表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/36

煙の中の悪意

 白い煙が、視界を覆っていた。


 何も見えない。

 耳鳴りがする。頭の芯が、ぐらぐらと揺れている。

 体が——動かない。


 僕は、床に倒れていた。


 冷たい石の感触。背中に当たる瓦礫の角。肩の傷が、また開いたのか——熱い痛みが、走っている。

 でも、それより——体全体が、痺れている。

 衝撃の余波だ。鏡を掲げた瞬間、光の奔流が——


 ——鏡。


 そうだ。鏡を使った。

 誰かの声に導かれて。

 あの光を——逸らした。


 みんなは——


 首を動かそうとした。でも、重い。視界が、霞んでいる。

 煙の向こうに、何か——影が見える。人の形。動いている。


 ——生きている。


 誰かが、生きている。

 それだけで、少しだけ——安心した。







 意識が、途切れそうになる。


 瞼が重い。体が冷たい。このまま眠ってしまいそうだ。

 でも——眠ってはいけない気がする。

 ここは、危険な場所だ。まだ、戦闘が終わったばかりで——


 遠くで、声が聞こえた。


「——撤退した! 魔族が撤退したぞ!」

「負傷者の確認を! 早く!」

「増援だ! 騎士団の増援が来た!」


 騎士たちの声。怒号。指示を出す声。

 助かったのか。みんな、助かったのか。


 体の力が、抜けていく。

 安堵が、全身に広がっていく。


 ——よかった。


 高嶺さんも、クラスメイトたちも。

 みんな、無事なら——それで、いい。


 意識が、薄れていく。

 煙の匂いが、鼻の奥に染みついている。石の焦げた匂い。魔力の残滓。

 視界が、白く——







 足音が、聞こえた。


 近づいてくる。誰かが、こちらに——

 

 助けが来たのか。

 騎士か、クラスメイトか。

 声を出そうとした。でも、喉が動かない。息を吸うだけで、精一杯だ。


 足音が、止まった。


 すぐ近くに、誰かがいる。

 煙の向こうに、人影が——立っている。


 誰だ。

 目を開けようとする。瞼が重い。視界が、ぼやけている。

 でも——その影の輪郭が、少しだけ見えた。


 制服。

 見覚えのある、制服。


 クラスメイト——?







