4-2
「わっ、と……ぁ、すみませんバーバさん!でも、丁度良かった!今呼びに行こうと思ってたんです」
「何だい?何かあったのかい」
讃良と鉢合わせたバーバは、迷わずそう口にした。
刻止は絶対に何かやらかすだろうと思っていたバーバは鷲鼻にぐぐっとシワを寄せ、さて何をやってくれたのかと咎めるようにその目を覗き込む。
しかし彼女はそれにたじろぐでもなく、ただパチリと幼げな顔で「え?」と瞬いただけ。
何を言っているのか?と聞こえてきそうな眼差しに、バーバの方が怯んだくらいである。
「何か…トラブルがあったんじゃないのかね?」
「いえ、あの…終わったら声をかけるよう言われていたので」
「???」
バーバは言われた言葉を理解できず、近所の耳が遠い道具屋の親父を真似て耳に手を添えると、再度の言葉を乞うた。「何だってぇ?」と。
「えっとですね、計量作業が、終わりましたので、次は何をすれば、いいですか?」
「…は?終わっ…は!??」
讃良が気を利かせてゆっくり一文字ずつ話してくれたが、ようやっと内容を飲み込めたバーバはそんな親切心を気にするどころではない。
彼女は慌てて白衣の横を通りすぎ、奥の扉を開け…絶句したのである。
目に入ったのは机にこんもりと積まれた袋の山。積みきれなかった分が床にも小さく重ねられていた。
そこは計量を終えた材料を置くよう指示した場所であり、つまり、ご丁寧にラベリングまでされているこの袋の数々は…刻止達が指示通り仕事をまっとうした証というわけだ。
「うはははは!おぅい、讃良クン!最後の分も持っていってくれたまえ!」
「はい!今行きます!」
バーバが呆然としている間にもまた一つ袋がポンと山に仲間入りする。
彼女は遠退きそうになった意識を何とか繋ぎ止めると、震える手で近くに転がっていた袋を一つ開けてみた。
ラベル通りの薬草。
ここ数日の間毎日、それも一日中作業しているからこそ分かってしまう指定通りの重さ。
別の袋、そのまた別の袋…と確認してみても、失礼を承知でいくつか量り直してみても、それらは仕事が完璧になされている事しか教えてくれない。
「………なんて…こったい…」
とうとうキャパオーバーになったバーバの顔が作画崩壊した。
それはそうだ。頼んだ作業はバーバが二日か三日かけてこなす量だったのだから。
そんな彼女の心境など知らず、刻止はご機嫌に袖を揺らす。
「やあやあ、どうしたのかね店主殿!買ったばかりのアイスを落とした讃良クンみたいな顔になっているよ!」
「ちょっと、先輩!?」
「あんた、一体…いくらなんでも早すぎやしないかい…?」
「はて?そうかね?まぁ、こういった作業は得意分野だからね!慣れているのだとも!」
もはやつっこむ気力も失せ、童児のように考えるより先にカサカサの唇からこぼれ落ちた疑問へ、刻止は特別なことなど無いのだと笑った。
改めて見てみれば確かに、二人は言ってもいないのに自前だろう手袋やゴーグルを装着している。この二つはこういった作業においては必需品であり、慣れているという言葉を裏付けていた。これでマスクでもあれば完璧である。
(いや、でも、冒険者なんだよね??)
