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婚約者と乙女  作者: 千鶴
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閑話集 番外編

①過去(前世の出来事と転生後)



 もう会えない。

 その事実が、鋭い棘のように心臓を刺した。


 傾いだ体を誰かが受け止める。優しいはずのぬくもりに、しかし湧き上がるのは嫌悪だけ。血の気が下がり鳥肌がたつ。触れられた瞬間に払い除けた手は、やはり戻っては来なかった。


「驚くのも無理はない。僕も信じられないからな。だが、事実だ」


 滔々と述べられる言葉は、もはや耳に届かない。

 指先が冷えて、固まって、掴んでいる椅子の感覚がなかった。

 胸の奥が凍えている。体の芯から温かさが零れ落ちて、寒くて寒くて仕方がない。

 心臓をぎゅっと握り潰されたら、こんな風になるのだろう。

 おののいた唇を開いて、名前を呼んだ。呼んだと思った。

 けれど声が出なかった。喉が絞られたように張り付いて、血を吐くような痛みを覚える。

 でも、血なんか出やしない。この体には傷ひとつついていない。


 屋敷に閉じ籠って、毎日祈って、祈って、祈るだけだった。

 戦いに赴くことも、戦場を駆けることもしなかった。

 ただ、守られていた。剣も槍も、盾すら持たなかった。


 もし、剣を持てば、変わっただろうか。

 あの人と背を合わせ、互いを護り合えたのだろうか。

 もし、槍を持てば、変わっただろうか。

 あの人の隣で互いを信じ、最期を共に出来たのだろうか。

 もし、盾を持てば、変わっただろうか。

 あの人の前であの人を守り、喪うことなく逝けただろうか。


 考えても、もう遅い。すべては終わった。終わりを迎えた。

 長きに渡った戦争は、今日、終わったのだ。

 愛しいあの人と引き替えに。

 私の大事なものと、引き替えに。


「それから、これを。あなたには酷な話だが、既に決まったことだ。受け入れてほしい」


 何かを差し出された気配がしたが、動く気力はなかった。

 しばらく黙っていた彼は、やがて諦めたかのように、深い溜め息を吐き出した。

 かさりという音に、ああ、紙を机に置いたのだとぼんやり思う。


「名前もこちらで書いている。ただ、指印だけ押してくれればいい」


 そう言って、遠のく足音がして、がちゃりと扉が開く音がして、少しの無音と、ぱたんと扉が閉まる音がした。

 それから、それから。

 どれくらい時間が経ったのか。千年か、万年か。

 あの人と再び会えるだけ、時間が過ぎてくれたらいいのに。

 そんなことあり得るはずもなく、実際には一時間も経っていないのだろう。


 誰もいない、私しかいない部屋で、子どもみたいに泣いてしまった。

 大声をあげて泣いたのに。鼻水を垂らして泣いたのに。涙を擦って泣いたのに。

 あの人は止めてくれなかった。

 それだけで、もう会えないと分かってしまった。


 あの人に初めて贈られたドレスの色は。

 涙で褪せてしまったあの人の色だった。


「ああ、あ、ああああ!! アルフレッド、アルフレッド!」


 叫んでいるのに、来てくれない。呼んでいるのに、ここにいない。

 あなたがいなくて、これからどうすればいいのだろう。

 あなたが求めてくれたから、人として、生きていくことを決めたのに。


 ずるい人。ひどい人。

 あなたを追って逝けたなら、一思いに会いにいけたなら。ここまで苦しむこともなかったのに。

 あなたがいない世界で、もう二度とあなたに会えない世界で。

 どうしてあなたは、守られていただけの私に。腹の子と共に、生きていけと言うのだろうか。


 あなたと結婚していれば、私はきっと、王子と結婚なんて出来なかったでしょう。

