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第三幕【毒は異世界に滲む】


鳥の声でも、朝日でも、スマホの目覚ましでもなく、人々のざわめきで刻止の目は覚めた。

見知らぬ木造の天井にぼんやり瞬くこと三回。ここが異世界であると思い出し、軋む身体をぐっと伸ばす。バキバキっと景気よく骨が文句を言った。


窓から外を見れば既に通りに人が溢れていて、釣り上げたばかりの魚より粋の良い客引きの声がここまで聞こえてくる。

どうやら自分はこれに起こされたらしいと理解して、つい空気が抜けるような笑みをこぼした。なんとも平和で贅沢な目覚めだ、と。


と、ふわりと欠伸をした彼の耳に控えめなノック音が届く。


「先輩、起きていますか?」

「今起きたところさ。遠慮せずお入り」

「ひゃ、はい!失礼します」


いつもより低く掠れた刻止の声とは違い、いつも通りのみずみずしい声で返事をした讃良は朝に強い方なのだろう。

実際彼女は一時間以上前には目覚めている。


「わぁ…えっちぃ…」

「うはははは!どんな第一声かね!おはよう、讃良クン」

「お、おはようございます、刻止先輩!えっちですね!」

「二番目に持ってくれば良いという訳ではないのだがね」


讃良の舐めるような視線に、刻止は中途半端にはだけていたシャツを整えた。

目に見えて残念そうな顔をする彼女に苦笑を浮かべつつ、刻止は妙に前に身綺麗なその姿に疑問を抱く。


着の身着のまま寝てしまった自分程でないにしても、彼女とて森を長時間歩いたのだ。それなりに服も汚れていたはずである。

そんな疑問を感じ取ったのか、讃良は真っ白な己の白衣をつまみながら廊下の向こうを指差した。


「あっちの部屋に服を綺麗にする魔道具と、体を拭くためのタオルがあるんですよ。女将さんに教えて貰いました」

「おや、そうだったのかい?ありがたい話だ!良き!」


さすがは女の子といったところか。白衣もシャツもしわくちゃでドロドロなのに、今日の服をどうするかなど微塵も考えていなかった彼とは大違いである。


「私、先に下の食堂に降りてますね。終わったら一緒に朝食にしましょう」

「いや、先に食べていてもかまわないよ?」

「嫌です。一緒がいいです」

「うはははは!寂しがり屋さんめ!分かったよ」


待たせるとなるとさすがに申し訳無さを感じるので、刻止は放り出していた白衣をつかんですぐに教わった部屋へ向かったのだった。



「お待たせ!」

「いえ、大丈夫です」


魔道具と冷たい水で服と体を清めた刻止は、十分と経たずして食堂に降りてきた。

意外にも人がまだ多く、賑わっている。

外の様子からしてもう仕事等で出払っているものだと思っていたが、この宿が割高であるということを思い出して納得した。

観光客の朝であればこんなものだろう。


一通りの観察を終えて刻止が席に着くと、すぐに讃良が手を上げて誰かを呼んだ。


「おや、ようやく待ち人が来たのかい。まったく、こんないい子を待たせるなんざダメな男だね!」

「うはははは!面目ない!」

「も、もう!からかわないで下さい!こほん…あの、朝食をお願いします」

「はいよ!待ってな」


にかっと快活な笑みを浮かべたのは、この宿の女将である。

安産型の体型と少し肉付きの良い身体は安心感を感じさせ、"かあちゃん"と呼ばれるのが似合いそうな人だ。

ここが冒険者の街だから…という訳でもないのだろうが、高級な旅館やホテルのようにかしこまるでもなく、さっぱりした態度は親しみやすく気持ちがいい。


「ほい、お待ちどさん」


コトン、とテーブルに置かれた朝食は、野菜の浮いた黄金色のスープと少し黒っぽいパン、カリカリに焼けた厚手のベーコン。

毒の取りすぎで舌が鈍っている刻止は食への関心が薄いのだが、そんな彼でも素直に美味しそうと思える見た目と香りだった。