それが分かったとて結局疑問は何一つ解けていないのだが。
どんどん首の傾きが深刻化し、深みに嵌まっていくバーバに気が咎めたのだろう。讃良が苦笑混じりに口を開いた。
「あの、私達冒険者になる前は化学部
…えぇと、調合や実験が主な活動である組織?に所属していたんです」
「うはははは!その通り!我輩クン達は剣よりフラスコを振る方が性に合っているのだよ!」
「何で冒険者やってんだい???」
ごもっともである。
「あぁもう!そんなことどうだっていいさね!!」
ようやく正気を取り戻したらしいバーバの目がキラリと光る。こいつらは使える、と。
正気ついでに変なスイッチも入ってしまったらしく、鼻息が蒸気機関車顔負けの勢いだ。
肉食獣さながらの眼光に刻止は背を震わせたが、すぐに「まぁいっか!」と思考を放棄した。
如何せん、お菓子の家ではなく大量の薬草と器具で囲んでくる老婆が大変愉快であったので。
「依頼の内容を越えちまうけどね、あんた達はこのままあたしの作業を手伝いな。手順は教えるし、報酬も弾ませるさね」
「おや、我輩クン達はかまわないが…むしろ、良いのかね?」
用意されていく器具は多少形が違うものの、スポイトや試験管といった使い慣れた物ばかり。
見る限り使い方が分からないような器具はなく、魔道具でもなさそうだ。
それならば問題なく手は貸せる。貸せるが…彼が気にしているのはそこではない。
「安心おし。一番大事な魔力の注入と仕上げは勿論あたしがやるよ。ちゃんと他人に任せて大丈夫な工程しか頼むつもりはないからね」
「うはははは!それなら一安心だ!しかしだね、店主殿。その工程とやらを我輩クン達に教えること自体に問題はないのかね?」
そう、刻止が気にしているのは"作業工程に秘匿すべき点はないのか?"という事だ。
こういったものには門外不出の秘密のレシピがありそうだという、彼の勝手なイメージから来る心配事である。
別にバーバの立場を案じているわけではない。
ただ、不用意に知ることでいざこざに巻き込まれるのは面倒だと思ったのだ。
刻止はトラブルを好んではいるが、どんなものでも受け入れるとはさすがに言わない。捲き込まれるものくらい選ぶ。
とはいえ、きょとんとしているバーバを見るに杞憂に終わりそうだが。
「ウチで扱ってる薬にゃ確かにクラン外の人間に教えられないものもあるがね、今回作るモノは大丈夫だよ。どこにでも出回ってるレシピさね」
「うむ!ならば良き!讃良クンも良いかね?」
「勿論。先輩のお好きなように」
「じゃあ、コレを持っていきな。今回作る薬のレシピだよ。昔弟子用に使ったのが残ってて良かった」
ペラりと渡された数枚綴りの紙に二人は目を合わせると、刻止は白衣を尻に敷きながら丸イスに座り、讃良はその傍らに立って"アガレスの眼"を取り出した。
「説明は必要かい」
「いえ…これなら大丈夫そうです。分かります」
「そうかい。ならそこに書いてある通り作って、出来たモノをあたしに渡しとくれ」
「うはははは!任せたまえよ!」
そうして、作業が始まった。
今度はバーバも退出することなく、自分の定位置で刻止達が計量した材料を開けて調合に取りかかる。
淀みの無い動き。無駄の無い手際。数瞬ごとに持ち帰られては手元でくるくる踊る器具は、さながら魔法のようだ。
刻止はそれを穴が空くほど見つめ、興奮気味に讃良の白衣を引っ張る。
「凄い!凄いとも!これぞまさしく魔女というやつだね!きっと、人をカエルにする薬を作っているに違いないよ!」
「ふふっ、気持ちは分かりますけど、あれは回復薬だと思いますよ。材料的に。ほら、先輩も遊んでないで仕事しましょう」
「うはははは!夢も容赦もないね!良き!では讃良クン、手順を読み上げてくれたまえ!」
「はい!まずは…」
刻んで、擂って、搾って、混ぜて、潰して、捏ねて…
くるくると惑星のように刻止の周りを動き、材料や道具を渡しながらレシピを読み上げていく讃良。
そしてその通りに材料を弄り、手足のごとく器具を操る刻止。
自分や弟子達には及ばぬ手つきながら、その動きは器用で正確。
鼻唄を奏でながら体を揺らす本体と手先が別の生き物のようだ。
そのくせ、本当に別の身体であるはずの二人の息は同じ生き物のようにピッタリなのだから面白い。
バーバは作業の合間に二人を観察し、本当に変な冒険者だと口元を緩めた。
コツをつかんだのか、刻止はどんどんペースを上げていく。
