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八篇目の魔女の塔 -エピローグ-

八篇編最後です。お付き合いありがとうございました。



「ハッペイ=マギウステルス? ははぁ、また随分と奇特な……」

 リューン王立図書館の司書は、リストを片手にずれた眼鏡を直しながら、男の方に向き直った。

 彼の眼鏡のレンズ越しの目に、図書館のランプの光に淡く照らされた、柔らかな金髪が映る。

 リューン屈指の有名人の一人。

 さながら流星のごとく突如として現れ、短期間で目覚ましい活躍の活躍を残し、リューンではその名を知らないものは殆ど居ないだろう、冒険者。

 イーハイ=トーヴ、その人である。

 司書自身は、この男が冒険者になりたての頃からの知り合いであった。

 その頃、この世界に『アルカディア』という世界から来たばかりだという彼は、同じ場所から来たもう一人を連れて、随分と熱心にこの世界のことを学ぼうとここに足を運んでいた。

 今でも、分からないことがあればここに来て、自分を見つけては「良い本はないか」と聞いてくる。その姿勢自体は、本を管理し、貸し出す人間の立場としては快く感じるものだ、と司書は思っていた。

 実際に、今回もそうであった。

 調べたいことがある、とやってきた彼に、何の知識が欲しいのかと問えば、返ってきた言葉は意外性しか含んでいないもの。

 『ハッペイ=マギウステルス』について。

 はて。またどうしてそんな人間のことを? 司書はイーハイのことをじっと見つめた。

 司書とて、はっきり言って言われるまで忘れていたような名前だ。

 というより、覚えようがない。馴染みがないのだから、知識として出す必要もない。

 言われて、ようやく出すような魔法使いの名だ。しかも、大きく悪い意味で。なぜそんな人間の名前を、この男が知っている?

 ………いや、イーハイ=トーヴという男のことだ、そういうこともあるかもしれない。

 司書はそう思ったが、どう切り出すべきかと考えが堂々巡りになっていた。

「……記述は残ってるんだな?」

 沈黙を破ったのは、イーハイの方からだった。

 その問いかけに、司書は一度、別に見るわけでもなくリストに目を落としてから、もう一度、イーハイの方を見た。

「………ええ、ありますよ。ただし、『魔女狩り』関係のほんの一端にその名前があるだけです。何というわけではありません。あるのも、そういった名前の人物が、南の大陸にいたというだけです」

 司書は眉間に皺を寄せながら、ため息交じりに淡々とそのように話した。

 しかし、『魔女狩り』なんて言葉を出した割に、イーハイは全く驚いたような表情を見せてこなかった。

 名前を出す以上は知っているだろうと踏んで、そのまま言ってみたがどうやらその推測は当たっていたようだ。

 しかし、顔色一つ変えないとは、それもまた。

 司書は眼鏡越しに見るイーハイの目を見た。

 続きを促すかのような眼差しに、司書はリストの中身を見ながら、口を動かす。

「………今でこそ、南の大陸は『エンチャンター狩り』で有名ですが、その前は『魔女狩り』が顕著だったんです。この世界が、まるで示し合わせたかのように、魔女を嫌い始めた。というより、魔法使いそのものを忌み嫌い始めた歴史があるのですが。魔法の全く存在しない世界から来たあなたにとってはおかしな話でしょう、魔法が当たり前の世界で、魔法を忌み嫌うなんて」

 司書はなるべく、抑揚なくその話をした。

 司書自身もその時代を生きたわけではないので、実感として語れるわけではなく、なぜそのような時代があったのか、同じ世界の人間だと思っても理解しがたいものであった。

 でも、と司書は付け加える。

「──────でも、それは今も存在することです。魔法の適性を持たないものは、魔法を使える者が何か別のものに見えることがあるらしいのです。同じ種族だとして、それは変わりません。どの種族でも適性が高いか低いか、あるいは全くないか、そういうものです。だからこそ、気味が悪い。そう考える人も、数は少ないながら居ます。そういった人たちが抗議活動なんぞをしている、あなたも見たことがあるでしょう。『魔導士協会』の前に、変な看板を掲げて罵声を上げて集まる人たちを。あれがそういうものです。………」

 司書は、はぁ、と今度は露骨に溜息を吐いた。

「………ですが、もっと厄介なのは、『人狩り』です。それもいろんな形の。サファイア大陸の、未だ消えることのない傷跡です。そう、『魔女狩り』は、奴らの流した、プロパガンダ染みた、金の亡者の戯言から始まりました。正直に言うと、あなたにそのへんの本は、貸したくないです。見てほしくない」