 王子と結婚出来なければ、私はきっと、腹の子と共に生きていくことは出来なかったでしょう。


 最後まで私を守ってくれた、愛しいあなた。

 もし次があるならば、今度こそ、笑って一緒に生きてください。


***


 侯爵家同士の友好関係を築くために行われる、挨拶を兼ねた顔合わせ。


 初めて会った少年は、幼いながらも整った顔立ちをしていた。まるで精巧に作られた人形のようで、美少女と間違えられても仕方がないほど、綺麗で美しかった。

 肩につかない藍色の髪は癖がなく、風にさらさらとなびいている。


 親の制止をかける声すら届かず、彼は跪いた。

 熱で潤む瞳には情愛と懇願が宿っている。少年特有の高い声で、彼は告げた。


「アルフレッド=リグタードと申します。麗しくも愛しき我が天使よ、どうか僕と結婚してください」


 告白を受けた少女は大きな瞳にみるみるうちに大粒の涙を浮かべ、少年の手をとった。


「嬉しい……不束者ではありますが宜しくお願い致します」


 弾んだ声で真底嬉しそうに愛を受け入れたリーデシア。


 本当に嬉しいとき、言葉よりも先に涙が出るのだと。その時初めて知った。




○○○


②過去(とある夏の日)



 リーデシアは暑さに弱い侯爵令嬢である。実は冷え性なので寒さにもめっぽう弱いが、暑さにも弱いのだ。ついでにいえば雨にも雪にも負ける。それでも丈夫な体は持っているので大病を患ったことはない。

 そんなリーデシアが負けに負ける季節。夏。彼女が何をしているのかといえば、ただひとつ。


「アル、ひんやりしてる」

「もっと冷たい方がいいか?」

「ううん、ちょうどいいわ。ありがとう、だいすき」

「そうか、俺も愛してる」


 婚約者であるアルフレッドに抱きついて、氷嚢扱いしていた。


 氷魔法の使い手、アルフレッド。しかし彼の魔法は氷を発生させる訳ではなく、温度操作を本質としている。温度を降下させて氷を作り出すだけでなく、上昇させて炎を生じさせることも可能なのだ。

 婚約者のためならば多少不得手でも不平不満一つなく没頭し習得する男。それが異名を持つほど得意である氷魔法、一定空間の温度を急激に低下させる力であれば、息を吸うがごとく為し遂げるのは容易い。


 そんな彼にリーデシアが頼らない訳がなく、暑さに弱い彼女は一日中アルフレッドにべったりしていた。さながら親鳥を追い掛ける雛鳥よりもまとわりつくリーデシア。

 どこに行くにも一緒、部屋にいるときも一緒。アルフレッドが立てば立ち上がり、座れば膝に乗り、歩くときは腕を組む。


 無邪気で純粋でちょっぴり我が儘な婚約者に、アルフレッドも至極ご満悦な顔をしていた。

 これでも王国騎士団の副団長を務めており、その佇まいから「氷の騎士」と評されるアルフレッド。冷静沈着で次期英雄と名高い男が、婚約者相手に冬は湯たんぽ、夏は氷まくら扱いとはこれいかに。


 部下が見たら二度見どころか全力で見なかったことにするだろう光景に、しかし突っ込む命知らずなどどこにもいない。

 むしろ二人が二人だけの空間を作り上げたことを早々に察して、使用人すら周辺から退去している。専属の執事やメイドもお茶の用意をしたあとは別の仕事に向かった。誰しも命は惜しいのだ。


 リーデシアの長く柔らかな髪に口付けて、アルフレッドは口角を緩ませる。基本的に彼女の前だと表情なんてぐずぐずに崩れるが、元が良いのでさらに崩れても変わらずにイケメンだった。相変わらず顔がいい。


 リーデシアが抱きついていた体勢から手を離し、背を預けるように膝へと座り直す。彼女はアルフレッドをソファ代わりにするのが好きなのだ。

 人をダメにするソファよろしく、乙女をダメにする婚約者。むしろ婚約者をダメにする乙女。

 パーソナルスペースがゼロ距離の二人の光景は、暑さが和らぐまで見受けられることになる。



○○○


③別視点(とある令嬢の前日譚)



