VS遺跡の主
扉を、押し開けた。
重い石が軋む音が、暗闇に響いた。
その向こうに——広い空間があった。
天井が高い。壁には古い紋様が刻まれている。中央には祭壇のようなものがあり、その奥に——
いた。
巨大な影が、蹲っていた。
◆
最初に感じたのは、圧だった。
空気が重い。肺が潰されそうになる。足が床に縫い付けられたように、動かない。
これが、遺跡の主。影が、動いた。ゆっくりと、こちらを向く。
二つの目が光る、赤い。血のように赤い。その視線が、僕を捉えた瞬間——体の芯から、震えが消えた。
《戦乙女の加護》が、発動していた。恐怖が、無くなった。
さっきまで感じていた圧迫感が、遠くなる。心臓は早鳴っているはずなのに、頭は冷えている。
これが、加護の力。ヒルデの言葉が、頭を過ぎった。
『恐怖がなくなるということは——危険を察知する感覚も消えるということだ』
だから、理屈で考えろ。
目の前にいるのは、深層の主。訓練ダンジョンのゴブリンとは、格が違う。一撃でも喰らえば——死ぬ。
それを、頭に刻み込む。恐怖は感じない。でも、危険は理解している。
遺跡の主が、立ち上がった。でかい。
四足の獣のような体躯。だが、前足には鉤爪がある。背中には、骨のような突起が並んでいる。
頭部は——獣とも人とも違う。長い顎。並んだ牙。そして、あの赤い目。
全身が、黒い鱗で覆われていた。
古い。この遺跡と同じくらい、古い存在だと——直感で分かった。
「来るぞ」
ヒルデの声が、横から響いた。
次の瞬間——主が、跳んだ。
◆
速い。
体が勝手に動いていた。横に転がり、爪を避ける。
風圧が頬を撫でた。髪が数本、舞った。
——当たっていたら、終わっていた。
床に着地した主が、首を回した。こちらを見ている。
品定めをするような、赤い目。
次が来る。
僕は短剣を構えた。
「動きを見ろ。パターンがあるはずだ」
ヒルデの声が、指示を飛ばす。
主が、再び動いた。
今度は——前足の薙ぎ払い。
横に広い攻撃。避ける方向が限られる。
僕は後ろに跳んだ。爪が空を切る。ぎりぎりだった。
《記録》が、動きを刻んでいる。
前足を振る前の、わずかな溜め。肩の筋肉が盛り上がる。そこから攻撃が来る。
——見えた。
次の攻撃。また薙ぎ払い。今度は逆の前足。
溜めを見た瞬間、僕は動いた。
攻撃の軌道の内側に入る。爪が、頭上を通過していく。
近い。主の体が、目の前にある。
短剣を突き出した。
——硬い。
刃が、鱗に弾かれた。火花が散る。傷一つついていない。
「退け!」
ヒルデの声。
僕は反射的に後ろに跳んだ。
次の瞬間、主の顎が閉じた。さっきまで僕がいた場所を、牙が噛み砕いていた。
◆
距離を取った。
息が荒い。心臓が暴れている。でも、頭は冷えたままだ。
——鱗が硬すぎる。
短剣では、傷をつけることすらできない。これでは、どれだけ攻撃しても——
「慌てるな」
ヒルデが、僕の隣に立った。
彼女も息が乱れている。弱体化した体で、この戦いは厳しいはずだ。
「どこかに弱点がある。鱗が薄い場所、関節、目——必ずある」
「でも、近づけない。攻撃が速すぎる」
「速いが、パターンがある。お前は見たはずだ」
——確かに、見た。
《記録》が、主の動きを刻んでいる。攻撃の前の溜め。振りの軌道。戻りの隙。
でも、それを活かす前に——圧倒的な力の差がある。
「時間をかけろ」
ヒルデが言った。
「一撃で倒そうとするな。削り合いでいい。隙を待て」
主が、再び動き出した。
こちらに向かってくる。ゆっくりと。獲物を追い詰める捕食者の動き。
戦闘は、続いた。
僕は避け続けた。
爪。牙。尾。あらゆる攻撃が、次々と飛んでくる。
そのすべてを——ぎりぎりで避ける。
《記録》が、パターンを蓄積していく。どの攻撃の後に隙があるか。どの動きの後に硬直があるか。
少しずつ、見えてきた。
尾を振った後。 一瞬だけ動きが止まる。
尾が重いのか、体勢を立て直すのに時間がかかる。
そこだ。 次に尾が来たら——その後を狙う。
主が、体を捻った。尾が、横薙ぎに振られる。
僕は跳んだ。尾の上を飛び越える。
着地。主の横腹が、目の前にある。
短剣を突き出した。
今度は——脇腹の、鱗の隙間を狙った。
——通った。
手応えがあった。刃が、肉に沈む感覚。
血が——噴き出した。黒い血だ。
主が、咆哮を上げた。
◆
初めての、有効打。
だが——主は止まらなかった。
怒りを込めた赤い目が、僕を睨む。
次の攻撃は——さっきより速かった。
避けきれない。 前足の爪が、僕の腕を掠めた。
痛い。腕が——熱い。血が流れている。
短剣を持つ手が、痺れていた。
「ユウ!」
ヒルデの声が聞こえた。
視界の端で、彼女が動くのが見えた。
主の注意が、一瞬だけ逸れる。
僕は、後ろに下がった。
腕を見る。深くはない。でも、血が止まらない。
——これは、まずい。
体力が削られていく。このままでは——持たない。
主が、また咆哮を上げた。
戦いは、まだ——始まったばかりだった。




