醜い豚だと分かっているの
「明日領地へ戻るだなんて、性急すぎやしないかい?」
舞踏会帰りの馬車の中で、クライヴ兄様がヒューバート様に問いかけました。
「しかし、僕が監視していないと、家令が勝手に羊たちを食肉加工屋に売り飛ばそうとするんだ」
「いい家令じゃないか」
「どこが!」
兄様は呆れ顔です。実のところ、わたくしも同じ気持ちでした。どうしてこれほど頑なに、羊を売ろうとしないのでしょう。
「君が領地にかまけてばかりでは、王都の屋敷を切り盛りしている妹が寂しがるだろう?」
兄様はさらにボソッと付け足しました。
「変な男も近づいてくるし」
その言葉にミラベルが目を丸くします。
けれどヒューバート様は、信頼しきった調子でおっしゃいました。
「だから、君に任せているんじゃないか。兄同然なんだからさ」
クライヴ兄様は一瞬言葉に詰まり、すぐにトップハットのつばを下げ、目深に被り直しました。
「俺はどうやら、ミラベルの兄にはなれないな。妹はシンシア一人で充分」
そう言って、わたくしの頭をぐりぐり撫でまわすのです。マーガレットが必死で整えたヘアスタイルが、台無しになってしまいますわ!
ミラベルはプイッと顔を背け、真っ暗な馬車の外へ視線を投げました。
「こんな鬼妹が居たら、気が休まらないでしょうしね」
ヒューバート様は苦笑を浮かべます。
「確かに君たち二人が揃うと、いつ喧嘩が始まるかと冷や冷やしっぱなしだ。気が休まらない」
ミラベルが膝の上で拳を握りしめるのを、わたくしは見てしまいました。ミラベル……?
「だろう? だからヒューバートが傍にいてやらないと」
「結婚式までには戻るよ」
ヒューバート様は、わたくしの方を見ずにそうおっしゃいました。
もしかして、単にわたくしの傍にいたくないだけではないかしら?
それも当然ですわよね。この醜い豚女とは、離れていた方がいいに決まっています。既に結婚しているナディーン様にまで、焼き餅を焼いてしまうような豚ですもの……。
それに高潔な彼のこと。お金目的で婚約したのでは? という周囲の視線に晒されるのも嫌でしょう。
わたくしが傍にいる限り、その疑念はずっと付き纏うのですから……。
ならば、わたくしが身を潜めているべきでは? ミラベルがヒューバート様と兄妹水入らずで過ごせるように。
「羊が心配なんだよ。とにかく、一度戻らないと」
ヒューバート様が根気よく兄様へ言ったその時、ミラベルがふと思い出したようにわたくしへ話題を振りました。
「そういえばシンシア、アーサー殿下に随分絡まれていたじゃない」
急に話を振られ、わたくしはドキマギいたしました。隣のヒューバート様の肩に、なぜかピクリと力が入ったのが分かります。
皆を安心させるためにも、わたくしはきっぱり主張しました。
「大丈夫でしたわ。昔のように、いじめられたわけではございません」
「昔はいじめられていたのかい? 学院で?」
驚いたように、ヒューバート様が尋ねます。
わたくしが彼の顔を見返すと、ヘイゼルの瞳が挙動不審に泳ぎました。
優しい彼は、いじめられていたと聞いて動揺してしまったのね。
「いえ、本当のことをはっきりおっしゃる方だっただけでございます。わたくしは勘違いの自惚れ女でしたので」
今思い返しても、恥ずかしくて死にそう。二度とあんな風に、自分を可愛いだなんて思わないようにしなければ!
ミラベルが腕を組み、首を傾げました。
「あら、昔は豚とかデブとか罵られていたじゃない? たとえ本当のことでも、あれは立派ないじめよ」
「ミラベル、君はどうしてそんなキツいことを言うんだ」
クライヴ兄様がミラベルを睨みました。
「シンシアは今も昔もシンシアだ。変わらず、誰よりも可愛い。なあ、ヒューバート」
ヒューバート様は一瞬遅れて、上擦った声で同意されました。
「も、もちろんだとも! かか、か、変わらず可愛い!」
ヘビントン侯爵家の兄妹は、嘘が下手なところが似ています。ミラベルは明らかに苛立った様子でした。
「お兄様たちがそんなだから、シンシアは──」
「ミラベル」
わたくしは顔を覆って、彼女の言葉を遮りました。
「大丈夫です、わたくしは分かっているのです」
自分が醜い豚だと、今は誰よりも知っているの。
だって正直なヒューバート様から、過去にそう言われたのですから。
顔から火どころか血が吹き出しそう。だからもう、容貌の話はやめて──。