 言いながら、ちらり…と、司書はイーハイに目線を向けた。

 相変わらず、無表情ともとれる真顔で、司書の話を聞いていた。色が無ければ精巧な像に対してでも喋ってる気分になっていたかもしれない、と司書は思う。

「………冒険者のあなたのことだ、『人狩り』についてはよく知っているでしょう。さっきの『エンチャンター』の件も。身体に属性を持ち、道具などにそれを付与できる種族。これは我々の世界で希少で貴重で、数の少ないものたちです。奴らはそれに目をつけ、商売道具にしていますよね。……ええ、それと同じです。『魔女』も商売道具だったんです、奴らのね。そういう歴史です。『魔女狩り』っていうのは」

 そこで、漸く精巧な像の一部が一瞬だけ動きを見せた。

 眉間がわずかに動いたのを、司書は見逃さなかった。

 それでも何も言わないそれに、司書はなるべく、言葉を冷淡に続ける。

「──────売れるんですよ、『女』ってやつは。いつの時代も。」

 イーハイはいっそ恐ろしいほど何の反応もしなかった。知っていたかのようだ。誰かから聞いたのかもしれない。司書は続けた。

「都合が良かったんです、そういう人売りの商売にとっては、忌み嫌われたり、希少だったりする何かは誰かの興味を引きます、どうやっても、どういう形でも。特に嫌悪は、相手に対して何をやっても良いと思わせます。無視も無関心も、やっていい。周りがそうしているから、きっと誰かがその人を救うから、関係ないのでしょう。………心に秘めた正義感ほど、偽善より役に立たないものはない。その頃というのは、ほかの歴史よりも特別にそういう時代でした。あったんです、そういう時代が。」

 司書は、段々自分が何を話しているのかが分からなくなりかけていた。頭が少し痛い。

 ただ、何か、この男には聞いてほしいという謎の焦燥感だけが、彼の唇を忙しなく動かさせていた。

 理由まで考えられる脳の余裕などなく、頭の中には知識と、何かよくわからない毒のような甘い物がぐるぐると煮詰まって溢れて来ていた。

 自分はもしかしたら、思ったよりもこの話に憤っているのかも。

 そんなふうに考えた。

「………そんな人たちがその時代をどう乗り切ったのか。………考えるだけで、理解ができそうでできない。ええ、そう、言うなれば、変な話ですが、『嫌悪を逆手に取って、好意を感じられる』形にしたから、良いだろう。そういう考えになったのです。全体的に。私にも、意味が分からない。ですが、言葉にすればそういうものとしか言いようがない。彼らは嫌悪するものを商品にするということで、何とかしたのです、納得したのです。彼らの存在をね。ええそうです、『魔女』を。」

 司書は一息に言い切った。

 口の中の奥に酸っぱいものを感じる。

 その後に残る、苦みにも似たものが口の中を支配して、思わず舌打ちをしかけた。

 しかし、誰かにぶつけることでもない。

 司書は思い留まった。

「商人たちは手っ取り早く、『魔女』を売り出した。最初は便利に使える奴隷として。外聞が悪くなると、今度は生皮を剥いで、そういう愛好家に女の皮膚として売った。それがどうかという話になると、高名な魔法使いの下に売り飛ばして、同じ魔法使いであるのに材料という商品として取り扱い、最後には腕や足をもぎ取って、変態どもに売り飛ばしたんです。残った『部位』は、慰み者にと。『ステイゴールド』における、最悪の歴史の一つです。」

 司書は吐き捨てる。

 自分の生きた時代でもないのに、その罪がのしかかるような心地なのだろう。

 いつだって、責任を取り続けないといけないのは、後代の人間である。

 理不尽な話だ。帰ってこないもののために、この先で失われてはならないものを守るために、本来の咎人でないものが、その凶行の責任を取っているのだから。

「………………。申し訳ない。本題です。『ハッペイ=マギウステルス』は、その歴史の最中、『魔女狩り』を止める方の団体に所属していた魔導師の名です。元『魔導士協会』の構成員でもあり、かつての名簿にもその名前が記されてます。それ以外の記述はありません。良くも悪くも、名声としては鳴かず飛ばずの魔導師だったのでしょう。どんな人物だったのか、どんな書籍や著書を残したのか、全く分かりません。うちの図書館にもないです。書いてすらないのかも知りませんが。私だって、たまたまそういう資料を見たから知っているくらいの無名の魔導師です。忘れられているより、知らない人の方が殆どでしょうね。」