 榊太一は、煙の中に立っていた。


 目の前に——黒瀬ユウが、倒れている。

 穴の縁。崩れた床の、すぐ際に。

 動いていない。目を閉じている。気を失っているのか——それとも。


 榊は、周囲を見回した。


 煙が、あたりを覆っている。視界は、数メートルも効かない。

 騎士たちの声は、遠い。負傷者の救護に追われている。

 クラスメイトたちは——もっと向こうだ。高嶺も、神崎も。みんな、反対側にいる。


 誰も、見ていない。

 誰も、ここにいることを知らない。


 榊の心臓が、早鐘を打っていた。







 また——こいつだ。


 榊は、倒れている黒瀬を見下ろした。


 また、こいつが活躍した。

 病院にいたはずなのに。傷が治っていないはずなのに。

 なのに——こいつは、ここに来た。


 あの鏡。あの光。

 魔族の魔法を逸らしたのは、黒瀬だった。

 神崎でも、風間でも、坂下でもない。

 《記録》なんていうハズレスキルの——こいつが。


 胸の奥で、何かが——煮えたぎっていた。


 ——なんで。


 なんで、こいつばかり。

 なんで、こいつがいつも——







 訓練ダンジョンでも、そうだった。


 あの女魔族——ヴェリナとの戦い。

 みんなが動けない中、弱点を見つけたのは黒瀬だった。

 騎士団長に情報を伝えて——撤退を成功させた。


 その後、高嶺は——黒瀬のことばかり心配していた。


 病院に通っていたのを、知っている。

 毎日のように見舞いに行っていたのを。

 あの料理女——ミレイユとかいう奴も、黒瀬の病室に入っていくのを見た。


 高嶺は、俺には——あんな顔をしない。


 心配そうな顔。柔らかい笑顔。声のトーン。

 全部、違う。

 俺と話す時とは、全然——違う。


 ——黒瀬のせいだ。


 こいつがいるから。

 こいつが、いつも——邪魔をする。







 榊は、黒瀬の顔を見下ろした。


 目を閉じている。息はある——かすかに、胸が上下している。

 意識は、ないようだ。

 こちらに、気づいていない。


 そして——黒瀬の体は、穴の縁にある。


 魔法が地面に直撃して、開いた穴ーー魔法だけじゃない、もともと地下に大きな空洞があったのか…。

 深い。どこまで続いているか、わからない。

 煙が、その奥から立ち上っている。


 榊の視線が、穴と黒瀬の間を——往復した。


 心臓が、さらに速く打つ。

 手のひらに、汗が滲む。

 頭の中で、何かが——囁いている。


 ——今なら。


 誰も、見ていない。

 誰も、気づかない。

 煙で視界が悪い。騎士たちは、向こうで救護に追われている。

 クラスメイトたちも——高嶺も——反対側だ。


 今なら——







 頭の中で、声が響いた。


 ——殺すんじゃない。


 ——ただ、ちょっと——押すだけだ。


 ——事故だ。混乱の中の、事故。


 ——誰も、見ていない。


 ——誰にも、わからない。


 榊の足が、一歩——前に出た。







 高嶺の顔が、浮かんだ。


 笑っている高嶺。

 でも——その視線は、俺を見ていない。

 いつも、どこか別の方向を——黒瀬の方を、見ている。


 教室で。廊下で。食堂で。

 高嶺は、黒瀬を気にしていた。

 目立たない奴。空気みたいな奴。

 なのに——高嶺だけは、いつも——


 俺は、上位グループにいる。神崎とだって並んべるはずなんだ。

 スキルだって——《隠密》。悪くない。使い方次第では、便利なスキルだ。

 なのに——高嶺は、俺を見ない。


 ——こいつがいるから。


 ——こいつさえいなければ——


 榊の足が、もう一歩——前に出た。







 黒瀬の体は、穴の縁——ぎりぎりのところにあった。


 押せば、落ちる。

 蹴れば、落ちる。

 それだけで——こいつは、消える。


 榊の呼吸が、荒くなっていた。


 ——やるのか。


 ——本当に、やるのか。


 手が、震えている。

 足が、震えている。

 でも——止まれない。


 頭の中が、真っ白になっていく。

 善悪の区別が、曖昧になっていく。

 今ここで、何をしようとしているのか——わからなくなっていく。


 ——事故だ。


 ——混乱の中の、事故。


 ——俺は、何もしていない。


 ——こいつが、勝手に——落ちたんだ。


 榊の足が——振り上げられた。







 僕は——夢を見ていた。


 白い光の中。

 誰かの声が、聞こえた気がした。

 女性の声。さっき僕に鏡の事を教えてくれた、助けてくれた声。


 『——はじまるよ、どうか気をつけて…』


 しかし先ほどとは違い、聖母のような温かい声。

 全てを包みこむような、聞いているだけで癒されるような…

 その声が、遠くで——


 そして——


 衝撃が、走った。


 腹部に。

 何かが——蹴り込まれた。

 体が、浮いた。

 

