12:10歳の冬。私の弟子は、変わっている。
ミーシャ・アルステンの朝は早い。
早朝四時から活動開始。
手始めに体力作りを兼ねてランニング。それを終えたら水浴びを済ませる。
ヴォアリニクスの気候は一年を通して寒い。
この時期の、特に朝の水はたまに氷を張る程度には冷たい代物だ。
「…水が冷たくて気持ちいい」
そんな冷たさでも、ミーシャの身体は心地よさを感じるほどに熱が籠もっていた。
汗を流した後、水滴を乾いた布で拭う。
「ふむ、今日は特に冷えそうだ!」
まだ肌着を身につけていない上半身に北風を浴びながら、彼女は堂々とした佇まいで太陽を見上げる。
そんな彼女に…今日の衣服を投げつけるのが私の仕事だ。
「はぁ…いい加減服を着てください、先生。シエットの教育に悪いでしょう」
「…もう来たのか、エレナ」
「ええ」
正直言えば、来たくて来ている訳ではない。
朝五時から訓練をすると言われているわけでもないし、こんな朝早くからミーシャと会う趣味はない。
この時間の対面は、可哀想な家主からの懇願と…その娘の為だ。
「手紙で知らされるんですよ。毎朝半裸で水浴び。たまに全裸で庭を彷徨いているんですって?シエットの教育に悪いでしょう。やめて頂けますか?」
「これは昔からの習慣だからなぁ」
「いくら育ちが良くて、勲章持ちの功労者でも…その性癖だけは擁護できませんね」
「性癖じゃない!この格好が運動後のクールダウンにちょうどいいんだ」
「はいはい。そうですか。もうすぐ三十路なんですから」
「…まだ二十九歳だ」
「四捨五入で三十でしょう。藻掻かないでください。いい加減年相応の振る舞いをしてくださいね、ミーシャ・アルステン殿?」
「…お前、いい性格に育ったよな」
「逞しく育てて頂いているものですから」
前世の記憶を取り戻し、ミーシャから稽古をつけて貰うようになって、早四年。
私は、十歳になっていた。
◇◇
朝の十時。
この時間から、ミーシャと私は本格的な稽古を始める。
六歳から面倒を見て貰っているが、私の生活は大きく変わることはなかった。
強いて言うなら、ミーシャから大分恐れられるようになったと思う。
その理由は…。
「今日の射撃訓練をやろうと思うんだが」
「はい。今日は何発中央に命中させ、何を狩ればよろしいでしょうか。猪ですか?鳥ですか?それとも魔物…」
「エレナぁ!」
「なんでしょう」
「真面目な話をすると…私はな、十歳の段階で的に当てる想定をしていたんだ」
「そうですか」
「…なぜ、お前は的の中央に当て、狩りを行う前提で話を進める」
「狙った位置に当たるのは必然だと思うのですが…」
「そうだな。お前は六歳でライフル銃を握らせた瞬間から狙ったところに全弾当てられる女…って!それ普通はあり得ないからな!?」
ミーシャが抗議してくる内容は、ミーシャからしたら嬉しいことの筈。
なんせ、訓練の手間が大幅に省けているのだから。
別にこれは転生特典とか、よくあるチート能力という概念ではない。
生前、所属していた部活が原因だ。
前世の私はとあるゲームの影響で、射撃に興味を抱き…高校時代はライフル射撃部に所属していた。
大会でもそれなりの結果は出していたし、慣れもあると思う。
中学時代はこれまたゲームの影響で弓道部に在籍していたし、狙ったところに当てる技術は六年かけて構築されている…と思う。
記憶が戻ってからすぐにエレナとして射撃訓練に臨むようになったので、その経験は前世の六年に加え、エレナとして四年積み重ねた。
十年間の努力は、きちんと私の中に蓄積されているらしい。
「お前は孤児院の子供だが…親が元猟師だったとかいう話とかは聞いているか?」
「いえ。先生に聞いたところ、私の両親は元々学者らしいです。特に父は地学分野で名を挙げたアルフォンス・アルケー。母は考古学専攻のリリアナ・アルケーだと…」
「リリアナ殿の方は存じ上げないが、アルフォンス殿か。優秀な男だったが、もう死んでいるのか…。残念だな」
「父は軍属だったのですか?」
「いや、学生時代に一緒だったんだ。そろそろマシューから案内があると思うんだが、十二歳になったらシエットは高等教育機関に入る。お前はそれに使用人として同行することになるはずだ」
「未成年が通う学校、あったんですね」
マシューの話ぶりからして、大学…十五歳以上から専門分野を学ぶ学校は存在する様子だったが、未成年が通う義務教育機関のような場所も存在していたらしい。
「私はそこで何を成せばいいのでしょうか。シエットを飛び級卒業させること、でしょうか」
「シエットが優秀なのは認めるが、あの子は何かが飛び抜けているわけではない。良くも悪くも年相応だ。飛び級は難しいだろう。それとそういう指示は私からはしないからな?マシューがするからな?」
「そうでしたね」
「まあ、私個人の意見を述べさせて貰うと、シエットを差し置いて飛び級卒業できそうなのはお前だよ、エレナ…」
「そうでしょうか。普通ぐらいだと思うのですが」
「マシューも感覚がおかしいから気づいていないが、お前が解かされている問題集は国の最難関教育機関の入試問題なんだよ。それに気づいてくれないか」
「気づいてはいますが…」
「シエットは自力で一問も解けていないぞ」
「範囲が違うのでしょう」
「一緒の問題集だし、解かせている問題は一緒の問題だよ!?」
「そうだったんですか!?」
高校では普通に出ていた問題ばかりだから、普通に解いてしまっていた。
それが仇となる日が来るだなんて…。
