4-3
「つまり、この世界には地球にあるような毒はないって事ですか?」
「物質の有無は不明だがね。少なくとも、認識はしていないのだろうとも!」
すっかり日も落ちた夜道を刻止と讃良は並んで歩いていた。
バーバの依頼を花丸百点どころか百二十点の評価で終え、倍の報酬を約束された二人はほくほく顔である。
まぁ、刻止は報酬よりも毒に関しての情報が得られた事の方が余程嬉しそうであるが。
「認識が無ければイコール存在しないと一緒ではないですか?だとしたら、先輩の毒は防ぐ手立ても治す方法もないとんでもない力ってことになりますね!」
「うはははは!確かにそうとも言えるかもしれない!しかしね、讃良クン。もしもこの世界で"麻痺"という状態異常を起こしているのがテトロドトキシンだとしたら、知らずしてこの世界は麻痺消しという解毒薬を有していることになるだろう?」
「あ…確かに。だから先輩は解毒薬以外の薬も買ったんですね」
「その通り!!いやはや、結果が楽しみでならないよ!」
刻止は約束通りバーバから毒薬と解毒薬を譲り受けたのだが、実はそれ以外にも他の状態異常を引き起こす薬剤とその治療薬も一通り買っていた。
八割の理由はただ知的好奇心を満たすため。後はきちんと考えての事である。
「我輩クンにとってこの毒は大切な武器であるからね。弱点の把握は急務だ」
刻止が知る限り、地球の毒にはあまり即効性がない。
あるといっても数分は掛かってしまうのが現実だ。当たり前だが、ドラマとは違うのである。
その点、この世界には魔法や魔法薬が存在している。讃良の氷魔法や回復薬で実感済みだが、それらの効果は一瞬だ。
もし魔法や魔法薬で治ってしまうのだとすると、いくら強力な毒を使えたとしても不利なのは刻止に違いない。
そうなると彼は、いざという時のために毒の力を隠すよう立ち回る必要が出てくる。
つまり、日頃の振る舞いやスキル構成などを見直さねばならなくなるのだ。
「ふぅむ…やはり隠密系のスキルを取るべきか…」
「先輩、何なら戦い全部私に回してもいいんですよ?」
「うはははは!いくら我輩クンでもそこまで堕ちていないよ!それに、一人で対処するには限界がある。…それは、分かっているだろう?」
「…はい」
讃良は先日の冒険者たちを思い出して苦虫を噛み潰す。
相手が油断していたこともあり、刻止の不意打ちで倒すことができたが、もし正面からやり合ったとしたら…彼女には勝てるビジョンが浮かばなかった。
使い慣れていない個人スキルは発動までにそれなりの時間が必要で、魔法だって詠唱してポン!と出せるようなものではない。
讃良が動きを見せたなら、その空白の時間であっさり制圧されていたことだろう。
彼らを討ち取れたのは動いたのが刻止というイレギュラーだったからに過ぎない。
そのような幸運が今後も続くか?…勿論否だ。
しかも、仮に力をつけたとてこんな世界である。格上など巨万といることだろう。
一人で乗り切るだなんて、あまりにも夢物語だ。
「…それでも、私は先輩を守りたいです」
「そうか。なら仕方ない!我輩クンが讃良クンを守ろうではないか!それで御相子だ!」
下を向いた讃良の視界に同じ歩幅で歩く足が見える。
実は彼女より0.5cm小さいサイズなのに、それを隠すためか窮屈感が嫌なのか同じサイズの緩そうな靴を履いた足が。
それが頼もしく見えてしまうから、彼女は何度だって惚れ直すのだ。
「二人三脚。正しく夫婦ですね!」
「うはははは!人の事は言えないが、キミはよく話を飛ばすね!」
人気も月明かりもない夜道なのに、この二人には少しの恐れもなかった。
だから、とでも言うのだろうか。
通り過ぎようとした細い路地。ぽかりと口を開けたその奥に好奇心が向いたのは。
「先輩?」
「ねぇ、讃良クン。素朴な疑問なのだが、この世界にもドラッグはあると思うかい?」
「麻薬みたいなものってことですか?あー…そう言えばあれも"毒"ですもんね」
「その通り!地球では発展の影には付き物だけども、こちらではどうなのかと思ってね」
平和な日本でも豊かな他国でも無くなることのない、辛い現実から逃げる為の薬の数々。