 司書は、イーハイの目をじっと見る。

 いつの間にか、彼の目は少し伏せられていた。

 心なしか、少し頭が下を向いているようにすら思った。

 さすがの彼でも、先ほどの話は堪えたのだろうか、それとも、何か思うところでもあるのか。

 憂いとも言えない表情を浮かべる彼に、司書はどうするべきか悩んだ。

「………一つ、聞いていいかな」

「………? どうぞ」

「ハッペイという人に、………弟子は?」

「………弟子……?」

 司書は、イーハイの問いに首を傾げるしかなかった。

「いえ、流石にそこまでの記録は……。」

「そう。………ごめんね、変なこと聞いて」

「……………………。」

 やっと、笑みを浮かべたイーハイだったが、司書にはそれがこちらを安心させようとしているだけの笑顔であることが伺えていた。

 友人と断言できるような仲ではないが、お互いの性格を知らないほどの知り合いでもない、微妙な立ち位置からでも見えるほどの、………どこか疲労感のあるような、そんな顔である。

 そして、そういう間柄であることもあって、司書はそれ以上を踏み込むことをしなかった。出来なかったという方も大きいが。

 もしも、気の置けない友人であったなら、司書はイーハイに「何かあったのか?」と聞くことはできただろう。状況にもよるだろうし、お互いをどう思ってるか次第ではあったが。

 だからこそ、ここでの問いかけは、知らない人間の一面を知りたいだけの好奇心になってしまう。それは今の彼には、心配の声かけなどには該当せず、失礼にしかならないだろう。

 司書は黙って、イーハイがどうするのかを見守るしかなかった。

「………時間を取らせちゃったね。ごめん。そこまで分かれば大丈夫。色々と分かったよ」

「…………………。それなら、いいんですけど」

 司書はイーハイの言葉に、そう返すしかなかった。自分が込めた、含みに気がついたのだろう。

 イーハイは困ったように苦笑いを浮かべていた。

「…………それじゃ、また調べ物があったら借りに来るよ。あと、宝の地図でも入ったら教えて」

「…………まぁ、そんなことがあったら、あなた優先にしますよ」

 司書は、その言葉を受けて片手を上げて踵を返すイーハイをただ見ていた。

 遠ざかるその背が、ランプのなかで揺れる光に照らされながら、なんだか頼りなく揺れているように見えていたが、やはり、その背に声をかけることはしなかった。

 冒険者とは、どれだけの有名さを掲げても、気がつけば知らないところで死んでいるものでもあるのだから、多く言葉を交わしたほうが良いのかもしれない。

 自分が、言葉を交わしたいと思う内は。

 司書は己の傲慢とも思える考えに、頭を振った。






 ◇◇◇◇◇






 イーハイは、図書館を出てすぐの空の下で、大きく息を吐いた。

 遠くに人の声のさざめきの届く、大通りから少し外れた路地。

 近くの公園から聞こえる、子どもたちの笑い声、家の間を抜けていく鳥たちの囀り。

 息を吸えば、何処かの家か店か、それとも公園に露店でもあるのか、どこからか、香ばしく美味しそうな、肉の焼ける匂いがほんのりと鼻を突く。

 イーハイの横を通りがかる婦人が、「失礼…」と声をかけて図書館の扉の向こうへと入っていく。

 彼が目線を少しずらせば、この街からならどこからも見える、蒼と白亜の城────リューン城が目に入る。

 もはや馴染んだ、見慣れた光景、聞き慣れた音たちが、彼の体を包み込んでいる。

 イーハイは歩き始める。

 数日前に、仲間たちから聞いた話を思い出しながら。


 結論から言えば、イーハイはずっと宿屋『こもれび』の自室のベッドの上で昏睡状態になっていたらしかった。

 何が原因だったのかは不明だが、とにかく何をしても目を覚さず、医師の資格を持った仲間が診ても、例えば昏睡状態になるような何かが身体に起こっている訳でもなく、イーハイはただ、昏々と眠り続けていたのだという。

 今すぐに命の危険があるわけではない、と判断した仲間たちは仕方なく、交代でイーハイを見守ろうと言うことで意見を纏め、以降は今日は誰が見るか、ということを話し合って、朝・昼・夕・深夜の当番を作ってずっとイーハイの傍にいることにしたのだと聞かされた。

