豚ではなくゴミなのです!
何か言いかけたヒューバート様に、ナディーン様がタックルしてしがみついたのを尻目に、わたくしは着の身着のまま屋敷を飛び出していました。
そのままそこにいれば、すべて見透かされてしまう──そう確信したからです。
昔、わたくしが二人にどんな仕打ちをしたか。そして今のわたくしが、結局はあの頃と同じ醜い思考に沈んでいたことまで……。
知られたくありませんでした。誰にも。
だからもう、考える間もなく逃げるしかなかったのです。
幸い、上流階級の令嬢らしからぬ行動力はありました。
閉店間際の質屋へ飛び込み、女々しくペンダントにしていた偽婚約指輪を売り払い、換金したお金で上着を買って辻馬車を捕まえ、出来たばかりの真新しい匂いの駅へ向かいました。
夜行列車の切符──空いているなら何でもよかったので、雑魚寝の二等客車──を買い、そのまま夜通し移動しました。
乗り換えを繰り返し、わずか三日で自分の農園に戻れたのです。鉄道とは、なんと便利なのでしょう。
けれど、ようやく冷静になると、罪悪感で胸がシクシク痛みました。何もかも投げ出し、マーガレットすら置き去りにして逃げ帰ってしまったからです。
当然、農園の使用人たちは仰天しました。
手荷物一つ無くゲッソリした顔で戻ったわたくしを風呂へ放り込み、頭のてっぺんからつま先まで磨き上げ、さらに南国のフルーツを細かく切って口へ詰め込んできます。
「お嬢様、まるで三年前のミイラを思い出しますだ。まさか髪の毛まで抜けてねーべな?」
そうよね、せっかく生えてきたというのに。二回目の婚約破棄なのに、これほどダメージを受けるなんて。
わたくしは、失望していました。でもそれは、ヒューバート様をナディーン様に返すことになったからではありません。
誰であろうとヒューバート様を渡したくなくなっていた、自分自身にです。
あわよくば、このままわたくしだけのヒューバート様にできるのでは──そんな淡い期待を持っていたことが恥ずかしかったの。
結局、三年前と何も変わっていなかったのです。思い込みの激しい、イタくて醜い豚女のまま。
そんな自分を知られたくなくて、逃げだしてしまった……。
使用人たちはすぐに速達を出し、わたくしが無事であることを知らせてくれました。
けれど黙って姿を消すなんて、まるで家出。
今頃、お父様もお母様も、クライヴ兄様も半狂乱になっていることでしょう。
どうしてわたくしはこう、考えが足りないのでしょう。
消えてしまいたい……わたくしは無言でオパイナポーをフォークに突き刺しました。
三日ぶりのまともな(?)食事でした。列車で隣の小父さんから分けてもらったお弁当やお茶だけでは、やはり足りません。
味などしないと思っていたのに、やっぱり農園のフルーツは美味しい。前もこれに救われたのよね。
しかし一口ごとに、フルーツはどんどんしょっぱくなっていきました。
使用人たちは顔を見合わせ、ハンカチで目元を拭ってくれます。
ところがその日のうちにマーガレットが戻ってきました。
なんて素早いのでしょう。下手をすれば、わたくしより乗り継ぎが上手かったのかもしれません。
「お嬢様、酷い! どうしてわたくしまで置いていってしまっただか!」
そしてわたくしの顔を見るなり悲鳴を上げました。
「顔パンパンでねーか! まるで豚畜生だべ!」
歯に衣着せぬ物言い、嫌いではありませんが……。
彼女は急いで水で絞ったタオルを顔に押し付けてくれ、その冷たさにわたくしはうっとり目を閉じました。
「また泣くぅ……冷やしても冷やしても追いつかないっぺよ!」
マーガレットに怒られ、どうにか涙を堪えました。
「王都は大変なことになっているわね。皆怒っている?」
わたくしの問いに、マーガレットは思い出すように目線を上げます。
「クライヴ坊っちゃまが、まさか離婚ではなくまた婚約破棄とはな、とおっしゃって……それをご両親とヘビントン侯爵兄妹が聞き咎めて、締めあげられておりましただ」
わたくしが離婚するつもりだったことが、バレてしまったのね。
「でもクライヴ坊っちゃまは悪くないだ。遺言で縛るだなんて、シンシアお嬢様が可哀想だべさ」
「縛る?」
「政略結婚だべさ。離婚前提だったってことは、あのイケメン貴族のことお好きではなかったっぺさ?」
勘違いしているマーガレットに、わたくしはブンブン首を振りました。
「とんでもない、だって彼は高嶺の令息よ? こんな醜い女には似合わないわ」
「どこが醜いですだか?」
マーガレットは呆れた声を出します。
「あなたもさっき醜い豚畜生って言ったじゃない」
「あいやっ! あれは比喩だべさ。第一、豚は神が与えたもうた至上の生き物だべさ──」
「そうよ、豚は可愛くて美味しいの。わたくしの存在は豚に失礼なのよ。中身はゴミ以下だもの。誰にも見せたくないの」
涙が止まりません。そしてついに、マーガレットに白状してしまいました。
「わたくし、離婚したくなくなっていたの! 身の程知らずのゴミで、心の中はドロドロとどす黒くて、生きている価値がないの!」
「まったく、どうしてこんな風になってしまったんだべか……」
マーガレットは途方に暮れ、深く息をつきました。
彼女は知らないのです。今回のことは自業自得──わたくしは、あるべき場所に愛しい人を返しただけなのだと……。
「そ、それで……ヒューバート様とナディーン様は?」
この期に及んでも、性懲りもなく聞いてしまう自分が嫌。けれど、どうしても気になってしまうの。
「そのご婦人、ヒューバート様にしがみついて離れようとしないもんだから、このマーガレットに『早くお嬢様を追え!』とヒューバート様がお命じになっただ。ナディーン様とやらは、まるで鮫……いや、スッポンみたいなご婦人ですだよ」