讃良の言う通り、あれらも立派な毒物だ。
ここはたったの一日で地球よりも命の価値が軽いと刻止達に突き付けてきた世界である。
地球よりもずっと濃い影が存在していると考えるのは当然で、ならばやはりそれらも広まっているのではないかと彼は期待した。
少なくとも、アルコールという毒はあるのだから。
「…行ってみます?」
「是非行きたいね!」
「私もちょっと気になります。でも、気を付けないと、ですよ!」
「うはははは!よく分かっているとも!」
ここに他の旧校舎メンバーがいれば「ちょっと待てぃ!」と止められただろうが、あいにくこの毒狂いと毒狂い狂いは互いのストッパーになり得ない。
なので二人は、ちょっとしたお化け屋敷にでも入るような気持ちで暗闇へ一歩足を踏み入れたのである。
…
光あれば影。
笑い声と腹を刺激する匂いの隙間には、それぞれが幸福の代わりに捨てた淀みがどんよりと溜まっているようだった。
地面には何の液体かも分からないものが溜まり、それを避ければくしゃくしゃの紙を踏む。
街灯の届かないそこでは、生き物達が囲んでいるモノが何であるかすら分からなかった。ただ、幸せとは真逆の臭いがすることは確かなので、見えない方がいいのだろうが。
讃良はここまでの落差があるとは思わなかったのか、散乱した酒瓶や襤褸布を不慣れな足取りで避けながら刻止にしがみついている。
日本の都会にあるような路地裏を想像していた数分前の自分に文句を言いたい気分であった。
一方の刻止は蠢く虫を踏み、何かが乾いた穢らしい跡を踏み、慣れてきた目に映るくすんだ世界を平然と歩く。
毒を求めて世界中を飛び回る彼にとっては見慣れぬ光景ではないのだ。
毒と薬が紙一重であるように、世界とは大体こんなものなのだから。
何なら、人型のモノが転がっていないだけマシな方だと彼は思う。
「先輩先輩先輩ぃー!や、やっぱり戻りませんか?」
「最初の威勢は旅に出たようだね!無理せずとも、キミは戻って良いのだよ?」
「ゔぅ"ー!」
そんなやり取りを何度か繰り返し、前を彷徨く大きなネズミに道案内されるフリをしながら適当に歩くことしばらく。
ふと、今までまるきり人の気配が無かった暗闇にポツンと幽かな明かりを見つけた。
とはいえそれは本当に微かなもので、照明というより蝋燭一本で照らされているように心もとない光であったが。
「何でしょうアレ…」
「うはははは!オバケかな!?良き!!行ってみようじゃないか!」
「ちょ!?待って下さい先輩!ッア、何か踏んだ!?うぇぇ…」
刻止はオバケを信じる派だ。
何故ならその方が面白いから。
故に、静かに騒ぐという器用なことをしている讃良をくっつけながらもその足取りはウキウキと弾んでいた。
そうして変則的なスキップのリズムで辿り着いたのは、一軒の木造建築である。
ボロボロではあるが旧校舎に比べれば余程綺麗だ。
窓は一枚も割れておらず、扉も隙間なく真っ直ぐ収まっているその場所は、窓に揺れる光によるものだけでなく人の気配を感じさせた。
ただ、傾いた看板は文字が欠けていて、魔導具を使っても何の店なのか読めなかったが。
「ふぅむ?これまた風情があるね!」
「…あ、先輩あそこに倒れてる立て看板…ジョッキみたいなマークがありますよ」
「となると、ここは酒場なのかな?それにしては、まったく活気が無いようだが…」
路地裏の酒場。
刻止はいかにもな組み合わせだと笑みを湛え…
「おっじゃましまーす!!!」
「わぁぁぁ!?先輩ー!?」
一切の躊躇なくその扉を開けた。
奥の方でドンガラガッシャーン!と激しい音がしたので、やはり無人ではなかったらしい。
刻止は開け放った扉からひょいと店内を覗き込み、「おぉ!」と思わず声を上げる。
ぼやけた薄明かりに照らされたそこは、小ぢんまりとした隠れ家のような場所であった。
彼とて男の子であるのでこういう雰囲気は大好きだ。
広いとは言えない店内に並ぶ光沢のある木製の丸テーブル。
それを囲う同じ材木だろう椅子はくすんでいて、それなりに使われていた事がうかがえる。
