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VS遺跡の主2

 腕が、痺れていた。

 血が止まらない。短剣を握る手が、滑る。


 ——まずい。


 頭ではわかっている。でも、恐怖は感じない。《戦乙女の加護》が消している。

 だからこそ、理屈で考える。

 このまま戦い続ければ——体力が尽きる。先に倒れるのは、僕の方だ。


「ユウ」


 ヒルデの声が、横から響いた。


「下がれ。少し時間を稼ぐ」


 僕が何か言う前に——ヒルデが、前に出た。



 銀色の髪が、暗闇の中で揺れた。

 ヒルデは武器を持っていない。弱体化した体。魂の核を失った、不完全な状態。

 なのに——その動きは、鋭かった。


 主が、爪を振り下ろす。

 ヒルデは、半歩だけ横に動いた。それだけで——攻撃が、空を切る。

 次の薙ぎ払い。また半歩。紙一重で、躱す。


 無駄がない。最小限の動きで、最大の効果を出している。


 ——これが、百年前の英雄。


 弱体化していても、技術は残っている。戦いの極意が、体に刻まれている。

 《記録》が、その動きを刻んでいた。

 足の運び方。体の傾け方。視線の向け方。すべてが——教科書のように正確だった。


 でも——長くは持たない。

 ヒルデの息が、乱れ始めていた。

 三度目の回避。四度目。五度目。


 動きが、わずかに鈍くなっている。

 主が、それを察したのか——攻撃が、激しくなった。

 連続で爪が振られる。ヒルデが後退する。壁が、近づいていく。


「ヒルデ!」


 僕は、駆け出していた。

 腕は痺れている。血も止まっていない。

 でも——動ける。まだ、動ける。


 短剣を構えて、主の横腹に飛び込んだ。


 さっき傷をつけた場所。鱗の隙間。

 そこを狙って——突き出した。

 主が、咄嗟に体を捻った。短剣が、鱗を擦って弾かれる。


 でも——注意が、僕に向いた。

 ヒルデが、壁から離れる時間ができた。


「……助かった」


 ヒルデの声が、背後から聞こえた。

 息が荒い。額に汗が滲んでいる。

 でも——金色の瞳は、まだ光を失っていなかった。


「いい判断だ。だが——無茶をするな」


「ヒルデこそ」


「私は大丈夫だ。お前より、ずっと長く戦ってきた」


 その言葉に——なぜか、安心した。

 弱体化していても、ヒルデは頼りになる。一人じゃない。そう思えるだけで、心が軽くなった。



 主が、再び動き出した。

 今度は——僕を狙っている。

 赤い目が、こちらを見据えていた。獲物を定めた、捕食者の目。


「来るぞ」


 ヒルデが、僕の隣に立った。


「私が合図を出す。その通りに動け」


「……わかった」


 主が、跳んだ。


「右!」


 ヒルデの声に従って、右に転がった。

 爪が、さっきまでいた場所を抉る。床の石が、砕け散った。


「起き上がれ。次が来る」


 言われるまま、立ち上がった。

 主が、体勢を立て直している。次の攻撃の溜めが——見えた。


「左前。懐に入れ」


 ヒルデの指示。迷わず、従った。

 左前に踏み込む。主の攻撃が、頭上を通過していく。

 近い。鱗の質感が、目の前にある。


「狙うな」


 ヒルデの声が、頭に響いた。


「今は当てようとするな。当てられない位置にいろ」


 ——当てられない位置。


 その意味が、一瞬でわかった。

 攻撃を当てることより、攻撃を受けないことを優先しろ。生き残ることが、最優先だ。

 僕は、主の懐から離脱した。


 後ろに下がるのではなく、横に回り込む。主の視界から外れる位置へ。


「そうだ。その動きだ」


 ヒルデの声に、わずかな称賛が混じっていた。

 主が、首を巡らせた。僕を探している。

 その隙に——さらに位置を変える。


 《記録》が、主の視界を分析していた。どこが死角か。どの角度なら見えにくいか。

 赤い目の動きを追いながら、常にその外側に回り込む。


 ——見えてきた。


 戦い方が、少しずつ——わかってきた。



 ヒルデが、反対側から動いた。

 主の注意が、分散する。僕とヒルデ、二つの標的を同時に追えない。


「交互に動け。片方が動いている間、もう片方は止まる」


 ヒルデの指示は、簡潔だった。

 でも——的確だった。

 僕が動く。主の視線が、僕を追う。


 その間に、ヒルデが位置を変える。

 主が、ヒルデを見る。

 その間に、僕が動く。


 呼吸を合わせるように、交互に移動していく。

 主が、苛立ったように咆哮を上げた。

 どちらを追えばいいかわからない。狙いが定まらない。


 ——これが、連携か。


 一人では不可能なことが、二人ならできる。


 何度目かの移動の時——チャンスが見えた。

 主が、ヒルデを追って首を向けた瞬間。

 横腹が——がら空きになっていた。


 さっき傷をつけた場所。まだ血が滲んでいる。

 僕は、踏み込んだ。


「待て!」


 ヒルデの声が、遅れて聞こえた。

 でも——体は、もう動いていた。

 短剣を突き出す。鱗の隙間を狙って——


 ——当たった。


 手応えがある。刃が、肉に沈む感覚。

 黒い血が、噴き出した。

 主が、絶叫を上げた。



 その瞬間——何かが、変わった。

 空気が、震えた。

 主の体から、黒い靄が噴き出していた。


 傷口からではない。全身から。まるで——殻を脱ぎ捨てるように。


「下がれ!」


 ヒルデの声が、鋭く響いた。

 僕は、反射的に後退した。

 主の体が——膨張していく。


 黒い鱗が、さらに黒く染まる。背中の骨の突起が、伸びていく。

 赤い目が——金色に変わった。

 咆哮。


 さっきまでとは、比べ物にならない圧。

 肺が潰されそうになる。足が、床に縫い付けられる。


 ——形態が、変わった。


 《記録》が、警告を発していた。

 さっきまでのパターンは、もう通用しない。動きが、完全に変わっている。


「ユウ」


 ヒルデが、僕の腕を掴んだ。

 引っ張られるようにして、壁際まで下がる。

 主が——ゆっくりと、こちらを向いた。


 金色の目が、僕たちを捉えていた。



「……まずいな」


 ヒルデが、低く呟いた。

 その声に——初めて、焦りの色があった。


「形態変化か。予想より、早い」


「形態変化……?」


「古い存在には、よくある。追い詰められると、姿を変えて力を増す」


 主が、一歩を踏み出した。

 床が、軋んだ。体重が、さっきより重くなっている。


「さっきまでの動きは忘れろ。パターンが変わった」


 ヒルデが、僕の前に立った。

 細い背中が、壁のように見えた。


「私が先に動きを見る。お前は——生き残ることだけを考えろ」


 その声は、厳しかった。

 でも——どこか、温かかった。

 守られている。そう感じた。


 弱体化した体で、それでも僕を守ろうとしている。

 百年前の英雄は——今も、英雄だった。


「……わかった」


 僕は、短剣を握り直した。

 腕はまだ痺れている。血も止まっていない。

 でも——まだ、戦える。


 ヒルデが前にいる限り、僕も立ち続ける。

 主が——咆哮を上げた。

 第二形態の戦いが、始まった。

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