ゴミのところにヒューバート様……ですわよね?
翌日のわたくしは、朝からぼんやりしておりました。
教会での挙式、パーティーの料理……そして招待客への説明。冷静になればなるほど、気になってきたのです。
──一連のすっぽかしを、どう処理したのかしら。
けれど逃げ出した以上、わたくしにはどうにもできません。クライヴ兄様がうまく計らってくれていると信じるしかないのです。
披露パーティーの開催される時間になると、罪悪感に押し潰されそうになっていたので、わたくしは農園の見回りへ出て、強引に気分転換を図りました。
愛馬チャッピーは、ちゃんとわたくしを覚えていました。
しかし、わたくしがいなくても農園は滞りなく回っているようでした。
それは当然です。労働監督者もおりますし、ここで働く方々は自分の収益のために動いているのですから、見回りなど必要ないのです。
つまり──わたくしは、ここではもう要らないということ。
虚しさを抱えたまま馬を進めていると、ふと思ってしまいました。
ひょっとしてヒューバート様は、花嫁を代えて結婚式を決行したのでは……?
きっと、わたくしのドレスはナディーン様が着たのでしょう。
結婚式も農園と同じく、わたくしなど不要なのです。
思わず薬指に嵌めた真珠の婚約指輪を、ギュッと握りしめました。
分かっているでしょ、わたくしが消えても世界は正常に回るの。次にするべきことは、ひっそりとこの世界を構成する歯車のひとつになること。
──ゴミのように、不要な歯車ですが。
すぐに頭を振りました。やめなさい、シンシア。こんなことを思うのは、育ててくれた両親に失礼ですわ。
わたくしが役に立つ道を考えましょう。
ええと……そう! まずは王都へ生の南国フルーツを進出させるのですわ!
各果樹園の実りをひとつひとつ確かめつつ、逃避を兼ねた輸送計画を練っていた時、西日の差す農道を一頭の馬が走ってくるのが見えました。
荷馬車ではなく、わたくしと同じ乗馬。労働監督のベンではありません。彼は今、反対側でナババの実を収穫しているはず。
それに、トップハットを被っているので労働者ではないでしょう。
「お客様? 買い付けの方かしら」
慌てて馬を返した瞬間、相手はこちらに気づいたのか、急に鞭を入れ、凄まじい勢いでこちらへ向かってきました。
「わっ、わっ、わっ!?」
恐ろしくなり、わたくしは反対へ馬首を切って走らせます。
追われれば逃げたくなるのは家畜の性なのでしょうか。
蹴り込みすぎたせいで、舌を噛みそうな速度で走り出した愛馬の首に、わたくしは悲鳴をあげてしがみつきました。
「ど、どうどう、速すぎますわよ、チャッピー!」
泡を吹きながら暴走するチャッピー。農園労働者たちが叫びます。
「お嬢様あぶねーだよ!」
「手綱ば引いてくんろっ!」
声は後ろへ流れ、ボンネットは吹き飛び、ヘアバンドまでずれてしまいました。
「チャッピー止まりなさいっ、チャッピー! ひぃっ!?」
前方はカーブ。このままでは農業用水路にダイブです。
その瞬間、隣へ並走してきた大きな馬と騎乗者が、わたくしの馬の手綱を引きました。
チャッピーが後ろ足で立ち上がり、ひっくり返る寸前、彼はわたくしを自分の馬へ抱き寄せます。
「チャッピー!」
ひっくり返ったかと思えばすぐに立ち上がり、ぶるぶると頭を振りました。
「大丈夫。馬は落ち着いた。ケガもない」
ホッとしたような声に、ドキッと心臓が跳ねました。振り仰ぐと金の髪、ヘーゼルの瞳。
「ヒューバ……っっ??」
ヒューバート様──ですわよね?
その貴公子は、ボコボコに腫れた顔で、額の汗を拭っています。
「まったく、なんで逃げたの」
「…………」
言葉の出ないわたくしを前に抱え直し、ヒューバート様は屋敷の方向へ馬を進めます。
声は穏やかですが分かります。これは怒っている時の猫なで声。
以前、婚約破棄を告げられた時のあの声です。
腰を抱く腕にはしっかり力がこもり、絶対に逃がさないという意思が伝わってきます。
「ひゅ、ひゅー、ひゅ」
ヒューバート様、と呼びたいのに、恐怖で息漏れのような声しか出ません。
「申し開きは屋敷に戻ってからにしてくれる? もう日が沈むというのに、ここは日差しが強い。お互い日に焼けて黒くなっちゃうよ」
ヒューバート様もトップハットを飛ばされたのですね。
いえ……突っ込んでいいのかしら。
日焼けどころではなく、その顔が青痣だらけなのですが……。
「あの……結婚式は?」
おそるおそる尋ねると、ヒューバート様はさらりと答えました。
「予定どおり、今日の午前中挙式したよ。終わってすぐ来た」
鳩尾にガンッと殴られたような衝撃。ではもうナディーン様と夫婦……。
「新郎がボコボコの顔だから、みんな怪訝そうだった」
ヒューバート様がぼやいたその時、水路から帽子を拾ったベンが水を払って差し出しました。
「お嬢様を救ってくださり、ありがとうございました。見事な手綱捌きだ」
ヒューバート様は、彼の上腕二頭筋や胸筋を見てからそっけなく告げました。
「礼には及ばない。僕の婚約者だからね」
その言葉に、わたくしは目を丸くしました。