天井の高さは意外とあり、プロペラのついた大きな照明が三つぶら下がっていた。ただし、今はまるで機能していないが。
静かな空間にジュークボックスの類はなく、人々の喧騒やグラスのぶつかる音が無ければただただ無音。
木に染み込んでいるアルコールの香りももう薄く、どこか空虚な雰囲気がバーカウンターの奥で疎らに並んだ酒を冷やしていた。
さて、そのバーカウンターの前。
I字のハイカウンターに合わせて設えられた、チェス駒に似たスツールをひっくり返して倒れている男が一人。逆さまの状態で突然の侵入者を見つめていた。
刻止は一通り内装を楽しんだ後、彼に向けてヒラヒラと袖を揺らす。
「おぅい!どうしたのかね?亀ごっこかい?うむ!それでは我輩クンが戻してあげようではないか!!うはははは!」
「?!??!?」
「先輩ストップ!ストップです!あの人先輩のテンションについて行けてないですから!もう少し落ち着いて、お手柔らかに!」
「はて?しかしあのままでは頭に血が上ってしまうだろうに」
「そこは気遣えるのにどうして…いえ、それでこそ先輩ですけど!」
「うはははは!!」
「…ぇ、は?はぁ!?!?」
二人がわぁわぁやっている間にフリーズが解けたのか、男は腹筋だけでガバっと起き上がるとそのまま転がっていたスツールを盾にした。流れるような身のこなしである。
「な、何だ何だ!?お前らどこのモンだ!?」
「あ!!おはよう!!」
「おう、おはよう!…じゃなくて!!」
「うはははは!!」
刻止の曇りなき挨拶につい挨拶を返してしまった男は一人でノリツッコミをすると、元々悪そうな目つきを更に鋭くしながらビシッと二人へ指を向ける。
「お前らは誰だっての!!何しにここへ乗り込んで来やがった!!」
「観光!!」
「はぁ!?!?」
「ちょっと先輩お口チャックでお願いします。話が進みませんから…」
男が少し不憫に思い、讃良はキャッキャとはしゃぐ刻止にバーバの店で買った薬草図鑑を渡して下がらせた。
扱い方が子供と同じだが、興味をそらすのが最適な対処法なのだから仕方ない。
え、お前それでいいの?と言いたげな顔をした男に苦笑しつつ、讃良はしゃんと背を伸ばして彼と向き合った。
「突然すみません。私達は冒険者です」
「冒険者ァ?それが何だってこんな掃き溜めに来やがったよ」
「えっと、私達はここへ来てまだ日が浅くて…依頼の帰りに寄り道してみたら、偶然ここを見つけたんです」
「偶然、ねェ?」
男の目が猜疑で細まる。
その冷たさとプレッシャーに息を呑んだ彼女の背を、宥めるような笑い声がくすぐった。
「駄目だよ、讃良クン。こういう相手から信頼を得たいなら、こちらも相応の信頼を渡さないと」
刻止はページを捲る合間にチラリと男に目をやる。
探るような視線は讃良や刻止の顔…特に目を見ており、嘘を探しているのがよく分かった。
ごく自然に行われているそれは、マニュアルをなぞっているのではなく身に染み付いているもの。
ならばきっと、相当に疑い深い性格か…もしくはそうする事が常に必要な人間なのだろう。
刻止が度々ふらつく裏社会にはゴロゴロいたタイプだ。
そして、そういう人間から何か得るために必要なのは、高度な騙し合いか誠実な等価交換…お金でも信頼でも行動でも、見合ったものを正しく返すことである。
中途半端は完全に悪手だ。
刻止からのダメ出しにやや気落ちした讃良だったが、図鑑を読み進める手を止める気のない彼に再び唇を湿らせて前を向く。
「すみません、訂正します。偶然というのは半分嘘です。ここに辿り着いた事と、あなたに会った事は間違いなく偶然ですが、寄り道と称して路地に入ったのは知りたい事があったからです。なので、誰かに会うつもりで明かりの点いていたここを訪ねました」
「…………へぇ…そういう事」
見つめられる事しばらく。
男からのプレッシャーが少し弱まり、讃良はホッと息を吐いた。
「しっかし、それなら人選ミスだ。あいにく俺ァ情報屋じゃないんでね」
倒れたスツールを戻し、そこに座り直した男はカウンターに肘をつく。
そして、ぼんやりとした光源に照らされているグラスの中身をちびりと舐めた。