それで火が着いてしまったらしいバーバと競争のようになりながら作業する事しばらく。
気付けば山積みになっていた袋は綺麗さっぱり消え、さながらごみ屋敷のビフォーアフターでも見ているよう。
そしてとうとう、最後の一袋が刻止の手によって仕上げ前の原液となる。
それを確認し、バーバもまた魔力を込める手を止めた。
「まさか、終わるとはねぇ…」
ずらりと並んだ調合後の材料を見て吐き出された息はこれまでのような呆れではなく、夢を見た後の少女のような甘い興奮を孕んでいる。
そんな彼女の様子に、大きな失敗はなかったらしいと刻止は久しぶりの作業で固まった体を出鱈目な体操で解した。
じっとしているのは得意ではないが、工程によって顔色を変えていく材料や薬品を見るのはやはり楽しい。
フィールドワーク続きで忘れかけていた感覚を取り戻せたことに刻止は満足した。
讃良も助手としての本領を存分に発揮できてニコニコだ。
彼女は刻止の手足となって動く感覚が大好きであるので。
つまるところ、二人とも機嫌がすこぶる良い。
だから、というわけではないが、片付けを始めた丸い背へ裏も表もない声をかけたのだった。
「バーバさん、私達は何をしましょうか?」
「店主殿の手には及ばないだろうが、少しは役に立てるよ!さぁ、何でも言ってくれたまえ!」
「ん?いや、後はあたしの仕事さね。もう大丈夫だよ」
「えっと、でも…お店の掃除とか商品の陳列とかって…」
「何言ってんだい!あんた達がそんな雑用をする必要なんてないよ」
曰く、それらは使い物にならない冒険者が来た時用の保険であったらしい。
何もやらせないと問題になるし、かといって表記にない仕事をさせると追加料金を請求される可能性がある。そのため、やらせるやらせないに関わらず記しておいたのだとか。
「では、薬の実験台というのは!?」
「あ、先輩ちゃんと話聞いてたんですね」
「それこそクズが来た時用の仕事さね!間違っても恩人に頼んだりしないよ」
「なんと!?そこをなんとか!!我輩クンを是非とも!是非とも使っておくれ!!」
「は???」
バーバは引いた。こんなに積極的に実験台として志願されたのは、長い人生でも初めてである。
「特に毒薬!!毒薬を頼むよ、店主殿!!お礼だと思って!」
「どんなお礼さね!?」
「すみません。この人、毒に狂ってるんです」
「うはははは!照れるね!」
「褒めてません」
「はぁぁぁ…」
色々と頭は痛いが、刻止の言葉に冗談の気配はない。当然だ。彼は本気である。
ならば、窮地を救ってくれた恩人の頼みだと眉間を揉み、バーバは隣にある在庫置き場へと向かった。
飲ませないとしても見せるくらいは良いだろう、と。
…
「ほら。これが相手を毒状態にする毒薬だよ。調合の材料によって強さが違ってくるが、一般に出回ってるのはこのムラサキフタバを使った代物だね」
「ふおおおおおおおお!! 」
バーバが持ってきた紫色の液体が入った小瓶に、刻止はそこに逆らえない引力が発生したかの如く引き寄せられた。
彼の心境を表すなら、憧れのアイドルがやってきた…といったところか。
そりゃ目がキラッキラにもなるし、最前列に行きたくもなるだろう。
それだけなら好きなものに一直線な可愛いファンだ。推しているのがイメカラでも何でもないガチの紫色をまとった毒さえなければ。
ファンが一瞬でマッドサイエンティストにジョブチェンジである。
特別な訓練を受けている讃良だからこそ「先輩ったらはしゃいじゃって」…と聖母の顔が出来るのだ。普通は引く。バーバは引いた。
「ね、ね!この毒にはどんな効果があるのかね!?」
「効果?そりゃ…じわじわと生命力が減るさね」
「ふむふむ、遅効性なのかな?良き!!」
「あの、この毒薬はどう使うのですか?」
「よくあるのは矢や剣に塗ることだね。後は…まぁ、投げてぶっかけるとかじゃないかい?」
「成る程…皮膚からでも吸収されて効くんですね」
「ああ。だからその草、素手で触るんじゃないよ」
「了解した!!」
言うが早いか、手袋をはめてすぐムラサキフタバを触り始めたのだからさすがである。
表、裏と表面を交互に見比べ、葉脈をなぞり、葉を千切り、切り口から滲むトロリとした透明の液体に目を煌めかせ、指ですくい、臭いを嗅ぎ、舐め…ようとしたところでベシンと叩かれた。
「ムラサキフタバ程度じゃ何も起きやしないだろうけどね、やめときな」
「うはははは!ついね!!」