 当然、頭の回るメンバーも集まるイーハイのチーム『仮初探偵事務所』のことだ。早々に最悪の場合も考えられてはいた。

 それでも、粘るメンバーもいた。

 その結果に、イーハイは一週間近く、ベッドの上で呼吸と睡眠しかしていない状態であったという。

 目が覚めた時には霞む視界と、腕に付けられた何か───見ればそれは、今考えればなんのことはない、点滴であった───が先ず初めにイーハイの知覚を刺激したのを覚えている。

 その後は、何かと世話を焼かれながら、いろいろ聞かされた。

 風呂には入れないから、ひたすら男手で頑張って清拭をしていたとか、排泄関連は物を食べては居ないが点滴はしていたから普通に機能するしどうしようかと思って医療や介護知識のある仲間に任せていたとか、飲むということができないから湿らせた脱脂綿とかでひたすらに口元を濡らしていたとか。

 さながら終末期の人間を見ているかのようだったと、医療知識のある仲間からは多少複雑な顔を向けられた。

 確かに、寝ていただけだった自分の身体は、普段鍛えているのが嘘かと思うほどに動きが鈍く、また、唇は湿らせてもらってたとはいえ、ろくに栄養も取れていないからか結局は多少カサついていた。

 長い間寝ていた影響もあり、暫くはぼんやりしている時間も多かったほどだ。

 今だって、ようやく動けるようになって、外出しても良い、少しは体をほぐして来い、と言われたから、散歩をしていたに過ぎなかった。

 その散歩は、自分が持った疑問を解消したいがための別のものにすり変わったのだが。

 ………そろそろ戻らないと、心配性の誰かには怒られるだろうか。

 イーハイは歩きながら、ふと、そう考えた。

「──────…………。」

 彼は、何となく、空を見上げる。

 そこには、彼を見下ろす赤い双眸があった。

「……………何してるの、君」

「……………すまない。あなたに声を掛けようか、どうしようか……迷っていた。驚かせてしまったかな」

「あー……まぁ、うん。多少は驚いたかな……。………お迎えかな? ロウ」

「いや、そういうわけではないよ。俺があなたに会いに来ただ

「………そっか。………………」

「──────本当は、俺に聞きたいことがあるんじゃないかな、イーハイ=トーヴ」

「無いと言ったら嘘には、なるね。………答えてくれる気がしないから、聞かないだけ」

「その見識は正しい。ただより正確に言うなら、俺は貴方に、詳しくを知って欲しくない。以前話した概要……内容以上は。もう既にここにはないものだから、ということじゃない。貴方の範囲が、きっと分からなくなるから」

 ロウは寂しそうに笑った。

「あなたは俺を知っている。その事自体が、一番の奇跡。あなたにはそう伝えた。………でも、もしかしたら、その奇跡が、あなたを連れて行くべきではない場所へ誘ってしまったかもしれない。それは、謝罪するべきことだと思った。………ごめんなさい。」

「かもしれない、って話なら、君が謝ることじゃない。君が憶測で語ることなんじゃ、この世の誰にも分からないよ」

 イーハイは落ち込むロウをただ見ていた。

 許す、許さないもないからだ。

 そもそも、今の話自体、ロウが関係していて、何かの相互で引き起こしたことかどうかも分かっていなくて、そうかもしれない、以上のことがないからだ。

 確証もないことを怒れることなどない。

 ましてや相手は、宇宙の全てを知ることが出来る『全知存在』なのだ。

 それそのものである人が、「分からない」と言っている時点で、知覚が自分の周りにしか存在しないものに分かりようがあるはずもない。

 だが、代わりに。

 ………ロウには、イーハイが見たものの全ての答えが『視えて』いるのだろう。

 イーハイが見た、あの灰色の世界がなんなのか。

 あの『魔女』が何なのか。

 老人───『ハッペイ=マギウステルス』は、何をどうしたのか。

 答えの羅列が、すべて彼の中で『記憶』として、刻まれている。

 あの世界が『灰色の世界』ならば、『忘れ去られた誰かの記憶』そのもの、と考えられるからだ。

 彼はそれすらも、観ることが出来るだろう。

「──────イーハイ=トーヴ。猫は箱を開けなければ、死なないんだ。箱の中身への好奇心は、猫を殺してしまうよ」

「…………………………」

「………いや、言葉が悪かった。この世界は、………どんな世界でも。ヒトの眼の前には、何が入っているかわからない箱がある。警戒心が強くて、分からないものは開けない人もいる。逆に、強すぎる警戒心の果てに、開けてしまう人もいる。そういうものだよね、『知らない』ということは」