「金があんなら紹介くらいはしてやるが、どうする?」
「えぇと…先輩、どうしましょう…」
「いやいや!そこまで難しい話ではないよ。我輩クンとしては、尋ねる相手はキミで十分だとも!」
正直場の雰囲気的に男が情報屋の類である事を期待してはいたが、刻止は裏の人間であれば誰でも良かった。
唇を一文字に結んだ男にそう固くなるなと袖を揺らし、彼は未だ本から顔を上げないままに口を開く。
「キミは麻薬やドラッグというものを聞いたことはあるかい?」
「あ?何だそりゃ」
男は肩透かしを食らったような顔でグラスを置いた。透明な壁にしがみついていた水滴がホッとしたように滑り落ち、じわりとカウンターに伸びていく。
「マヤクもドラッグも聞いたことねェよ。何かの隠語か?」
「えぇと、使うと気分が高揚したり、幻覚を覚えたり、酩酊感だとか多幸感を得られる…といった感じの、依存性があるモノなんですけど…」
しょんぼりしてしまった刻止の代わりに讃良が聞きかじりの知識でわたわたと説明すると、どうしてか男の目が丸くなった。
そして少しの間考えるような素振りを見せ、口を覆っていた手で短い顎髭を撫でる。
「そりゃ、もしかしてアレか…?浸魔の事か?ったく、変な呼び方しやがっ…」
「あるのかい!?!!?」
「ぎゃーーー!!」
「先輩!?」
男の言葉を聞くやいなや刻止は弾丸よろしく彼に飛び付き、せっかく直したスツールごと二人は床と友達になった。
放り出された本と"アガレスの眼"を見事キャッチした讃良は、その惨事に顔を青くさせながら駆け寄る。
「ねぇ!ねぇねぇ!!そのシンマー?とはどういったものなんだい!?是非教えておくれ!!」
「ちょ!?タンマタンマタンマ!!わかっ、分かったから、ぅぐっ、降りてくれって!」
「先輩に何するんですか!!この変態!!ケダモノ!!」
「被害者は俺なんだが!!?」
「だまらっしゃい!!あぁ、羨ましい羨ましい羨ましい…っ!!先輩!乗るなら私にしましょう!?」
「うはははは!やめとく!」
「何でもいいから降りてくれぇ…」
男は一気に10キロは痩せたかのようにゲッソリしつつ、今時の若い者って凄いなぁと遠い目をした。
一般的な若者へのとんだ風評被害である。
「はぁ…酷い目にあった…腰痛ぇ…」
「うはははは!すまなかったね!つい興奮してしまった!」
「まァ良いけどよ…んで?浸魔について知りたいってことでいいんだよな?」
「いいとも!!」
「あー…普通ならこんな質問は御法度なんだろうが…何でンなモン知りたいんだ?」
「ん?ただの知的好奇心だとも!!手を出そうとは微塵も考えていないから…気にしなくて大丈夫だよ!」
「…そうかい」
僅かに滲ませた心配を見抜かれ、男は温くなった酒を傾けて顔を隠した。
存外お人好しらしい男に、刻止はいい人を引き当てたなと目元をいっそう緩ませる。彼の運は今宵も絶好調らしい。
「言っとくが、俺はあんま説明上手くねぇからな?」
「はい。よろしくお願いします」
「はぁ…んじゃ、取り敢えず、この世界にゃあらゆるモンに魔力が含まれてるってのは知ってるよな?」
「知らないね!!」
「え"」
「あ、すみません。気にしないで、一先ずは最後までお願いします」
刻止達にはそもそも基礎知識がない。この世界の住民でもなければ、呼ばれたその日にそのまま逃げ出したのだから当然だ。
とはいえ、それで一々止まっていては夜が明けてしまうだろう。
男はそれでいいのか?と何とも言えない顔をしていたが、当人たる刻止にも「続けて!」と促されたので肩をすくめた。
「魔力ってのはエネルギーの一つだ。人も動物も植物も魔物も皆、大気中や食べ物、飲み物の中から魔力を吸収しながら生きてるし、生活や戦いなんかに役立ててるワケ」
やはりお人好しなのか、これが基本中の基本だと前置きしてから男は酒で口を湿らせる。
「ただ、全ての生き物にゃ魔臓…M.organっつー器がある。これは魔力を貯めとく為の器官なんだが…同時にストッパーでもあるんだよな」
「ストッパー、ですか?」
「おう。魔臓は満タンになると、体中すべての魔力吸収を止めさせる命令を出すんだよ。要は、全身の穴に蓋をするって感じか」