「先輩…"つい"で毒味するのはどうかと思います」
ジトリと目を座らせる二人に平謝りしつつ、刻止はこっそり舌先の苦味を転がす。
痺れる感覚はない。ただ、ほんの少しの倦怠感が広がっていく気がした。
正直、自分が"毒を舐めた"と自覚が無ければ気付かない程度の違和感であるが。
そしてそれも一、二分しないうちにキレイさっぱり消えてしまったのである。
「んー?店主殿、この毒は自然治癒するものなのかね?それとも、やはり薬で処置を?」
「ムラサキフタバの毒はLv.1だからね。耐性が低くてもすぐに治るだろうよ。毒薬はこれを濃縮してLv.3くらいに調整しとるけど、それでも五分経たないうちに消えるさね。耐性が少し高めなら一分もあればケロリさ。その数分が待てないなら薬を使うんだろうけどね」
「えぇ…それで魔物とか殺せるんですか…?」
「何言ってんだい?毒で殺せるワケがないじゃないのさ。毒ってのはね、相手をほんの少し弱らせたり、一瞬でも動きを鈍らせる為に使うもんだよ」
思わず二人は真顔になった。
引き始めの風邪か?というくらい弱毒性ではなかろうか。
いやいや、と刻止は自分を落ち着かせる。
そうだ、これはあくまでもムラサキフタバの話。ムラサキフタバの毒がその程度というだけだろう、と。
「で、では、モルブススパイダーの毒ならどうかね!?確か、強力な毒を有する魔物と聞いたのだが…」
「あぁ…二日酔いみたいな倦怠感がするってやつかい?Lv.5だったかね」
「二日酔い」
「このレベルだと、体か重くなって鬱陶しいって解毒薬を使う奴が増えるさね」
「もはや解毒薬の扱いが栄養ドリンク並みの軽さですね…」
「…」
いつも楽しそうな刻止の顔が見たことのない悲しみを帯びている。
彼は大事に集めていたドクツルタケを顧問に捨てられた時よりショックを受けていた。
「では…むしろ、どんな毒なら危険なのかね…」
「どんな?そうさね…死の大陸にいるデス・スラグの毒攻撃はLv.10って聞くね」
「Lv.10…!!もしや、くらえば即死とかかい!?」
「まさか。賭け事でスッた後くらいの虚脱感はあるらしいけど、死にやしないよ!耐性が無い大昔ならまだしも、今は皆大なり小なり耐性持ちなんだからね」
「う"っ」
「先輩!?お気を確かに!!」
刻止は理解した。何故自分の『毒生成』がこうも軽んじられてきたのかを。
そりゃ、二日酔い製造機です!と言っているようなものだ。馬鹿にされるのも当たり前である。
「それに、Lv.10の毒だろうが解毒薬で一発で治るからね。ちっとも怖くないだろうよ」
「ん"」
「追い討ちかけないでください!!」
「そ、その、解毒薬とは…貴重な薬だったりするのかね…」
「価値としては低級回復薬程度じゃないかい?まぁ、使われないから2リールでも売れ残るけど」
「ぴぃ…」
「先輩ー!!?」
あまりのショックで刻止は人間を辞めそうになり、讃良は慌ててパタパタし始めた彼の腕を押さえる。
「もうやだ地球帰る!」「先輩、袖じゃ人間は飛べません!」とぎゃあぎゃあ騒ぐ二人に、「埃を立てるんじゃないよ」と言えるくらい慣れてきてしまった自分にバーバは眉間を揉んだ。
「コホン!取り乱して失礼したね!ところで、その解毒薬というのはどんな毒にも効くのかい?ムラサキフタバとデス・スラグではおそらく毒の種類が違うだろう?」
「種類…?そりゃレベルは違うけど、毒は毒に変わりないさね。どの毒をくらおうが、毒の状態であるなら解毒薬は当然効くよ」
「万能薬か何かなんですか…?」
「今のをどう聞いたらそうなるんだい?万能薬ってのはね、毒、麻痺、熱傷、障り、昏睡、盲目、混乱、興奮…そういった諸々の状態異常を全部治せる薬だろうに」
「「ん???」」
ここにきて、二人は違和感に気付く。
「店主殿、例えばだが…くらったら痺れる毒というものはあるかね?」
「は?そりゃ毒じゃなくて麻痺攻撃か何かだろう」
「では、食べたらおかしくなるような毒キノコはどうですか?」
「それなら毒キノコじゃなくて、幻覚キノコや混乱キノコじゃないかい?腹を壊すものなら病魔茸ってのもあるね」
違和感が確信に変わっていく。ずっとおかしいと思っていたのだ。
バーバの語る毒の症状がどれも、ダルい、力が抜けるといった内容であったから。
刻止達が毒と聞いて浮かぶのは、吐き気や痺れだというのに。
「あんた達、毒がどうとか言っていたわりに何も知らないんだね。いいかい?毒ってのは毒状態を引き起こすモンの総称だ。効果の強弱はあれど、それ以上でも以下でもないよ」