 ロウは目を閉じた。

「──────それなら、……一つだけ。箱を開けるヒトというのはね、もう一つある。『憧れ』だ。『憧れ』が箱を開けてしまうんだ。箱の中に、求めているものがあると、信じてる。そういう開け方もある。………君が見た繰り返されるものは、そういう話だったんだ。」

「『憧れ』………」

「うん。『憧れ』。でも、本当はどんなものだっていい。ヒトは、手を伸ばす、足を踏み出す、その一歩だけで、箱の中に猫がいるのか、いないのか、死んでいるのかを観てしまう。そのきっかけさえ掴めてしまえば、どんなことだっていいんだ。それがどんな破滅を呼ぶかなんて、普通は考えない。因果関係なんてない、と思うものだろう?」

「…………………でも、因果が繋がったら?」

「君なら分かるはずだ。それがたとえ、人の喜びを呼んでも、破滅を呼んでも……ヒトはそれを恐れた時点で停滞する。ヒトでないものになる、ヒトとして死ぬとはそういうことだから。どのみち、どう繋がろうが、ヒトは与えられたものに挑まなくてはならない」

「すごい皮肉、だね」

「俺もそう思う。そして、俺は……誰かの停滞を愛せなかった。だから、停滞したんだ」

「…………ロウ」

「いつか話すよ。あなたに、全てを。だから今は、忘れてほしい。君が見たものは」

「…………分かった。」

「ありがとう」

 イーハイは、微笑むロウをじっと見ていた。

 あの『世界』は何だったのだろうか、その疑問は尽きない。ある程度の、予測を超えない。

 でも、それでいいのかもしれない。

 一つ考えるとすれば、あの世界は忘れられることを望んでいるのかもしれない。

 ──────そういう世界なのかもしれない。

 いつか、ロウが語った、『潰えた可能性の世界』なのならば。

 それとも、『可能性を信じている誰か』の世界なのならば。

 もしかしたら、一度忘れている方がいいのかもしれないと、イーハイは考えた。






 ◇◇◇◇◇






 ─月─日

 森で食料の調達をしていたら、迷子の子供に会った。怪我をして泣いていたので、仕方なく家まで連れてきて、手当てをした。子供は、どうやらその間に本棚に入れていた絵本に目をつけていたようで、また来ると言って帰ってしまった。人攫いの類に思われたら困る。いざという時のために、今日から日記を付けておこうと考えて、現在に至る。


 ─月─日

 昨日の子供は本当に家まで来た。絵本が見たいというので、仕方なく貸し出した。読んでいる間は騒ぐこともないだろう。茶くらいは出してやった。甘いジュースではないことに少し不満そうではあったが、他にないというと素直に飲み始めた。そういう子供なのかもしれない。一冊だけを熱心に読んでいた。魔法使いの女が主人公の童話だ。研究のために持っていたものだが、子供にはただの面白い話なんだろう。


 ─月─日

 またあの子供が来た。今度は魔法の入門書はないのかと聞いてきた。ただの子供に貸すわけにいかないので、当然断った。駄々をこねるように何度も願われたが、そういうわけにもいかない。魔法の才能があったら、火遊びのように使うかもしれない。子どもにはまだ早い。学校でもない場所で学ぶべきではないのだ。絵本なら良い、と何度も言って聞かせた。


 ─月─日

 あの子供は長くても三日に一度は顔を見せに来る。親が心配しない理由が謎だ。昨今は、どこで遊んでいようと気にしないのが普通なのだろうか。時代は変わるが、そういうものか? 今日も入門書についてせがまれた。当然、見せない。当たり前だ。


 ─月─日

 なんてことだろう。あの子供の親は何を考えている。魔法学校への入学を許してくれた? 何を言っているのだ。いや、他人の家庭の決定をどうこう言うつもりはない。ここで入門書を読むよりは、正しい知識を正しく学ぶ場所で、現実を知りながら得る方がいいだろう。こんな隠遁な老人の下で、変に知識をつけるより、ずっといい。

 あの子供はもう、来ないだろう。


 ─月─日

 日用品が壊れたので、久しぶりに街の方に行った。行かなければよかったと後悔した。なんなのだ、あれは。広場に吊るされた女がいた。あれはなんだと聞いてみた。町人曰く『魔女』だという。どういうことなのだ? 罪でも犯したのだろうか。なら良いが、気味の悪いものを感じた。