男は飲みかけのグラスの上に使っていなかったコースターを乗せ、その上をコツコツと指で叩いた。
刻止はその指をじっと見つめながら思考を回す。
「…ふむ。この世界の生物は、魔力用のイオンチャネルのようなものを持っているのかな?電位ではなく魔力濃度に応じて開閉を…」
「呪文唱えてんのか???」
勿論呪文ではない。自分達に馴染みのない魔臓というものの仕組みを、どうにか己の知識に置換して理解を深めようとしているのだ。
なんとなくそんな感じでこうなる…などと曖昧に済ませても別に何ら問題無いのだろうが、それでは面白くない。そう思ってしまうのは化学好き故か、それとも彼の性格故だろうか。
どちらにせよ、普通の人間からすれば逆に複雑化してるようにしか思えないが。
「…うむ!気にしないでくれたまえよ!続きをよろしく!!」
「お、おう。えーっと、そんなワケで魔力を過剰に取り込むのは不可能ってのが常識なんだが…ある時、イレギュラーなモンが見つかった」
男はコースターをどかし、代わりに懐に入っていた手拭き布を被せると、そこへボトルに残っていた酒を数滴垂らした。
酒はじわじわと染みていき、やがてモグラのように布の向こうへ顔を出す。そして…
「一部の植物がもつ魔力が、その蓋を通り抜けられる特殊なモンだったんだとよ」
ポチャン、とグラスの中に落ちた。
「これが浸魔。正式にゃもっと固っ苦しい名前だった気がするが、大体はコレで通ってんな」
「つまり、限界以上に体へ取り込める魔力って事ですか?」
「嬢ちゃん理解早ェな。そ、浸魔ってのは生まれついた素質を越えられる夢みたいなブツだったんだ…一時期は、な」
「ほぅ。今はそうじゃないのだね」
刻止はゆるりと猫のように笑う。
うまい話には裏がある。まんま、ドラッグの在り方だ。
「まず問題だったのはお前らが言ったような症状だ。どうやら魔力ってのは過剰に取り込むと酒よりも強く酔っ払うらしいんだわ。前後不覚に激しい吐き気、幻覚妄想、情緒は不安定になるわ時には記憶もすっ飛ぶわ…そんな状態じゃ何をするにも使い物になりやしねェ」
「うはははは!グラスウルフどころか野良犬にすら食い殺されそうだね!」
「でも、やっぱりそういうのに強い人っているんじゃないですか?お酒もそうですし」
「あァ、いたさ。症状の軽い連中はその薬で頭一つ抜けた魔法師として活躍できた。だが、後々もっと恐ろしい事が発覚したんだ」
「魔臓の機能低下、だろう」
刻止の言葉に男は目を丸くし、重々しく頷いた。
予想が当たっていたことに上機嫌で鼻を鳴らす刻止の隣で、讃良は人差し指を顎に当ててその意味を考える。
「許容量以上を詰め込まれた容器は傷付き、傷付いた臓器は弱る…という事でしょうか」
「うむ!単純にして確実な原因はそれだろうね!しかし更に憶測を付け加えるなら…恐らく、使用者の意思がどうであれ魔力の過剰摂取は体にとって好ましい状態ではないのだろうとも」
「吐き気や幻覚などの異常をきたしてますもんね」
「故に、脳は命令する。"魔力量を減らせ!"ってね!その命令で割りを食うのが魔臓なのではないかな」
損傷にせよ、脳の命令にせよ、低下した機能が時間が経てば経つほどに取り戻せなくなるのは同じ。
体とはシビアなもので、使えない・使わない部分は切り捨てられるものなのだ。
未知の器官とはいえ、そこは他の臓器と何ら変わりないのだろう。
「まるで、食事量を減らすために胃を切る処置みたいですね」
「イメージとしては近いかもね!」
「え…胃を、切る…!?怖ェ事言うなお前ら…」
どうやら異世界では胃を切除する減量法はないらしい。
そもそも、魔法で何でも治療できるような世界でまともな医術が発達しているのかも怪しいが。
「コホン。とにかく、浸魔を使えば使うほどに魔力保持量が減るってのが分かったんだ。優秀だった魔法師が子供程度の魔法しか撃てなくなったっつー話もある。そんな被害が広がった結果、とうとう浸魔は禁止薬扱いで表舞台から姿を消したってわけだ」
「でも、無くなることはない。そうだろう?」