「ちなみに、毒状態とは?」
「持続的に体力を失うって状態さね。こんな当たり前の事聞くなんて…あんた達本当に冒険者なのかい」
バーバの訝がる視線はともかく、カチンと何かが嵌まった気がした。
刻止の中で答えが形を成したのだ。
「うはははは!そうか、そうか!うむ!成る程ね!」
「先輩?」
「讃良クン、つまりはね、根本的に認識が違っていたのだよ!」
さて、刻止という人間は毒にしか興味がないように見えるが、それなりに小説は読むしゲームだってよく弄る普通の男子高校生である。だからこそ、バーバの言っている事が理解できた。
「この世界における"毒"とはつまり、持続的に体力を削る作用しか持たないのだよ。言ってしまえば、その一種類しか存在しないんだ。それこそ、ゲームと同じようにね!」
RPG系のゲームをやったことがあれば一度は見たこと、なったことがあるだろう…"どく"という状態異常。
そこには海洋毒、生物毒、鉱物由来、植物由来…なんて区別は存在しないし、敵別の解毒剤なんてものも見たことがない。
蛇型のモンスターにやられても、腐った食べ物を食べても、毒の沼に落ちてもプレイヤーが受けるのは一律に"どく"でしかなく、付与されたそのデバフに差はないのだ。
どうやら、エーデライズにおける"毒"とはそういうものに近いらしい。
対して地球における"毒"とは、人体に害を及ぼすすべてを示す。
生命力を削る作用を持つものは当然毒。
身体を痺れさせる作用を持つものも毒。
体組織を壊すものも、幻覚症状を引き起こすものも、吐き気を催させるものもすべて"毒"なのだ。
まるで点と面。そりゃ、認識が噛み合う筈がない。
「うん、うん。一種類だけなら、皆に耐性が出来ているというのも納得だね」
「先輩?すいません、いまひとつピンとこないのですが…」
「うはははは!つまり、我輩クンの愛する地球の毒は素晴らしいということだよ!!」
「ア、ハイ。後でちゃんと教えて下さい」
テンションがべらぼうに上がってしまっている刻止に、讃良は問いを諦めた。
こういう時はろくに話を聞かないと知っているので。
刻止は嬉しかった。
皆に弱い、使えないと烙印の押されていた毒が、己が愛するそれとは別物であることが。
これでもう腹を立てたり悲しむ必要はないだろう。
刻止は楽しみだった。
これからこの世界に、己の愛するそれを教えていけることが。
彼は別に教師になりたいワケではないが、毒の素晴らしさを伝えることは大好きであるから。
だからこそ、自制心が未熟だった頃には皆にトリカブトをプレゼントキャンペーンなんて騒動を起こしたのだ。
恐ろしいことに、刻止は完全な善意でそれをやれる男だった。
勿論今は成長し、自制が利くようになったが、この世界にはその欲をぶつけても咎められない相手がいる。それも、毒を知らないまっさらな相手が。
彼からすれば降って湧いたような幸運である。相手…ひいてはこの世界にとっては、誠に御愁傷様としか言いようがないが。
「讃良クン!明日からは是非、討伐依頼を中心にしようではないか!」
「え?いいですけど…そのヤル気…先輩、まさか…」
「そうだ!店主殿!!解毒薬と毒薬を十本ずつ買わせてもらえないだろうか!?」
「かまわないよ。むしろくれてやるさね。報酬に上乗せしとくよ」
「うはははは!良き!!」
讃良は察した。たぶん、明日から始まるのは本腰を入れた実験である、と。
彼のこの子供ように無邪気で、けれども暗い路地裏の向こうを覗き込んだような寒気のする瞳は、何も初めて見るわけじゃないのだ。
新しく手に入った毒の検証や、マウス以外の生き物に毒を投与する時…毒の可能性を見ようとする時の彼はこういう目をする。
深淵を覗こうとした瞳に、そのまま深淵が取り込まれたような…そんな目を。
「先輩、楽しそうですね」
「うむ!!我輩クンは非常にご機嫌だとも!」
「ふふ、それは何よりです」
それでも、讃良が抱く感情は"先輩がはしゃいでる。可愛い。好き"なのだから、ブレないものである。
ともあれ、どうやら明日からはこのエーデライズそのものが化学部の実験室らしい。
ならば、彼女がすることは最初から決まっていた。
「どこまでも側でお手伝いしますね」
ただ一人、最近の若者は感情の起伏が激しいものだと呆れ顔のバーバだけが、この場において正常な人間だったのである。




