俺は平民だから……【クライヴ視点】
「へ? 下賤の?」
ミラベルが、パチパチと目を瞬かせた。
式では結い上げていた艶やかな黒髪を、今は解き流している。
その姿は神々しいほど高貴で、まともに視界に収められない。
眩しすぎる……。うっかり目を逸らしてから、自嘲の笑みを浮かべた。
ほら、まだこんな調子だ。まったく、ダメな男だな、俺は。
──俺はミラベルを初めて見た日のことを思い出した。
父は、恩人が売りに出していた別宅を購入し、俺たち家族はそこへ引っ越した。
ボロボロのヴィラから一転して大邸宅だ。俺たち一家はいかにも場違いで、おどおどして見えたに違いない。
だが、隣の屋敷──その恩人の本宅だ──の庭で、危なっかしいほど勢いよくブランコを漕ぐ女の子に気づき、そんな情けない姿を見られたくないと思った。
貴族の令嬢を見たのは、それが初めてだった。完全にイメージ通りの高貴なお嬢様で、思わず身構えたのを覚えている。
シンシアを食べさせるので精いっぱいだった俺は、両親と同じようにやせ細り、ひょろひょろだ。彼女の目に、どう映るのかが怖かった。
彼女から、哀れまれたくなかった。
だから胸を張り、堂々と挨拶したのだ。
もっとも、彼女の視線は俺ではなく、妹のシンシアに釘づけだったが……。
まあ、妹は可愛いからな。気持ちは分かるし、これなら隣人として上手くやっていけそうだと、その時思った。
──実際は、シンシアの取り合いになったわけだが……。
ツンケンしたミラベルを除けば、ヘビントン侯爵一家は本当にいい人たちだった。
ずっと裕福だったせいか、ミラベル以外は少し心配になるほどお人よしで、貴族の必殺技──ノブレス・オブリージュ攻撃──を惜しみなく繰り出してくる。
嫡男のヒューバートはおっとりしていて、妹のミラベルよりもむしろシンシアに似ていた。
だから、一緒にいると妙に和んだんだ。
俺は死にかけるほどの貧乏を味わっているから、そのおおらかさが逆に不安だった。
だからこそ、賢そうなミラベルがあえて番犬役をしているのだろうなと、俺は妙に納得していた。
子供心に、貴族というのはみんなこうなのだと、勝手に思い込んでいたのだ。
──だが学院に入ってすぐ、その幻想は粉々に砕けた。
王立学院の中等科に入学した際、身分で線引きされたクラス分けがあり、俺とミラベルの兄ヒューバートは、まったく別のコースに配属された。
あの時に味わった嫌な感覚は、今でもはっきり覚えている。
平民上がりの新興貴族と、古くから爵位を持つ家。
その差を、制度として突きつけられた。
兄弟同然に接してくれていたヒューバートが──ヘビントン侯爵家が、急に遠い存在になった。
あの優しい人たちが手を差し伸べてくれたのも、結局は貴族としての義務、弱者への施しにすぎなかったのだと。
無邪気でいられた子供時代は、そこで終わった。
……だが、ヒューバートは変わった奴だった。
中等科の一年生の頃から、新興貴族向けの授業に興味を持ち、しょっちゅう俺のところに遊びに来ていた。
俺は頼まれるまま授業内容を説明し、勉強も見てやった。何せ俺は学年一位だったから。
学院のカフェテラスも、建物こそ共通だが、貴族と平民でエリアが分かれていた。
にもかかわらず、ヒューバートはわざわざ混み合っている平民エリアに来て、俺と昼食を取りたがった。
そんな貴族はほとんどいない。
だからこそ、よく思わない連中も一定数いた。
俺が学年一位なのも、貴族のヒューバートに勉強を教えているのも、気に入らなかったのだ。
ある日、いつものように昼飯を食べていた時、王太子殿下の一行が通りかかった。
殿下には特別室があるらしく、カフェテリアに姿を見せること自体が珍しい。
俺はつい、しげしげと眺めてしまった。
王太子殿下が、ヒューバートを見つけてふと立ち止まった。
「やあ、ヒューバート。それは東の国の天ぷらとかいう料理だな。美味であるか?」
王族とはいえ、クラスメイトのヒューバートには気さくな口調だった。
だが当然のように、殿下の目に俺は映っていない。
王族にとって、高貴な血でない者は、ヒューバートの手元のカップと同じ扱いなのだろう。
「はい。殿下も召し上がってはいかがですか?」
「いや、私は今日はもう何を食べるか決めているのさ」
そう言って、殿下は特別席へ向かっていった。
俺とヒューバートが気にせず食事を続けていると、殿下の取り巻きの数人だけが、なぜか引き返してきた。
「おい、ヒューバート。こんなところで食べるなんて正気か?」
そう言ったのは、マスカスター伯爵家の令息だった。
確か、女を落とす手管を誇り、貴族クラスでも幅を利かせているという学生だ。
ヒューバートは天ぷらをしゃくしゃくしながら、きょとんと顔を上げた。




