豚の乳枕
ヒューバート様は、凍りついたように静止してしまいました。
やがて、錆びた蝶番が軋むような緩慢さで首を動かし、わたくしのナイトドレス越しに太腿を凝視なさいます。
そして目をぎゅっと瞑り、口の中で何ごとか悪態をつぶやいた後、ゆっくり横になられました。
三年ぶりに、ヒューバート様の頭の重みが太腿にかかります。さらさらの髪の感触が、薄い布越しに伝わってきました。
──ああ、やっと。やっとですわね。膝枕だけは、唯一わたくしがあなたにして差し上げられること。
涙ぐみながら耳元で囁きます。
「……どうですか?」
「ま、前より、クッション性が……」
狼狽したように呟くと、彼はすぐに起き上がってしまったではありませんか。
わたくしはがっかりいたしました……自分に。
俯いた彼の顔は長い前髪に隠れて見えません。ですが、耳が真っ赤になっているようでした。
失望させたのでしょうか。前のようにリラックスさせられなかったから。
まだ太腿はムチムチしていたはずですが、やはり肉が落ちすぎたのかもしれません。
そういえば、クライヴ兄様は軽々とわたくしを持ち上げていましたもの。
今のままでは需要がないのですね……。
お兄様の言うとおり、もっとムッチムチに太った方が良かったのかしら。
まったく! わたくしはどこまでも役立たずの醜い豚女です。
「寝ようか」
低くざらついた声に、わたくしは深く落ち込みながら頷きました。
「申し訳ございませんでした」
すごすごとソファーに戻ろうとした瞬間、二の腕を掴まれます。
「どこいくの?」
「え?」
彼は大きなベッドの上掛けを剥ぎました。
「慣らすために呼んだんだ。隣に寝てくれなきゃ」
事務的な声でしたので、わたくしは大人しく従います。
でも──寝相が悪いから潰してしまうかもしれません。
体重は軽くなったとはいえ、胸はやたらプリンプリン。寝返りで彼の顔面に乗ってしまえば、窒息させてしまいそうなのです。
あ、でも最初からわたくしが下にいれば、彼の上にこの肉塊が乗ることはないのでは?
「ヒューバート様。太ももより胸の上に頭を乗せた方が、ご満足いただけるかも。枕がわりに」
水をゴクゴクと飲んでいたヒューバート様が、ぶふぁぁあっ! と吹き出しました。
「ぐはっ! カハッ! げほげほげほっ!」
「だ、大丈夫ですか」
激しく咳き込みしばらくのたうち回った後、ようやく落ち着いた彼は、何かやらかした人を見るような目でわたくしを睨みます。
「誘っているのかい?」
「胸枕を? ええ、そうですが」
「いや、そうじゃなくて……」
──この子はまさか、自覚が無い? と彼が呟く声が聞こえました。
失礼な。豚の自覚があるからこそ、間違って彼の上に乗らないように重しになってほしいのです。
「ヒューバート様、もういいかげんわたくしだって大人です。自分のことくらい分かっております」
憤慨して申し上げると、彼はたじたじになりました。
「たしかに前より痩せました。でもまだ胸とお尻は凶器ですわ。圧死させてしまいます」
「確かに凶器だが、そういう意味ではなくてだね。君は女性としての自分をなんだと思っているんだ」
あまり言いたくないことを言わせないでください。黒歴史なのです。
「あれだけ学院の皆から言われたら、目が覚めますわよ。そこまでバカではございません」
正確には、ヒューバート様からきっぱり突きつけられたからですわ。
真綿に包まれて育った幻想は霧散し、現実を見るようになったのです。
「さ、いらしてください」
仰向けに寝転がり手を広げると、ヒューバート様はしばらく顔を赤らめて見下ろしていました。やがて、意を決したかのように、顔を胸に沈めたのです。
「……やふぁらふぁい」
「ち、窒息しますわよ。逆です」
渋々向きを変え、彼は仰向けになりました。
胸がふわりと擦れて、なんだかソワソワするような妙な気分になります。
「重いだろ?」
「ぜん……ぜん……温かくて、気持ちいい」
少しでも彼が、昔の膝枕と同じようにリラックスしてくれますように。
そう願いながら髪を撫でているうちに、わたくしの方が先に眠りに落ちてしまいました。




