こんな人、好きにならないわよ
頬を押さえて呻いているクライヴを見下ろしながら、私はワナワナ震えていた。
なんでこんな人を好きになったのかしら。
このシスコン変態メガネに惚れた──いや、惚れたなんて認めたくないけど──きっかけは、いったいなんだったのか。
私は、彼と初めて出会った日のことを、思い出していた。
あれは、ナルシストのヒューバート兄様に「侯爵令嬢なんだからもっとおしとやかにしなさい!」と説教された日。
腹立ちまぎれに庭のブランコを超高速で漕いでいた時、隣にあるヘビントン侯爵家所有の空き屋敷に、新しい一家が入ってきたのだ。
不思議な雰囲気の家族だった。貴族ではないと分かったのは、大貴族の勘ってやつね! ……と言いいけど、彼らが身なりの割りに、やけに痩せ細っていたからだ。
元は相当貧乏だったのだろうと思わせる、痛ましさがあった。
そんな一家が、買い手のつかなかった高額なお祖父様の屋敷に住むの?
──なんか怪しい……。一体何者なのかしら。
すると、一家の子供が垣根越しの私に気づき、こちらへ近づいてきた。
私より二、三歳上──ヒューバート兄様と同じ年頃の男の子だった。
背は高いのに妙にひょろっとしていて、そのくせ丸々した可愛い子豚を連れていた。
「こんにちは。君はヘビントン侯爵のお嬢様だね」
当時は「営業スマイル」なんて言葉を知らなかったけれど、今思えばあれは完全にそれだった。
子供なのに、やけに大人びている。あからさまに義理で笑っていたもの。
「侯爵には、うちの父が大変お世話になったと聞いているんだ。一同感謝している。俺はクライヴ・ステイプルトン。こっちは妹のシンシアだ。君と同じくらいの年齢かもな。あとで改めてご挨拶に伺うよ」
私は目をこすって子豚を見直した。よく見れば、確かにピンクの服を着た女の子。
一家の中で、この子だけ丸々している。
おどおど震えながら、萌黄色の瞳でチラチラ私を見上げてくるのが……きゃわゆぅぅう!
その瞬間、クライヴと名乗った男の子と目が合った。
彼は満足げに頷き、秘密を共有するみたいにウィンクしてきた。
「ふふふふ、そうだろう、そうだろう。うちの妹より可愛い生き物は、この世に居ないよな?」
いや、何も言ってないけど!?
シスコンなんて言葉は知らなかったけど、当時の私は「この男の子、気持ち悪っ……」と思ったのを覚えている。
妹より可愛い生き物は、この世にいない?
ヒューバート兄様にそんなこと言われたらゾッとするし、言われたいとも思わないのに……。
でも、あまりに誇らしげだったから……私も、彼からそう言われてみたいなって、思ってしまったの。変なの……。
その後、なぜかヒューバート兄様とクライヴはよく遊ぶようになった。
どういうこと? 取り入るのが上手いの?
だってクライヴは、平民よね? 身分の違う者同士は、話が合わないから普通は打ち解けないのよ。
でも兄様がクライヴと仲良くなったおかげで、私もあの可愛いぬいぐるみみたいなシンシアと遊べるようになった。
シンシアは、なぜか私と兄様を見るたびに目を輝かせていた。
「王子様とお姫様みたい」
そう言われたら、悪い気はしなかった。
平民は貴族と接する機会が少ないから、珍しかったのね。
ヒューバート兄様の話では、ステイプルトン氏は私たちのお父様から得た資金を元手に、さまざまな事業に参入していたという。
初めこそ、人の好いお父様にたかる悪党では? と警戒していた私だけど、どうもそういう感じではない。
彼らはメキメキと裕福になっていき、貴族にたかる必要などないくらいだったもの。
ステイプルトン氏はちゃんとした人で、ヘビントン侯爵家の恩に報いようとしているのもよく分かった。
一年ほどでステイプルトン家の家族は全員ふくよかになり──シンシアはふくよかになり過ぎたけど──上流階級の気品まで出てきた。
そして兄妹そろって、お金持ちしか入れない王立学院に入学し、屋敷では晩餐会まで開くようになった。
彼らはいわゆる新興貴族。成金の代表みたいな人たちだったの。
ただ、クライヴの目には貴公子たちと違う俗っぽさと計算高さがあるような気がした。
貴族の令息たちみたいにぼんやりしていないし、要領も妙にいい。常に目的──たぶん利益──を考えて動いているからだろう。
無駄なものはバッサリ切り捨てそう。
ヒューバート兄様が女性嫌いなのと同じで、クライヴは人間そのものが嫌い──というより、商品としての価値として以外関心がない感じ。
でもね、シンシアを見る時だけは違うの。あの鋭くて情のない眼差しがふっと和んで、デレデレになる。
私は日に日に、そんな目で見られるシンシアが羨ましくて仕方なくなった。
でも、それはまだ恋ではなかった。
むしろ理解できないことの方が多かったからだ。
たとえば──。
ある日、侯爵邸の庭でシンシアとお茶を飲んでいたら、隣の庭から「フンギャァアアアア!」という叫び声が響いた。
びっくりした私は、マカロンをもぐもぐ頬張っているシンシアを残し、棍棒を手に持ち、垣根越しにステイプルトン家の庭を覗き込んだ。
そこで私は、衝撃的な光景を目撃した。
クライヴが、野良猫をとっ捕まえていたのだ。
なんてこと! この辺りの野良猫のボスで、私が密かに「キング」と呼んでいた黒猫よ!? まあ、雌なんだけど。
クライヴなんかに捕まったら、皮を剥がされて東の国のギターみたいなやつにされちゃう!
それにしても、よく捕まえられたわね。
キングは凶暴な面構えで、近づくことすら怖いのに。
クライヴは、キングの首根っこを掴んでぶら下げ、無感動に見下ろしていた。
私が生唾を飲み込んだその瞬間、彼はキングを芝生に仰向けに押し倒した。
そしてギャーギャー喚くキングの両手足をまとめて掴み、思い切り体を引き伸ばした。
この人、そのままボス猫を排除するつもりなんだ──情が無い……そう思った次の瞬間、彼は毛だらけの腹に顔を埋めた。
「…………」
私は何が起きているのか理解できず、垣根の陰で固まった。
スーハースーハーと、キングのお腹に顔を押しつけて深呼吸しているじゃないの。
見ているだけなのに、猫アレルギーの私の鼻がムズムズしてくる。
うっかりクシャミをした途端、クライヴがハッと身を起こした。
刹那、キングに思い切り引っかかれたクライヴ。
私は彼が顔を押さえて転がり回っている隙に、シンシアのいるテラスへ全力で戻った。
私は何も見ていない!
青ざめた私の顔を見て、シンシアが心配そうに「どうしたの?」と聞いてくる。
自分の兄が変態だって、この子は知らないのね。
「な、なんでも? ……クライヴって、人より猫が好きなのかなーって」
シンシアはにっこり笑って──かわゆっ──こう答えた。
「あのね、お兄様は動物は全部好きよ。でも猫だけは絶対に飼おうとしないの。人に飼われちゃいけないんだって」
嫌だぁ……なんか怖い。
その時は……好きになるなんて思わなかった。
だってそうでしょ? 真性の変態よ?