『ミーシャから解答を見せて貰った。君は前世でもさぞかし優等生だったのだろう』
『僕から助言をすることは「当家にいる間は全力。外では五割」以上だ』
…この前の手紙に書かれていたマシューの助言は聞き入れていた方がいいだろう。
その方が、波風が立たずに済みそうだ。
しかし、ピステル家にいる間は全力で挑むべきだと、私も思っている。
現在の力量を把握しておくことは、大事なことだから。
「正直、私が教えていることって礼儀作法と国の風習ぐらいで、後は独学だろ。どうなってんだ」
「さあ…」
「お前が賢く、才能に溢れているだけかもしれないが…前世の記憶があるって言われても納得できる程だからな。加減は早めに覚えろ」
「はい」
…実際に前世の記憶があると言っても、ミーシャは驚きつつも納得するだろうな。
現時点で話す必要性を感じないから、話すことはないけれど。
「とりあえず、いつも通りライフルでの射撃訓練を行おう。今日は的のこの部分を狙え」
「了解です」
射撃姿勢をとる前に、ミーシャから狙うべき部分を指示される。
それが分かれば後は単純。
指定された部分に、当てるだけだ。
◇◇
射撃訓練を終えた後は、礼儀作法の勉強。
座学も並行して教えているし、オウカやカティアも自分の専門分野をたたき込んでいるらしいが…。
「如何でしょうか、ミーシャ先生」
「あ、ああ…問題ない」
一度言えば、全て完璧にこなしてくる。
失敗や敗北で学んで欲しい気持ちもある。しかしエレナは一度学んだことを失敗することはない。
同時に、同年代でこいつに叶う存在はいない。
強いて言うのなら、シエットが動きについて行ける程度だ。
主に面倒を見ているカティアの報告書を見る限り、シエットは剣術の才を開花させて…全盛期のカティアのような動きができるようになっているらしい。
奴の動きができるようになるのは…喜んでいいのだろうか。
まあ、それを叩き込んでいいと父親が判断したのだ。
で、見事それを吸収して自分のものにした、と。
「…」
正直、この二人がここまでやる理由が分からない。
シエットの方は何となく分かる。エルファ家のクソガキにボロクソ言われて、社交の場で恥をかかされている。
そんなシエットの心を取り戻してくれたのがエレナだとマシューだと聞いているから、シエットが貴族令嬢として、同時にエレナの親友として強さを得たいと願う気持ちは分からないこともない。
特に前者…貴族令嬢として他の貴族に舐められないよう、圧倒的な強さを持つ。
それを目指して強さを身につけた私には、シエットの気持ちが良く理解できる。
問題は、エレナの方だ。
シエットを守るという明確な目的があるが、その本質はまだ隠されている気がする。
マシューとの文通も妙だ。
シエットのことになると、エレナもマシューも馬鹿になる共通点があるが…文通で「今日もシエットが可愛い」とか、シエットに関する話をわざわざ手紙でしているわけがない。
していたら、普通に縁を切りたい。
もしかしなくても、マシューがエレナに気があるのか…なんて考えたりもした。
私がピステル家の領地を作戦で焦土にしてしまったツケを、我が家はマシューを売って精算したのだから。
今まで自由にしてきたマシューの事だ。恋愛も自由にしたいのではないか…なんて考えた。
流石に、娘と同い年の子供に手を出すわけがないとは考えていたが…。
その心配は不要だった。あの二人はシエットのことしか見えていない。
大体、口を開けばシエットシエットシエットシエット。
だから、文通にはシエットに関連するなにか。
エレナがこんな訓練に挑む本当の理由が隠されていると思うのだが…それを私たちやシエットは把握していない。
「…気になりはするが」
把握すべきではないと、心が警鐘を鳴らす。
なんとなく。勘だけど。
そういうのは従っておくべき事象なのだ。
「ミーシャ先生、終了しました」
「ん。いつも通りだな」
狙い通りに射撃を終えたエレナの報告を聞く。
どういう目的があるのか、私は知らなくていい話。
同時に技術を叩き込んでも、こいつは私の後を追って軍に入ることはないだろうし、勧めても拒絶してくるだろう。
けれど、それでもいい。
「次は拳銃でも扱えるように訓練するかぁ」
「お願いします」
何でもかんでも吸収してくる子供の教育は凄く楽しい。
相手が学びたい意欲のある子供だから楽をさせて貰っている部分はあるだろう。普通はこうも上手く行くことはない。
だから、軍を辞めて教官にでも…なんて、甘い発想は出てこなかった。
目的が明確で、意欲があるエレナだからこそ、私の教育は通用するのだ。
「なあ、エレナ」
「なんでしょう」
「お前は教えたら何でも吸収するが…シエットを守るために、一番身につけたい技術はなんだ?」
「命を奪うことを躊躇わない技術ですかね」
少しは躊躇う素振りも見せて欲しいことをすんなり言わないで欲しい。
なあ、マシュー。私はエレナがたまにお前と同い年ぐらいに見えて怖く感じるんだ。
なぜなんだろうな。目の前にいるエレナは、まだ童だというのに。
「そりゃあ、大半の軍人が欲しがる技術だなぁ。一般人はいらないだろう」
「いつか、そういう環境に置かれるかもしれないじゃないですか」
「そうだな。それなら、カティアと面会する時間を設けてやる」
「カティア先生と、ですか?」
「ああ」
正直、あいつの裏をエレナに見せるのは躊躇している。
悪い影響を受けるかもしれない。
けれど、エレナは利発な子供だ。
奴の経験も、知識として受け入れてくれるだろう。