 ─月─日

 久しぶりに新聞を購入した。世界では、『魔女狩り』というものが流行りつつあるらしい。そう、世界全体で。こんなことがあるだろうか? 例えば、宗教観点などでそういうものが、地域的に、局所的に起こってしまうことならば、ある。歴史を紐解けば、いくらでも。なのに、なぜ、世界なのだ? この世界は、どうなってしまったのだ。作為を感じる。何者かの。


 ─月─日

 今日は魔導士協会に顔を出した。受付も、そのなかにいる研究者共も、顔は暗かった。目も合わせようとしない。魔法使いであることを証明しなければ、入館すら許可していないような有様だ。中で話を聞いていれば、外から良くて罵声、悪くて窓に石すら飛んでくる。結界を張らないのかと聞いたら、余計にそのような町民を刺激するだけだと溜め息を吐かれた。それほどまでに、酷いのか。


 ─月─日

 新聞の記事は『魔女狩り』を肯定するものと否定するものについに完全に二分した。もはや武器のない戦争のようなものだろう。今日の新聞によると、別の大陸の魔法学校の何処かが、民衆の襲撃により休校、閉鎖寸前になっているという。何が民衆をそこまで駆り立てているのだろう。この行いを否定する新聞社は、民衆の動機についてまでを調べているようだった。『魔女なんて育てる学び舎は要らない』。それだけで、年端も行かない子供や教師が何人も。恐怖というものはそこまで人を駆り立ててしまうのか。


 ─月─日

 否定派の記事を作成する新聞者に行った。魔法使いであることを証明すると、ある程度は歓迎されたようだ。魔法使いと名乗ること自体、もはや世間では恐ろしいことの一つになっているらしい。今は『魔女』でも、明日は我が身かもしれない。そのような疑念が魔を扱う者たちの間で渦巻いている。だから、そうでない者たちは今度は疑われ、まともに話も保護もできない状態なのだという。そんな話が聞けた。


 ─月─日

 先日の話を纏める。結論だけ言えば、もう既に否定派の活動自体は開始がされている。皮肉なのは、否定派の新聞社の言うところには、自分たちが肯定派から狙われないのも、単純に自分たちを害して良い大義名分が存在しないからだ、という話だそうだ。だから否定派の、魔法使いではない者たちが動けている。本当に皮肉な話だ。無差別に弾圧されないことが、団体を支えているなどと。皮肉すぎるほど脆くて強固な防壁だ。反吐が出る。


 ─月─日

 もう一度、魔道士協会の戸を叩いた。

 誰かが動かなくてはいけないのではないかと思って。

 その一つの手にでもなれば。

 自己満足だ。たまには酒が飲みたい。

 飲みながら思い出したのは、絵本を読み耽るあの子供の顔だった。何故だろう。

 あの子は、しきりに私のことを『先生』と呼んでいた。勝手に。

 生きているだろうか。この地獄の最中に。

 魔法使いという、絵本ほど綺麗でない世界の上にできた、この地獄に。

 何故だろう。


 ─月─日

 私は間違っていた。

 私は間違っていた。

 私は間違っていた。

 私は──────

 

 ───────

 あの時、助けたりしなければ

 夢を持たせてしまったのは私だ

 現実をせめて知らせていれば

 魔法使いとは、何なのだ


 ─月─日

 あの娘が帰ってきた。

 私は受け入れた。

 あの時を忘れない。

 「私、魔女になったんだよ」

 そう笑っていた。

 あの子供。


 ─月─日

 私は、間違っていた。

 そうならば、償いをしなければならない。

 最初から、私は突き放すべきだったのだ。

 やり直しは出来ないのだから、あの時止めておくべきだったのだ。

 この身を以って、罪を償わなければ。

 ここに、償いの全てが書いてある。

 願わくば、これを読んだものに、私の断罪を。

 あの少女に、魔女に、永遠の償いを。

 

 ハッペイ=マギウステルス






 ◇◇◇◇◇







 そう。あの日だった。

 あの時、私は償いをした。

 私は、あの子のことを。

 名前も、経歴も全て。

 残さないことにした。

 出来るなら、私ごと。

 灰に消えてしまえばいい。

 こんな世界からは。

 私よ、あの日を忘れることなかれ。

 空白が永遠になるように。

 灰となって消えてしまえばいい。





(終わり)

何だったんだこの話。

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