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人間装備のゴブリン

 光が——近づいている。


 青白い、淡い光。

 暗闘の奥で、確かに——何かが、光っている。


 足を止めた。

 息を殺す。心臓の音が、耳の奥で響いている。


 ——何だ。


 魔物か。罠か。それとも——

 

 目を凝らす。暗闭に慣れた目で、その光の正体を——見極めようとする。


 光は、壁から漏れていた。

 通路の先、左手の壁に——亀裂のような隙間がある。

 そこから、青白い光が——染み出している。


 苔だ。


 発光する苔。

 壁の亀裂を覆うように、びっしりと——生えている。

 訓練ダンジョンでも、見たことがある。深層に生息する光苔。魔力を含んでいて、暗闢を照らすほどの光を放つ。


 ——危険ではない。


 少なくとも、苔自体は。

 でも——光があるということは。


 周囲が、見える。

 自分の手が、見える。足元の水が、見える。

 そして——







 足音が、聞こえた。


 違う。

 足音ではない。

 もっと——軽い。爪が石を引っ掻くような。


 僕は、咄嗟に壁に身を寄せた。

 光苔の明かりが、かえって——自分の姿を晒してしまう。

 影に入る。息を止める。


 音が、近づいてくる。

 水を踏む音。低い唸り声。獣の匂い——いや、違う。

 腐った肉と、泥と、汗の混じった——不快な臭気。


 魔物だ。


 通路の奥から、それは——現れた。


 小さい。僕の腰ほどの背丈。

 緑がかった肌。尖った耳。赤く光る目。

 ゴブリン——だ。


 でも、何かが——おかしい。







 ゴブリンは、武器を持っていた。


 短剣。

 粗末な短剣——ではない。

 刃が、鈍く光っている。少し錆があるが、以前は手入れされたとわかる、きちんとした——人間の作った短剣。


 そして——布。

 体に巻き付けている。ぼろぼろだが、元は——上質な布だ。

 紺色の、どこかで見たことのあるような——


 徽章。

 布の端に、小さな——徽章が、縫い付けられている。

 光苔の明かりでは、はっきりとは——見えない。


 ——人間の、装備だ。


 間違いない。

 あのゴブリンが持っている短剣も、巻いている布も——元は、人間のものだ。


 どこで手に入れた。

 どうやって手に入れた。

 その疑問が、頭を過ぎった瞬間——


 ゴブリンの赤い目が、こちらを——見た。







 「ギィッ!」


 甲高い叫び。

 ゴブリンが、こちらに——駆けてきた。


 短剣を振り上げて。赤い目を爛々と光らせて。

 小さな体が、信じられない速さで——距離を詰めてくる。


 ——避けろ!


 体が、動いた。

 壁を蹴って、横に跳ぶ。

 ゴブリンの短剣が、さっきまで僕がいた場所を——切り裂いた。


 石の壁に、火花が散る。

 刃が、石を削る音。金属の軋み。


 ——速い。


 訓練ダンジョンで戦ったゴブリンとは、動きが違う。

 深層の魔物は——強い。

 当たり前だ。ここは、訓練用の場所ではない。本物のダンジョンの、深層なのだから。


 ゴブリンが、すぐに体勢を立て直した。

 赤い目が、僕を睨む。唾液が、口の端から垂れている。

 また——来る。







 通路が、狭い。


 壁と壁の間は、三メートルほど。

 逃げ場が——ない。

 後ろに下がっても、追いつかれる。

 前に進むしか——ない。


 ゴブリンが、二度目の突進を仕掛けてきた。

 短剣を突き出して。体ごと——飛び込んでくる。


 ——見ろ。


 《記録》が、動き始めていた。


 ゴブリンの動き。足の運び。体重の移動。短剣の軌道。

 すべてが——目に焼きつく。

 一瞬が、引き伸ばされる。


 でも——


 見えても、体が追いつかない。

 まだ、この動きを——記録していない。

 再現できない。


 僕にできるのは——


 「っ——!」


 体を捻った。

 完全には避けられない。

 短剣の刃が、腕を掠める。熱い痛みが、走った。


 でも——致命傷ではない。

 腕の表面を、切られただけだ。







 血が、流れている。


 腕から。さっき斬られた場所から。

 熱い。痛い。でも——動ける。


 ゴブリンが、また——向き直った。

 三度目の攻撃が、来る。


 ——覚えろ。


 自分に、言い聞かせる。


 ——今度こそ、覚えろ。


 ゴブリンが、突進してきた。

 さっきと同じ。足の運び。体重の移動。短剣の軌道。

 同じ動き。同じパターン。


 《記録》が——働いた。


 狭い通路での、突進。

 壁際に追い詰められた時の、回避方法。

 体を——どこに動かせば、刃が届かないか。


 体が、勝手に——動いた。


 膝を曲げる。重心を落とす。

 左に体を傾けながら、右足を——壁に向けて踏み出す。

 短剣が、頭上を通過する。風が、髪を撫でた。


 避けた。


 完全に、避けた。

 今度は——傷ひとつ、なく。







 ゴブリンが、壁に激突した。


 突進の勢いを殺せずに、頭から——ぶつかった。

 一瞬、動きが止まる。

 