 視界が、回転する。


 煙。天井。崩れた瓦礫。そして——穴の縁が、遠ざかっていく。


 落ちている。


 僕は——落ちている。







「これで——邪魔者が、消える」


 榊の声が——遠くで、聞こえた。


 震えた声。

 怯えた声。

 でも——その中に、確かな悪意が、込められていた。


 僕は——理解した。


 蹴られた。

 誰かに——蹴り落とされた。

 クラスメイトに。

 同じ教室で、同じ時間を過ごした——誰かに。


 視界が、暗くなっていく。

 穴の縁が、どんどん——遠くなっていく。

 上から見下ろす影が——小さくなっていく。


 ——なんで。


 その疑問が、頭を過ぎった。


 ——なんで、こんなことを。


 でも——答えは、返ってこない。

 声も、出ない。

 体が、落ちていく。

 暗闘の中へ——沈んでいく。







 風が、体を包んでいた。


 落下の風。

 冷たい。速い。

 どこまで落ちるのか——わからない。


 意識が、途切れそうになる。

 視界が、狭くなっていく。

 暗い。何も見えない。上の光が——どんどん、小さくなっていく。


 ——死ぬのか。


 その思考が、頭を過ぎった。


 ——ここで、終わるのか。


 高嶺さんの顔が、浮かんだ。

 ミレイユの笑顔が、浮かんだ。

 相沢さん。シュナイダーさん。

 みんなの顔が——走馬灯のように。


 ——まだ、何も——


 ——何も、できていないのに——


 意識が、遠のいていく。

 体が、闇の中に——沈んでいく。


 最後に見えたのは——上の、小さな光だった。

 聖堂の穴から漏れる、白い光。

 それが——どんどん、小さくなって。


 やがて——点になって。


 消えた。







 榊太一は、穴の縁に立っていた。


 黒瀬が——落ちていった。

 闇の中に。

 どこまでも深い、闘の奥に。


 足が、震えていた。

 手が、震えていた。

 全身が——震えていた。


 ——やった。


 ——やってしまった。


 心臓が、破裂しそうなほど——打っている。

 息が、荒い。視界が、ぐらぐらする。


 でも——誰も、見ていない。

 煙は、まだ——あたりを覆っている。

 騎士たちの声は、遠い。

 クラスメイトたちは——まだ、反対側だ。


 ——大丈夫だ。


 ——誰も、見ていない。


 ——誰にも、わからない。


 榊は、一歩——後ずさった。

 穴から、離れる。

 そして——煙の中へ、姿を消した。







 数分後。


 煙が、少しずつ——晴れてきた。


「黒瀬くん! 黒瀬くんっ!」


 高嶺澪の声が、聖堂に響いた。


 彼女は、あたりを見回していた。

 さっきまで、黒瀬がいたはずの場所。

 でも——そこには、誰もいない。


「黒瀬くん、どこ……!?」


 瓦礫の山。崩れた祭壇。砕けたステンドグラス。

 そして——床に開いた、大きな穴。


 高嶺は、穴の縁に——駆け寄った。


「まさか——」


 覗き込む。

 でも——何も見えない。

 深い。暗い。底が、見えない。


「黒瀬くん……!」


 声が、震えていた。

 目に、涙が滲んでいた。


 でも——返事は、ない。

 闇の底から——何の音も、聞こえない。


 ただ——沈黙だけが、そこにあった。







 榊太一は、クラスメイトたちの輪の中にいた。


 何食わぬ顔で。

 他の皆と同じように——混乱した表情で。


「黒瀬が、いない——?」


 神崎が、眉を顰めた。


「さっき、ここにいたはずだろう。鏡を——」


「煙で、見えなかったんだ」


 榊は、言った。


「混乱してて——気づいたら、いなくなってた」


 嘘が、自然と——口から出てきた。

 震えそうになる声を、必死に——押さえつけた。


「穴に——落ちたのか……?」


 風間が、顔を青くした。


「なんだこの穴、元々地下があったのか?—かなり深いぞ。あれに落ちたら——」


 言葉が、途切れた。

 誰も——その先を、言えなかった。


 高嶺が、穴の縁で——膝をついていた。

 肩が、震えている。

 声を殺して——泣いているのか。


 榊は、その背中を——見ていた。


 胸の奥で、何かが——軋んでいた。

 罪悪感か。恐怖か。それとも——


 ——これで、よかったんだ。


 ——こいつがいなくなれば——高嶺は——


 悪意に満ちた思考が彼の心を黒く染めたーー






 聖堂の地下。

 深い、深い——闇の底。


 黒瀬ユウは、落ちていた。

 意識もなく。声もなく。

 ただ——闘の中へ、沈んでいった。


 上の光は、もう——見えない。

 音も、聞こえない。

 冷たい空気だけが、体を包んでいる。


 そして——


 どこか遠くで、水の音がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