女ではなく雌豚ですので
クライヴ兄様のおっしゃっていることが理解できず、わたくしは石のように固まっておりました。
「父上の手紙によれば、おそらく本来は逆の立場を想定していたのだろうと」
わたくしはカラカラの喉から絞り出した声で、聞き返します。
「逆……でございますか?」
「侯爵と父が友人になった頃、我が家の事業はまだ不安定だった。故ヘビントン侯爵は、ステイプルトン家を助けるためにこの遺言状を作成したのだろう」
そこまで我が一家のことを考えてくださっていたなんて……。前侯爵夫妻の温情に、涙が零れそうになりました。
え……でも、逆とは?
クライヴ兄様はサラッと告げました。
「現在窮地にあるのは、ヘビントン侯爵家の方だからな」
「え?」
「……ん? 田舎だからか、情報が遅いんだな」
そう言って革のカバンから王都新聞を出し、渡してきた兄様です。
「かねてより議会で紛糾していた法案が、ついに可決された。──貴族の土地優遇政策が撤廃される」
わたくしは息を呑みました。王都を去る頃に審議が始まった相続法改正案のことです。
ナディーン様に向けてついた嘘が、現実になろうとしていました。
これまで課税を免れてきた貴族の領地にも相続税を課すべき──そんな法案がついに可決。
広大な領地を抱える家ほど打撃は大きく、その負担は計り知れません。
「シンシア。これは父上からの願いだ。ヒューバートと結婚し、彼の領地を助けてやってはくれまいか」
わたくしは激しく動揺いたしました。
「お、お待ちくださいお兄様。ステイプルトン家が援助するのは当然です。ですが、わたくし結婚はできません」
あちらだって、ご迷惑なはず。
「なぜだい? 君たちはかつて婚約していたんだぞ。結局シンシアには好きな人などいなかったし、今だっていないじゃないか」
クライヴ兄様の眼鏡が光ります。
「君の痩せ方からして、当時は恋煩いだと思ったが違った。ましてや婚約ごっこに飽きたわけでもなさそうだし……」
わたくしは顔を背けました。
「ヒューバートが謝罪をしたいと君を訪ねてきていたのは──まあ来る度に適当に殴って追い返しておいたが──奴と何かあったからなんじゃないのかい?」
お兄様は知らないのですから、不審に思うのも当然です。
そしてこの期に及んでも、わたくしは兄様に卑劣な行いを知られたくありませんでした。
醜い豚だわ。
「な、何もございませんっ。本当に彼は悪くないのです。ヒューバート様の勘違いなの。お兄様は関係ないのですから、彼を邪険にしないで!」
「してないよ。いつもムシャクシャすると殴りあってるし。お互いね」
知りませんでしたわ! 兄弟か!
「とにかく、あんな素敵な方はいらっしゃいません。彼は高嶺の花で、わたくしなど──」
「君は可愛いよ、シンシア」
「もうそれはいいですから」
わたくしは顔を覆いました。周りがこんなだから、わたくしは……。しかも、見た目が醜いばかりではなく、ヒューバート様の初恋を引き裂いたクソ豚野郎なのです。
「だいたい、どうして結婚にこだわるのですか? 債務を肩代わりし、支えてあげるだけで十分ではございませんか」
クライヴ兄様が両腕を広げ、ヒョイと肩をすくめました。
「遺言のこともあるが、ヒューバートはあれでも侯爵だぞ? 新興貴族の施しを受けると思うかい? 貴族ってのはどれだけ気さくでも、結局はプライドが高い。ノブレスオブリージュで施すことには慣れていても、施されることには慣れていない。何か理由がないとダメなんだ。例えば、親族からの援助──莫大な持参金を付けた娘を嫁がせるとかね」
それはまあ、分かりますが……。
「恩返しだとおっしゃってください。援助は先代侯爵への恩返しだと」
「改正法案が可決された後すぐに申し出てみたが、その時はダメだった。頑なに受け取ろうとしない。ステイプルトン家を助けたのは先代で、自分じゃないって」
そんなの当たり前です! まだ子供だったのですから。
「それで遺言のことを持ち出して、シンシアとの結婚の話をしてみたんだ」
わたくしはヒュッと空気を呑み込みました。
「ヒュッ、ヒュヒュ、ヒューバート様に? な、なんとおっしゃいましたの?」
「うちのシンシアは、婚約を破棄したことを激しく後悔している。できればもう一度やり直したいと」
えぇえええええ! なんてことを! お兄様ったら!
でも事情を知らないのだから仕方ないのかしら。
お兄様にとっては、わたくしから婚約破棄したことになっているのですものね。
違うの、あれは同意の上で解消……いえ、違いますわ。あちらから命じられたのです。
「ヒューバートはすごく驚いたようだったな。……しばらく考え込んでいたが、それについては、シンシアが嫌でなければ構わないと言うんだ」
「えええ!?」
いったい、どういうおつもりなの!?
「まあ彼があまりに頑固だったから、俺が脅したのもある。もしどうしても援助を受けないなら、俺がミラベルと結婚し、妻の実家を助けるという名目で領地の運営に口を出すってね。遺言的にはそれでもOKだから。ミラベルとも話し合ったが、向こうも了承してくれた」
「えええ!?」
ぜんぜんそんな風に見えませんでしたわ!
「二人がそんな仲だったなんて!」
「いや、ぜんぜん」
はぁああああ!?
「だってミラベルは、やかましい妹みたいなものじゃないか。あーあ、たぶん跡継ぎは無理だな。ムラムラしない」
クライヴ兄様は、遠い目をして呟きました。
「というか、彼女はそういう対象にしてはいけないから」
「……???? お兄様?」
そこで、彼はハッとわたくしを見ました。
「そういや、ヒューバートはどうだろう。君にムラるかな? シンシアは妹同然だと言っていたから……クソッ……ではシンシアミニには会えないのか、侯爵家の跡継ぎはどうするつもりなんだ!」
まったく……お兄様は。こういうところが貴族ではないのです。
「ところで、ムラるって何ですの?」
「……ム……ムラ……ムラリズムさ。つまり、女性として見れるかどうか──」
なるほど、確かに無理そうですわね。ミラベルはお兄様の前では女性というより、吠え散らかすチワワになってしまいますし、お兄様はそれを指さして笑うメガネザル。
「分かりましたわ。わたくしが嫁ぎます」
「しかしシンシアでは、侯爵家の跡取りが──」
女性として見られていないことは、とっくに実証済みです。夜這い失敗という形で。多分彼の目にわたくしは、肥えた豚に見えていたのだわ。
「持参金で立て直し、早急に離婚いたします。そうすればヒューバート様は再婚できますから」
「その後の……君の結婚はどうなる?」
「いいのです。わたくしは格式の高い貴族令嬢ではないのですよ?」
新興貴族の娘は、そこまで体裁を気にしません。再婚までには多少の支障があるかもしれませんが、そもそも結婚するつもりがないので、ちょうどいいのです。
「ほら、財産があるし、いつかわたくしも気が変わってどなたかと結婚し、やがてはシンシアミニが生まれるかもしれないではございませんか」
そんなことは無いかもしれませんが──とりあえず離婚前提でヘビントン侯爵を助けることを、お兄様も承諾なさいました。