 ——今だ。


 僕は、その隙に——背後に回り込んだ。


 武器が——ない。

 短剣も、剣も、何も持っていない。

 落ちた時に、何もかも——失った。


 でも——


 足元に、石があった。

 拳ほどの、尖った石。

 

 拾い上げる。握りしめる。


 ゴブリンが、振り返ろうとしている。

 赤い目が、こちらを——


 その前に。


 僕は、石を——振り下ろした。







 鈍い音がした。


 ゴブリンが、崩れ落ちた。

 動かない。赤い目が、閉じている。


 息が——荒い。

 心臓が、破裂しそうなほど——打っている。

 手が、震えている。石を握った手が。


 ——殺した。


 違う。まだ、息があるかもしれない。

 でも——動かない。

 少なくとも、今は——動けない。


 足元に、ゴブリンが倒れている。

 血が——頭から、流れ出している。

 光苔の明かりに照らされて、黒っぽく——見える。


 僕は、壁にもたれかかった。

 足の力が、抜けていく。

 滑るように、座り込む。


 ——生きてる。


 また——生き延びた。







 どれくらい、そうしていただろう。


 呼吸が、少しずつ落ち着いてきた。

 心臓の鼓動が、ゆっくりになっていく。


 腕を見た。

 斬られた傷。血が、まだ滲んでいる。

 深くはない。でも、放置はできない。


 何か——止血できるものは。


 視線が、倒れているゴブリンに——向いた。

 その体に巻かれている、布に。


 立ち上がった。

 ゴブリンに近づく。まだ、動かない。呼吸も——感じられない。

 死んでいる——のかもしれない。


 布を、解いた。

 思ったより——しっかりした生地だ。

 汚れてはいるが、使えないことは——ない。


 布を細く裂いて、腕に巻く。

 きつく締める。血が、止まっていく。


 ——とりあえず、これでいい。







 短剣も、回収した。


 握りやすい。重さも、ちょうどいい。

 素人が使うにも、無理のない——バランスだ。


 これは——


 確信が、強まった。

 この短剣は、訓練用の武器ではない。

 実戦を想定した、きちんとした装備だ。


 誰のものだったのか。

 どうして、ゴブリンが——


 その時、目に入った。


 布の端。

 さっきは、よく見えなかった——徽章。


 光苔の明かりに、近づけてみる。

 布を広げる。徽章を——見る。


 ——校章だ。


 間違いない。

 これは、学校の——校章だ。


 でも——見慣れない。

 僕の学校の校章とは、違う。

 形も、デザインも——まったく、違う。







 僕は、その校章を——見つめていた。


 別の学校の、校章。

 日本の——いや、おそらく日本の——学校の。


 どうして、こんなものが——

 この深層に、どうして——


 頭の中が、混乱する。


 僕たちのクラス以外にも——召喚された人間がいた?

 この世界に——僕たち以外の、日本人が?


 聞いていない。

 誰も——そんなことは、言っていなかった。

 王女も、騎士団長も、教会の人間も。


 ——なぜ、言わなかった。


 嫌な想像が、頭を過ぎった。

 この布の持ち主は——どうなったのか。

 なぜ、その装備が——ゴブリンの手に渡っているのか。


 答えは——わからない。

 でも、ひとつだけ——確かなことがある。


 ここに、誰かがいた。

 僕と同じように——この深層に、落ちた人間が。

 あるいは——閉じ込められた人間が。


 手の中の布が、重く——感じられた。


 僕は、その布を——大事に、折りたたんだ。

 懐に、しまい込む。


 ——見つけた。


 何を見つけたのか、まだわからない。

 でも——これは、手がかりだ。

 王国が——何かを、隠している。その証拠だ。


 立ち上がる。

 短剣を握り直す。


 先に進まなければ。

 この校章の持ち主が——何者だったのか。

 知りたければ、進むしかない。


 水音が、まだ聞こえている。

 その方向へ——僕は、歩き始めた。


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