知ったような口ぶりの刻止に、男は非難を乗せてコツンと一度カウンターを指先で叩く。
それに怯みもしない笑みを睨みつつ、彼は唸るような声で「…その通り」と肯定を紡いだ。
「魔力過剰症の酔いが忘れられない奴。それで嫌な事を忘れたい奴。リスクを冒してでも大きな魔法を使いたい奴。魔力保持量が減っちまった奴は減った分を埋めるために使い続けて…まァ悪循環だわな」
「わぁ…凄いです。何と言うか、"そのまま"ですね」
讃良は言葉を濁しつつ感心する。世界が変わり、常識が変わり、それでも人の弱さが行き着く先は変わらないのだ。
「うはははは!思ったものとは少し違っていたが、良き!!実に有意義な話だったとも」
彼が真に求めていたものはメタンフェタミンやテトラヒドロカンナビノールといった明確な物質であるが、地球の定義で言えば魔力もまた毒であると分かった。酸素の立ち位置に近いのだろう。
彼にとってはそれだけでも大収穫だ。
お世辞でもなく本当に満足気な様子の刻止に、話を終えて肩の力を抜いた男はにっと笑った。
「お役に立てて光栄だ。で、お代だが…」
「じゃあ讃良クン、そろそろ帰ろうか!」
「はい!」
「待て待て待てコラ!!」
もう用はないとばかりに座っていた椅子を倒し、立ち上がった刻止の白衣を男がガシリと捕まえる。
まだ何か?と丸くなった子供のような目にこめかみを抑えつつ、男はギロリと三白眼で睨みつけた。
「この俺がこーんな親切丁寧に情報をくれてやったってのに、まさかタダで帰れるたァ思ってねェよな?」
「おや、情報屋ではないと言ってなかったかい?」
「そりゃそうだが、だからって"コッチ"の世界で対価ナシってのは…虫が良すぎんだろうが」
ゆぅらり。刻止は着崩した白衣の袖を揺らす。
口元に刻んだ笑みの形はそのままに、彼は顕微鏡でも覗くような気持ちでじぃと男を見つめていた。
はてさて、この"生き物"は、一体全体どんな"生き物"なのだろうか、と。
そもそも、不自然だとは最初から気付いていたのだ。
いきなり飛び込んできた得体の知れない子供相手に、ここまで親切に付き合う理由が男にはないのだから。
刻止は人の善性をほぼ信じていない。故に、必ず裏があるだろうとは予想していた。
しかしながら彼はどこぞの捜査官でもないし、人の心を理解できるタイプでもないので、その"裏"が何であるのかは分からない。
情報屋ではないという男が何者であるかも分からないから、余計に。
「ふむ…逆にキミは駆け出しの冒険者に何を求めているのかね?悪いが、臓物はあげられないよ!」
「ンな物騒な話じゃねェよ。ちっとばかし相談に乗ってほしいだけだ」
「讃良クン、恋愛相談だって!」
「来世に期待しましょう」
「ちっげェよ!!!つーか、そんな酷い顔してねェだろうが!!そこそこ見れるだろ!?」
威嚇紛いの低音で切り捨てた讃良は、十人が異口同音に不機嫌と答えるだろう様子だった。
何故と男が困惑するも、まさかその答えを握っているとは思うまい。
やがて、居心地の悪い静けさに支配されかけた酒場に、ポンポンと気の抜ける柏手が乾杯代わりに響いた。
「うむ!良き!相談事と言ったね?我輩クン達で良いのなら聞こうではないか!」
「えー!?ダメですよ先輩!きっとこの人、先輩に惚れちゃって…相談と称してオとすつもりですって!」
「さっきから嬢ちゃんの妄想は何なんだ!?俺ァ野郎のケツにゃ興味ねェよ!!」
「は?先輩の何がダメだって言うんです???」
「あ"ーーー!!もう!!何が!正解なんだよ!!!」
「うはははは!!」
面倒臭い状態になった讃良を近くの椅子に座らせ、自分はテーブルの天板にひょいと腰掛ける。
頭をボサボサに掻き乱していた男はそれに気付き、少し迷ったものの彼女の向かい…テーブルを間に挟んで座った。
ガタリ、と椅子が文句を言う。
「さて、では聞かせてもらおうではないか!!キミの悩み事とやらを!」
「…あァ、とにかく、聞いてくれや」
片肘をテーブルに乗せて身を乗り出した男は声をひそめるでもなく、ただすこぶる真面目な顔つきでこう続けたのである。
「人を殺してェ」