ただし、くゆる湯気の向こうで「仕込むならスープかな」と最低なことを考えているだろう事は、讃良にはお見通しであるが。何を、とは言うまでもない。

彼女は自分の分の皿をそっと己に寄せた。


「うはははは!さて、冷めないうちにいただこうか、讃良クン!」

「そうですね…いただきます」


ぱくり、と一口スープを口に入れ、二人は揃って目を輝かせる。


「っ、んー!おいしい!女将さん、とても美味しいです!」

「うむ!素晴らしい味だとも!昨日に続き、こんなに美味しいものを摂取出来るなんて幸運だね!」

「ははっ!ありがとね!そう言ってもらえると、父ちゃんも喜ぶよ」


どうやら女将さんの夫が料理担当らしい。夕食といい、とても腕がいいようだ。

カップ麺かレトルトしか作れない刻止は尊敬と共に地球のものよりもパサついた、しかし香ばしいパンをもそもそと咀嚼する。

彼的にはふわふわで甘味のあるパンよりこちらの方が好みだ。


とはいえ、水分が持っていかれて飲み込むのが大変なのは難点か。

チラリと水とスープを見比べて、刻止はスープで流すことに決めた。

すると、香ばしさとスープに溶けた具材の旨味が見事にマッチしたではないか。思わずほろりと口元が綻んだ。


「ふふっ!先輩、なんかほっこりしますね」

「同意するよ!実に良き!」

「ベーコンも美味しくて…うぅ、手が止まりません…!腹八分目にしようと思ったのに…」

「はは!そんなの気にせず、じゃんじゃん食べちゃいな!どうせ動けばチャラさね!」

「うはははは!そうだとも!我慢せず、何なら我輩クンの分まで食べたまえよ!」

「あんたは食べなさ過ぎだ。だからひょろっちいんだよ!ほら、腹がはち切れるまで食べな!」

「おっと手厳しい」


賑やかな朝食はゆったりと過ぎ、気付けば二人とも皿の上を綺麗さっぱり完食していた。

この満足感は、腹を満たしたからだけではないだろう。

少し割高にも関わらず、常にほぼ満室なのだと言っていたマールの言葉も納得である。


「そういや、あんたらは今日どうするんだい?観光ならオススメの場所を教えたげるよ」


空いた皿を片しながら女将が胸を張る。この街の事なら任せろという自信が伝わってくるようだ。


「ふむ、それも魅力的だが…あいにく我輩クン達は冒険者ギルドに用があるのだとも!」

「ギルドに?依頼かい?」

「いえ、実は私達、冒険者になろうかな…と」


おや、と目を丸くした女将は刻止をチラリと見やる。讃良ではなく己が心配されているという事に苦笑を禁じ得ない。

戦いが身近である世界だからこそ、彼の細さは際立って見えるのだろう。

事実、ステータス的には貧弱もいいところであるし。


「嬢ちゃん、パートナーはちゃんと選びな?頼り無いにも程があるよ」

「大丈夫です!私が守るので!」

「うはははは!」


聞き耳を立てていた周囲は、ボロクソに言われているにも関わらず手を叩いて笑っている刻止にドン引きである。

まあ、それでいいのかお前と呆れたような、蔑んだような視線が注がれたところで、効きもしないが。

綺麗にしてなおクタクタな白衣がすべて弾き返している…訳では当然なく、単に耐性があるというだけだ。人の悪意もまた毒と変わりないのだから。


「ま、冒険者になるってのは悪くない事さね。がっぽり稼いで長くウチを贔屓にしとくれ」

「ふふっ、頑張ります。私も長くここでお世話になりたいですから!」

「いやぁ、あんたはいい子だねホント!」

「ひゃ!?」


豊満な身体で抱き締める女将と、満更でもない顔で頬を色付かせる讃良。

刻止は良き良きと頷き、大事な助手が潰される前に「ところで」と声をかけた。


「ご婦人、ギルドはどこにあるのだろうか?」

「あぁ、それならここから出てずっと左に…途中の路地なんかに入るんじゃないよ?とにかくずっと進んでくと街の中心、広場に出るのさ。そこから見える一際大きな建物がギルドだね」

