞬間、僕は見た。
胸の中央。鱗の下で、何かが——脈打っていた。
赤い光。規則的に、明滅している。
——あれだ。
あれが、核だ。
でも——鱗に覆われている。短剣では、届かない。
どうすれば——
◆
「ユウ」
ヒルデの声が、響いた。
主の攻撃を躱しながら、こちらを見ている。
「何か、見つけたか」
「……核。胸の中央に、核がある」
「そうか」
ヒルデが、微かに頷いた。
「なら——露出させる方法を考えろ」
「露出……?」
「鱗の下にあるなら、鱗を剥がせばいい。あるいは——鱗が開く瞬間を狙え」
鱗が開く瞬間。
そんな瞬間が、あるのか。
《記録》を、遡った。
主の動き。攻撃のパターン。体の変化。
そして——見つけた。
咆哮の瞬間。体に力を込める時。胸が——膨らんでいた。
鱗が、わずかに開いていた。
一瞬だけ。ほんの一瞬だけ。
でも——その瞬間なら、核に届くかもしれない。
「ヒルデ」
僕は、声を上げた。
「咆哮の瞬間——胸の鱗が開く。その時に、核が見える」
「わかった」
ヒルデが、主から距離を取った。
「なら——咆哮させろ」
「咆哮させる……?」
「怒らせろ。追い詰めろ。吠えたくなるほど、苛立たせろ」
その言葉に——僕は、頷いた。
怒らせる。それなら——できる。
さっきと同じだ。
二人で動いて、翻弄する。どちらを追えばいいかわからなくさせる。
そうすれば——苛立って、咆哮する。
「行くぞ」
ヒルデが、走り出した。
僕も、反対方向に走った。
◆
主の視線が、揺れた。
ヒルデを追う。僕を追う。また、ヒルデを追う。
定まらない。どちらを狙えばいいか、わからない。
僕たちは、交互に動いた。
片方が止まっている間に、もう片方が移動する。
主の周りを、ぐるぐると回り続ける。
主が、苛立ったように唸った。
爪を振る。空を切る。当たらない。
また振る。また外れる。
金色の目が、怒りで染まっていく。
——来る。
《記録》が、予兆を捉えた。
主の胸が、膨らみ始めている。
咆哮の準備だ。
「ヒルデ!」
「わかっている」
ヒルデが、僕の方に走ってきた。
僕たちは、主の正面で合流した。
主が——咆哮を上げた。
◆
その瞬間。
胸の鱗が——開いた。
赤い光が、露出した。
脈打つ核。生命の源。
——今だ。
僕は、踏み込んだ。
短剣を構えて、核に向かって——
でも、遠い。間に合わない。
咆哮は、一瞬で終わる。鱗が、閉じ始めている。
届かない——
「ユウ!」
ヒルデの手が、僕の背中を押した。
強く。前に。
体が、加速した。
届く——届く距離に——
核が、目の前にあった。
赤い光。脈打つ生命。
短剣を——突き立てた。




