ミラベル吸い
この三年、ヒューバート兄様は領地の立て直しに必死で、なかなか王都の屋敷に戻ってこられなかった。
そんな時、いつも傍にいてくれたのはクライヴだった。
それなのに──。
これほど長く一緒にいたのに、彼が自分を卑下しているなんて、まったく気づかなかった。
「嘘でしょ? 下賤の平民?」
コンプレックスを持っていたってこと?
いつも堂々としていて、自信満々で……。
私を小馬鹿にするし、その辺の貴族よりよほど高慢だったクライヴが??
「うん。生まれはどうがんばっても変えられない」
クライヴは私の髪に顔を埋め、スーハーしながらうなずいた。
「せめて金持ちになって、君を買えればいいなと」
はぁあああ!?
私は眉を釣り上げ、クライヴを振り払った。
「冗談じゃないわよ! 私は買われるつもりはありませんっ」
確かに今の侯爵家は衰退しているし、私は気位だけ高い没落令嬢なのかもしれない。
それに、たとえ領地を立て直せても、私の力じゃない。
だけどね、私だって誰にも頼らず生きていけるよう、勉強中なの!
クライヴに寄生するつもりなんて、これっぽちもございませんからねっ!
「離婚よ、クライヴ! 結婚したばかりだけど──うわぁあああ!?」
両手首をまとめてつかまれ、押し倒された。
その時のクライヴの表情を、私は一生忘れないと思う。
普段は年齢よりずっと大人びていて、落ち着いていて、つかみどころがなくて、意地悪で、私を簡単にあしらう大人。
それなのに──この時の彼は、余裕がまったく無かった。
「やだね、同意しません」
まるっきり聞き分けのないガキ大将だわ!
彼は私の首筋に顔を埋め、またスーハーし始めた。
「最初からこうすればよかった。君が嫌がろうが暴れようが、押さえつけて吸えば良かった」
私は芝生の上で吸われていたボス猫を思い出した。
「私はキングじゃないわよ!」
「まさか。君はクイーンだよ、ミラベル」
心外そうに言った後、クライヴは私に口づけした。
「──っ!」
あ……うそ。私はうっとり目を閉じていた。
想像していた、感情の篭らないキスじゃない。
正直、初夜の想像がつかなかったのは、クライヴのせいだ。
普段の彼を見ていると、事務作業みたいに淡々と済ませて、自分だけスッキリして帰っていくタイプだと思っていたのに。
でもこのキスは、熱があって、必死で、まったくいつものクライヴと違っていた。
私は彼のことを分かっていなかった。
「ふむむううううっ」
窒息する! 膝で彼のお腹を蹴って、ようやく放してもらえた。
「げほげほっ」
手首はまだ掴まれ、頭の上に押しつけられたままだ。
「放しなさいよ!」
「いやだ」
またきっぱり拒否された。なんてわがまま!
彼は自分の腰からガウンの紐を抜き取り、ベッドヘッドボードの隙間に通して、私の両手首を縛った。
「ちょ……何してるの??」
「君が暴れると洒落にならない」
あばらを痛そうにさすりながら、クライヴはそう言った。
「クライヴ、あなた勘違いしてるからね」
「何がだい? 力づくでは君をどうこうできないって?」
「そうじゃなくて、そもそも力づくにする必要ないって言ってるの」
「言っとくけど、俺もヒューバートもそれなりに体を鍛えている。いくらウォンさんに武道を習っていても、本来婦女子にボコボコにされるようなことはない」
私はがっくり力を抜いた。だめだわ、まるきり話が通じない。
「まずあなたね、肝心なこと何も言ってないのよ」
クライヴは目を丸くした。
「え?」
「私、それによっては暴れないわよ」
「なるほど、金額だな。言い値で買おう!」
「バカなの!?」
クライヴはバタバタする私の脚の上に跨がり、完全に身動きできないようにした。
「さて」
無慈悲な声で言い、私のナイトドレスの前ボタンに手をかけた。
「だ、だめよ」
私の声に怯えが混じる。クライヴはそれに気づき、微笑んだ。シンシアに向けるような、とてもやさしい笑みだった。
だけど、それだけじゃない感情も確かに含まれている。
「大丈夫、乱暴にはしない」
胸元に空気がすっと入ってきて、私はますます狼狽えた。
だって、あちこちにムーディーなキャンドルがあって、むしろ普段より明るいくらいなのよ!
「ランプを消しなさいよっ」
悲鳴混じりの命令に、クライヴは眉を顰めた。
「君の美しい体が見えないじゃないか」
「……美しくないもん」
思わずそう言ってしまう。
いいえ、私は美しいわよ。でもクライヴにとっては違うのよ。
「何を言っている?」
理解できないと言うように、クライヴは首を横に振った。
「君が美しくなかったら、他に誰を美しいと言うんだ」
なんだかすごく嬉しい言葉を聞いた気がしたけど、でも違う、そうじゃない。
私は悲鳴交じりに怒鳴った。
「板胸なのよ!」
二人の間に沈黙が落ちる。
しばらくしてから、クライヴが咳払いした。
「ミラベル、君はバカか」




