この豚めに需要があるのでしょうか……
結論から申しますと、結婚の準備が整うまで領地で過ごした一週間は、とても有意義でございました。
同衾には……やはり一生慣れない気がいたします。けれど彼が落ち着けるなら、この豚のハツ──心臓くらい破裂しても構いません。
ただ、朝になると胸元や首筋に妙な痣が増えているのが気になりました。南部のように蚊でもいるのでしょうか。痒みはないのに。
それなのにヒューバート様は刺されていないと仰る……わたくしの血が甘いのかしら? 今はそんな季節ではございませんのに。
ストーンヒルズ夫妻が仕事を終えて戻っていったことも、心の余裕につながりました。
ナディーン様がいると、どうにもわたくしは醜い女に成り下がってしまいますから。
そして何より、ヘビントン侯爵家の家令が領地の事業計画書を見せてくださったことが、一番の収穫でした。
離婚するその日まで、ヒューバート様を支える──それが大事なのです。
「驚いたわ。羊を売る予定があるのね!」
わたくしの持参金は結婚式の費用ではなく、地代だけでは賄えない国税に充てられる予定だったようです。
けれどヒューバート様のおっしゃるとおり、これならすぐ返済できそうな気がいたしました。
「さすがヒューバート様。戦争をしていた北部の国に目星をつけていたなんて」
エロスト王国とはようやく貿易協定が結ばれたばかりで、債務返済の当てとしては不安もあったのでしょう。
だから家令のウェルターさんにも詳しいことは伏せていたようです。
「旦那様が金策に走っていたことは存じておりますが、そんな遠方にまで足を運んでいらしたとは」
王都の屋敷に戻られなかった理由も腑に落ちました。失敗を考えれば怖かったはずです。プライドの高い方ですもの、成功が確実になるまで一人で動かれるのでしょう。
けれどもう取引は成立しています。
ステイプルトン家の領地は南部で戦とは無関係ですが、エロストとの貿易に乗り出す者はこれから増えるはず。
敗戦で流れた富は商売で取り返す──ヒューバート様はその先駆けなのですわ。
「鉄道開設のおかげね。貨物列車で羊を運べるようになったもの」
ウェルターさんも満足げに頷きました。
「取引相手は『蛮族』だの『戦闘民族』だのと噂されていて半信半疑でしたが、なんと王族ですよ。国内のケバブ屋より高値で買い取ってくださるそうです」
これでこの家令も、羊を売り飛ばす隙を探さずに済みそうです。
「代金は砂金でお支払いいただけるとか」
「砂金が採れるなら金の鉱脈があるはずだと、ジョシュア卿が仰っていましたわ」
「では今後も続きそうですね! 実は旦那様、この領地のワインも営業してきたようでして。北部の民の好みそうな葡萄の苗を植えて準備中です」
羊毛増産の御触れが出る前、この領地の主な収入源はワイン用の葡萄だったと聞きます。
羊を売った後は、それを再び主軸にするのですね。衰退する貴族にならぬよう、彼はきちんと考えていらっしゃる。
ウェルターさんはしんみりと言いました。
「先代が亡くなってから、坊ちゃ──旦那様は領地を案じ、寝る間も惜しんで勉強しておいででした。ご結婚と伺った時は、心の負担が僅かでも減るのではと……これからはシンシア様が『癒し』となってくださるのだと、胸をなでおろしたものです」
その時わたくしは、ステイプルトン家がヘビントン侯爵家の窮乏を救おうとするなど、おこがましかったのでは……と思い始めました。
税が重いのは確かですが、立て直す当ては十分あるのですから。
ざっくり収支を計算しても採算は取れそう。年末の土地税だけステイプルトン家が肩代わりすれば……。
もっとお役に立てると思っていただけに、落ち込みました。
ウェルターさんには悪いけれど、わたくしなど本当に『癒し』になるのかしら……もう必要ないのでは?
その時、ヒューバート様がひょいと顔を出し、書斎を覗きました。ウェルターさんは慌てて姿勢を正します。
「終わったかい? お茶にしようか?」
目の下に隈のできたヒューバート様。
使用人が減ったせいか、執事も家令もいるのに、一昔前のお父様やお兄様のような社畜ぶりです。眠れていないのでしょう。
やはりわたくしの乳枕では『癒し』にならないようです。お昼寝でもなさればいいのに。
「ヒューバート様、お気遣いなく。ウェルターさん、ありがとうございました」
「お役に立てて光栄です。マナーハウス維持の帳簿は執事エリックへ」
帳簿を返し立ち上がると、ウェルターさんが照れたように頬を赤らめて言いました。
「それと、ウェルターとお呼びください、奥様」
「お、奥様ではございませんっ」
「気が早かったですかな」
笑って去るウェルターさん。
ヒューバート様のもとへ戻ると、彼はじっとりした目でウェルターさんの背中を睨んでいました。
「どうかなさいました?」
「あれはまだ独身なんだからさ」
ええ、お若い方ですわよね。
「彼のお見合い相手でもお探しですか?」
メイドのマーガレットなんて良さそうですが──
「そうじゃなくて、あまり笑顔を向けないでもらえないか」
ぶすっとした表情で言われ、思わず目を丸くしました。頬をさすりながら尋ねます。
「わたくしの笑顔、おかしいですか?」
──そこまで醜いのでしょうか。顔は痩せて小さくなったとはいえ、急に肉が落ちて皮がたるんでいるのかもしれません。
「君はどうしてそこまで無自覚に相手を──」
ヒューバート様が言いかけたその時──
「旦那様、奥様、お茶のご用意ができましただ!」
マーガレットが割って入りました。
「お嬢様でしょ、マーガレッ──」
「いや」
訂正させようとしたわたくしを、ヒューバート様が止めました。
「どうせもうすぐそうなるんだ。慣れておいた方がいいだろう」