「分かりました!ありがとうございます」

「ただ、気を付けるんだよ?冒険者も良い奴ばかりじゃないからさ。そこのひょろっちいのは特に絡まれそうさね」

「うはははは!それは怖いね!」


ちっとも怖がっていない刻止に、私がしっかりしなければと讃良は気合いを入れたのである。




「本当に、大きいですね…」

「うむ!我輩クンもビックリだとも!」


存分に食事を楽しんだ二人は、身支度を整えて程なく宿を出た。

気を抜くとふらりと路地を覗きに行きそうな刻止を引っ張りつつ女将に教わった通り進み、あっさり辿り着いた広場ですぐに目的の建物は見つかったのである。

他の建物より頭一つ抜けているのだから当然だ。


こうして目の前まで来るとより一層圧というか、存在感を放っているのが分かる。

地球にはもっと大きな建物などいくらでもあったが、ただそこに在っただけのそれらと違い、このギルドという建物は歴戦の戦士が目の前にいるかのような重さがあった。


周辺にたむろする人々は皆厳めしい武器を携え、ガラの悪い風貌の者も多い。

そうでなくても身体から漂うオーラが誰しも鋭いので、すれ違うだけでも怪我をしてしまうのではないかと讃良は足をすくませた。


が、彼女の同行者は残念ながら空気など読まない。


「さぁ!さぁ!張り切って行こうではないか!!」

「え、ちょ、先輩!?まだ心の準備が…!」

「うはははは!そんなもの必要ないだろうに!」


周囲のオーラも怯える讃良も等しく無視し、彼はわくわくと踊る心に従ってあっさりと重厚な扉を開けたのである。


「わ、ぁ…!」

「おお!」


そうして飛び込んだ先には、有名テーマパークの土産物売場を思い出させるような人混みに満ちていた。

歩けない程ではないが、隙間をぬって進むのに苦労するあの感じである。


「賑わっているね!良き!」

「凄いですね…!女将さん曰く、ピークは過ぎている頃らしいですけど…」


朝一、依頼が新しく貼り替わる時が一番冒険者ギルドの賑わう時間なのだと女将は言っていた。

依頼は早い者勝ちだからである。


「いやはや、これで空いている方だとは恐れ入るね!閑古鳥が鳴いているよりは良いけども!」


「就職先が倒産寸前なんて笑えない」と笑って言った刻止は、改めてぐるりと室内を見渡していく。


入り口から見て右側は大きな掲示板が壁を埋めており、更にその掲示板を埋めるようにチラシのような紙が無秩序に貼られていた。

冒険者達は目を皿にしてその紙達に視線を滑らせていき、時折ピンから剥がして持っていく。

おそらく、貼り出されているのは依頼なのだろう。


反対の左側には簡素なテーブルと椅子がいくつか置かれており、規則性の無い配置とバラバラな椅子の数がこのギルドの雰囲気を表しているようだ。この自由さは嫌いじゃない。

利用しているのは地図を囲んで話し合いをする集団や、「はじめまして」「よろしく」と挨拶を交わす者達、ふんぞり返って酒をあおる者…と、おそらくフリースペースなのだろう。


そして、正面にはカウンター。

市役所や郵便局などの窓口を思わせるそこは、木製の仕切りで区切られて五つのブロックに分かれていた。

それぞれに人が並んでいるが、真ん中の三ヶ所の窓口はかなり込み合っており、逆に両端の窓口にはほとんど並んでいない。

三列に並ぶ冒険者達は皆手に依頼と思われる紙を持っているので、おそらくここは依頼の受付窓口。両端はそれ以外の役割を持つ窓口と考えるのが妥当だろう。


「えっと、登録はどこで出来るんでしょうか… 」

「両端のどちらかだと思うけども…ふむ、仕方ないね。"アガレスの眼"で見てみるしか…おや?」


刻止がアイテムボックスに手を伸ばそうとしたところで、受付の一人…左端に座している女性が手招きしている事に気付く。

さっと周囲を見ても他に人はおらず、彼女の眠たげな目も確かに自分達に向いていた。


「あれって…呼ばれてます、よね?」

「うはははは!行ってみるとしようか」

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