豚にムラムラしないでしょう?
突然イケメンが訪ねてきたと、館は大騒ぎでした。こういうところが、普通のお屋敷のメイドとは違うのです。
「お嬢様やるーぅ! 彼氏だっぺか? でも青痣だらけだべさ。その筋の人だか?」
「超カッコいいべさ。俳優だべ? 顔のケガ、特殊メイクけ?」
マーガレットが慌ててメイド仲間を追い払いました。
「お客様には言葉遣いちゃんとしなって、いつも言ってっぺよぉ!」
そう言うや否や、ヒューバート様にチンゴスマンとオパイナポー、どちらを食べますかと迫ります。
「あの……王都の屋敷の温室にあったものです。やはり日差しが強い地域の方が美味しいの。どうぞ召し上がって。棒状の部分は甘酸っぱくて、根元の二つの玉みたいなところはジューシーですよ」
「へー、変な形の実なんだね」
フォークでつつくヒューバート様を眺めるだけで、胸がときめきました。
自慢のお顔がボコボコでも、それはそれで絵になると言いましょうか……色っぽくて素敵。
まさか、もう一度お会いできるとは。でもきっと、勝手に消えたわたくしに怒りをぶつけに来られたのでしょう。
殴られたような痛々しいお顔を見て、マーガレットの言葉を思い出します。
『クライヴ坊っちゃまが、まさか離婚ではなくまた婚約破棄とはな、とおっしゃって……それをご両親とヘビントン侯爵兄妹が聞き咎めて、締めあげられておりましただ』
クライヴ兄様と喧嘩になったのかしら。
「そのお顔……何があったか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
ヒューバート様はニッと笑いました。
「だめ」
直後、切れた唇が痛んだようで顔を歪めます。
わたくしは戦慄しました。結婚式直前に振られた格好になったヒューバート様のプライドは、さぞズタズタではないかしら。それで兄様と殴り合いに?
もっと頃合いを見て離婚していれば……。
いえ、ヒューバート様をバツイチにする必要など無くなったのです。それに何より、これ以上そばにいたらナディーン様に渡したくなくなっていたでしょう。だから仕方無かったのです。
「うん、甘くて美味しい」
チンゴスマンを口に運んだあと、ヒューバート様が微笑みました。
けれど妙に張りついた、陰のある笑顔に見えます。これは……作り笑い?
沈黙が落ち、わたくしの額に変な汗がにじみはじめた頃、彼が口を開きました。
「さっきの農園の男──」
てっきりなじられるのかと思い身を竦ませたわたくしは、キョトンとしました。
「え? ベンのことですか?」
「……あいつ、君のこと好きなんじゃないの?」
はい???
「筋肉がすごくて、あの色黒。現場男のフェロモンを感じた。君のために、わざと焼いて鍛えたんじゃないかな」
「そんなわけございません! 妻子持ちですし──」
「しかし、君はああいうタイプの男が好きなんだろ?」
「パンチパーマですわよ? え……わたくし、好きな男性のタイプなんて申し上げました?」
だいたい、わたくしの好きな男性はヒューバート様なのです。金髪をパンチパーマにしても、ヒューバート様なら好きなのですわ。
彼は「いや、なんでもない」と少し赤面しながら呟きました。
再び沈黙が続き、そわそわし始めた頃、彼がボソッと尋ねました。
「……君は僕のこと、やはり嫌いになっていたのだろう?」
「ええっ?」
わたくしが唖然としていると、ヒューバート様はフォークを置き、静かに続けました。
「シンシア。君は、うちの両親の遺言の犠牲者だった。君たちステイプルトン家が義理立てするため、そして持参金で援助するために、君が僕と結婚することになったのは、分かっていた。でも僕は、君がまだ僕なんかを好きでいてくれたならと……」
痣だらけの顔をかすかに歪めます。
「だが、君自身がここまで僕との結婚を嫌がっていたなら、それはもう残酷な犠牲だ。そんなの間違っている」
きっぱりとした口調でした。
「僕は何度君に嫌な思いをさせれば──。こんなことなら、最初から素直に資金援助の申し出を受けていれば良かった。クライヴから命じられたの?」
「そんな! 兄様は借りを作るのが嫌いなだけで、無理やりではございません!」
ヒューバート様は少し安堵したようでした。
「ヒューバート様こそ、わたくしに気を遣って娶ろうとなさるから……」
「気を遣う?」
「義務感ですわ。この先結婚などできそうにない、妹分に対する……」
今度はヒューバート様が、ポカンと口を開けました。
わたくしはアポーのフレッシュジュースを飲み干し、大きく息をつきました。
「わたくしね、ヒューバート様が思ってらっしゃるより、ずっと醜いんですの」
「醜いって……君はやはり、まだあの時の言葉を気に病──」
「だって本当のことですもの。ヒューバート様を好きだったからといって、ナディーン様に讒言して引き裂くなんて、いけないことですわ」
「それはもういいって──」
「性根まで醜い女なのです」
ヒューバート様の言葉を遮り、わたくしは晴れ晴れと続けました。これは地母神ギャイアがくれた懺悔の機会ですから、全て聞いてもらいますわ。
「今回だってそう。この期に及んで、まだヒューバート様の妻になりたかったのです。それに──気づいてしまった……」
腫れた瞼を見開き、ヒューバート様はじっと耳を傾けてくれています。
「ヒューバート様は、わたくしではダメなのだともう知っているのに……。わたくしは学習しない馬鹿なのです。豚なのに馬鹿なの。いえ、豚にも馬にも鹿にも失礼なゴミですわ」
ああ……またこんなこと……わたくしったら。育ててくれた両親に申し訳ないわ。
「とにかく、三年前あなたを不幸に陥れたわたくしが、また同じようにナディーン様との仲を引き裂くなんてできません」
スカートをもじもじと握りしめます。
「ナディーン様は──ジョシュア卿には申し訳ございませんが──ようやく独り身になられたの。これでやっとヒューバート様と想い合えるのに……わたくし、また……」
顔が上げられません。
「わたくし、ヒューバート様と別れたくなくて……あの場で駄々をこねたくなってしまいました」
見透かされそうで、だから逃げたのです。これ以上、醜い自分を突きつけられたくなくて。
なにも成長していない豚のまま、軽蔑されるくらいなら、消えたかった。
「どうかお気になさらないでください。この気持ちは墓場まで持っていくつもりでした。ですが、離婚する気で縁談を受けたのは本当です。もちろん、あんな風にヒューバート様の名誉を傷つけるつもりはなく、もっと自然に……」
ヒューバート様が優しいから、欲が出てしまったのです。恥ずかしい願望。
その時、ヘイゼルの瞳が曇りました。
「……どうして、僕が君ではダメだと?」
その声に、わたくしは目を逸らしました。
「聞き方を変えよう。なぜ離婚するつもりで縁談を受けたんだい?」
猫なで声が怖くて、答えずにいられませんでした。
「こ、後継者です」
恥ずかしさで地の底まで沈んでしまいたい。
「後継者ができません! ヒューバート様は、わたくしにはムラムラしないのです! 欲情しなければ、子作りできません!」




