社交界の豚バラ
温暖化が続いているとはいえ、国の北寄りにある王都の夜は、やはり少し冷えます。
わたくしは、濃い緑のベルベットのドレスに白テンのポンチョを羽織り、馬車を降りました。
支えてくれた白手袋の手が下げられ、今度は腕が差し出されます。わたくしはおずおずとそこに手を置きました。
ヒューバート様は、先ほど買ったばかりの燕尾服にすぐ着替え、屋敷まで迎えに来てくださったのです。
最初に彼の正装姿を見た時、言葉が出ませんでした。その優雅な姿に、ため息だけが零れてしまって……。
ヒューバート様が着れば、オートクチュールでなくても唯一無二の燕尾服になりますわ。
ドレス姿のわたくしを見て、ヒューバート様も黙ってしまわれたので、隣にいたミラベルが代わりに褒めてくれました。
「すごいわ、素敵よシンシア」
ミラベルは渋いバーガンディのドレス。濡れたように艶のある長い黒髪を高く結い上げ──その姿は、まるで女王のよう。
ヒューバート様の隣に並ぶと、ゴージャスすぎて目が潰れそうでした。
なんですの、この兄妹……。
「当然だろ、ミラベル。シンシアは俺の妹だぞ。国宝級に可愛いに決まっているじゃないか」
クライヴ兄様が口を出します。
「あなたとシンシアは、瞳の色以外ぜんっぜん似てないじゃない!」
「そういう君だって、色素も性格もヒューバートと真逆だな」
「言っとくけど、シンシアは私の方が好きだから!」
「バカを言うな、俺は兄だぞ? 妹にとって兄とは神と同義。俺のが好きに決まっている」
この二人は、競ってわたくしに好かれようとするのです。
昔はヒューバート様もそうでした。わたくしが、身の程知らずなことをやらかす前は。
そのヒューバート様は、何故か無言でわたくしの頭のてっぺんから足先まで視線を動かした後、ヘイゼルの瞳をどろっと濁らせてうつろになったままです。
悩殺したのでしょうか、少し心配になりました。
ごめんなさい、殺傷能力のある見苦しいものを見せてしまいました。貴方にはいつだって、キラキラ輝いた瞳でいてほしいのに。
わたくしは既製品のイヴニングドレスの胸元を見下ろしました。エバーグリーン色の胸衣はパツンパツンに膨らみ、コルセットに押し上げられた胸のお肉がはみ出しています。
何これ、お尻?
──谷間とは、なんて醜いのかしら。
思わずポンチョをかき合わせ、彼の視界に入らないようにしました。
そんなこんなで、ぽっかりとうつろな眼差しのままのヒューバート様と、到着するまでずっと喧嘩していたクライヴ兄様とミラベルの四人で、宮殿の中へ入ったのです。
クロークがコートを預かりに出てきた時、ヒューバート様はやっと我に返りました。
軽く頭を振って意識をはっきりさせると、風で乱れていたらしいわたくしの髪を、直してくださいます。
その目がスッと細められました。
「ずっと……聞こうと思っていたのだが、どうして髪が短いんだい?」
──ヒューバート様に振られたショックで禿げました──
とは、もちろん申しません。あてつけがましくて……。もちろん一度髪が抜け落ちたことは、ミラベルや家族にも口止めしてあります。
「やはり、変ですか?」
今夜はメイドのマーガレットに強引にアップにしてもらいました。
でも、やっぱりほつれ毛が落ちてきてしまいますわね。
「前のように爆発しなくて、わたくしは気に入っています。ウェディングドレスのミニ丈が作られるくらいですし、これからいろいろ短いのが流行るのかも? そのうち男性もまた昔のように、キュロットを着るようになるかもしれませんわね」
「君はもしかして、ファッションリーダーなのかい?」
「めっそうもございません、この醜い豚めがファッションリーダーだなんて」
「──っ、君はどうしてそんなことを」
「似合っておりませんか?」
不安に思い、ヒューバート様を上目遣いで見上げると、彼はしばらく答えに窮していたようですが、やがて柔らかく笑ってくださいました。
「とても似合っているよ」
好き! 叫びそうになる自分をバチンと殴りつけます。
「ちょ……どうしたんだ、大丈夫かい!? ほっぺが腫れて──」
「あ、いえ、なんでも。気合を一発入れただけですわ」
ヒューバート様に背を向け、動悸を堪えるわたくしです。
ですが今度は、彼がうなじのほつれ毛を見ている気がして、わたくしは赤くなりました。
動揺して、何をしゃべっていいか分からなくなってしまいます。
「あ、あ、あのですね、の、農園のお友達が、御屋敷のメイドとして来てくれて。マーガレットっていうの。プロの理容師になれるくらい、髪型をセットするのが上手いのですわひゃぁぁぁああっ!?」
つつっと指がうなじを撫でたものだから、わたくしは素っ頓狂な声を上げてしまいました。
首筋を押さえて彼を見上げると、そんな悪戯をしたくせに、ヒューバート様はやけに怖い顔でわたくしを睨んでおりました。
な、なんでしょう????
「こんな髪型だめだよ。僕は気に入らない」
ガーン……。せっかく必死にまとめたのに、やっぱり長さに無理があったようです。
マーガレットには、顔の皮が引っ張られて吊り目になるくらいキュッと結い上げてもらったのですが「人相変わって怖いべさ、お嬢様」と言われ、結局かなり緩めてもらったのでした。
必死にほつれ毛を直していると、なんだかザラッとしたヒューバート様の声がしました。
「白い首筋が剥き出しだなんて、誘っているみたいだ」
「え? え? 誘う?」
「ああ……つまり……その……かぶりつきたくなる」
豚バラ認定されていますわ!?
彼は黙ってご自分のシルクスカーフを外し、わたくしの首に巻きました。
そして深い溜息をつきます。
「もう……羊じゃなくなってしまったね」
どういうことでしょう。羊じゃないと悲しいのでしょうか。と、言いますか、羊というより豚ではないのかしら?
もしかして、当時よりさらに醜くなったということ? ……スカーフを触って考え込みます。
そうよね、首を見せるなと言うことですものね。つまり見たくない、醜いっていう……。
どん底に落ち込みそうになったので、考えるのをやめました。
首がめり込んでいた頃の方がまだマシなら、救いようがありません。