 例えば、流れる星に願いをかけたとして。叶わぬ願いが叶うようになると思い込めるほど幼くはない。純粋無垢な子どものように、無邪気で無様に笑っていたかった。

 流れ星は星のかけら。不要で不用な燃え尽きるべき石ころ。天に輝く星の隣を、落ちて消える無用の長物。

 姉は大輪の花のような人だった。そこにいるだけで人を惹き付け、鮮やかに色付く美貌の姫。

 妹は野に咲く小さな花のよう。華奢で儚く、それでいてしなやかで可憐な姫。


 私はどちらでもない。どちらにもなれない。大輪の花のように人を惹き付ける力はなかった。野に咲く花のように人から守られるような可憐さはなかった。


 姉のように求められることはなく、妹のように守られることもない。私は二人に任せられない、任せたくない雑務を押し付けられる身代わりのようなものだった。

 私は、ミラベル=トバイアスは。第二王女の形しか望まれていない人形のようなものだった。

 形ばかりの賛美と称賛。形ばかりの婚約と称揚。それらに何かを考えていたはずなのに、言葉に出来ない歯痒さはとうに薄れた。


 感情が凍えて凍てついて、表情が強張って固まった私に、婚約者であるローレンスは随分と優しかった。不慣れな環境で一人きりの私に、穏やかに笑いかけてくれた。楽しげに話しかけてくれた。不自然を感じさせない笑顔に、ただただ、罪悪感だけが募っていった。


 私でなければこの人はもっと楽しい思い出を作れたのだろう。私でなければこの人はもっと心穏やかに過ごせたのだろう。私でなければこの人はもっと世界を謳歌できたのだろう。


 姉のように美しければ、隣に並び立つことも恥じさせなかっただろうに。

 妹のように可愛ければ、後ろに控えることも喜ばしかっただろうに。

 私でなければ、彼は。私であったばかりに、彼は。自由を縛られてしまったのだろう。


 優しくて、穏やかで、思いやりがあって、見目麗しい彼ならば。もっと相応しい人がいるに違いない。せめて心だけでも、私のように歪んだものではなく、真っ直ぐな人がいいに決まっている。


 花のような姉妹に囲まれた私に、花のような令嬢は眩しかった。花の精霊と呼ばれるリーデシア=アルミア。姉のように美しく、妹のように可憐な令嬢。彼女のような人が婚約者なら、彼も笑って過ごせたのだろう。私でなければ、きっと。その為には、私がいらない。私がいてはならない。私がいなくならなくてはならない。


 罪悪感と焦燥感と、後ろめたさと申し訳なさは日に日に増していった。

 例えば、自然に私が消えてしまえば。例えるなら、目の前のこの階段から転げ落ちてしまえば。婚約は解消されて、私ではなく姉か妹が彼に嫁ぐことになる。そうすれば美しく可憐な婚約者ができる。少しは悲しんでほしいけれど、それ以上に喜んでくれたらいいのに。


 目の前の段差を踏み外せばいい。たった一歩で、星のように落ちてしまえば。この叶わぬ願いが叶うようになる、と。

 本気で落ちようと思ったわけではないけれど、体は私よりも素直に動いた。わずかに前に踏み出しすぎた足先が、体重を下へと滑り落とす。ずり落ちた踵にぶれる重心。一瞬で冷えた心臓と吹き飛んだ思考。直後に襲い来る浮遊感に、浮かぶ感情は恐怖に塗り潰された。

 落ちる。星のように、落ちて、消えて。燃えるように、弾けて。


「おい」


 肩が外れるほどの衝撃に息が止まる。炎のような熱が右肩を襲って、引っ張られる力に抗えない。そして背に感じる温もりは日だまりのように温かかった。


「大丈夫か?」


 低く静かな声が聞こえる。頭に響く鼓動は自分のものなのか、後ろの人のものなのか。乱れた息が治まらない。揺れる思考がまとまらない。

 私は確かに消えたかったはずなのに。いざ消えようと思えば恐れと怖さが勝ってしまった。情けない。申し訳ない。私は彼のために、何一つ出来やしない。そのくせ助けられたことに対して、安堵と喜びに満たされている。


「だ、大丈夫、です。あの、ありがとうございます」


 振り向いた先に見たものは、夜空に似た煌めく藍と、深海に似た澄んだ藍と。


「そうか、気を付けろ」


 愛に溢れた、穏やかな顔。


「は、い。ごめ、んなさい」


 背に感じた温もりが消える。手を掴んだ熱が消える。私を見つめた瞳が、穏やかで暖かで愛しげな視線が、名残惜しまず逸らされる。残されたものは駆け巡る心臓と、燃え付くような熱だった。


 あの人は誰だろう。氷のような見目をして、雪解けのような甘さを持つ人。私を助けて、私を見てくれた人。私の瞳を見つめてくれた、優しいあの人は誰だろう。

 散逸した脳に焼き付く夜空のような人。


 後で調べてみたら、花の精霊と呼ばれる令嬢の婚約者だった。名前はアルフレッド。

 あの優しげな瞳は、私の髪と瞳に向けられたのだろう。リーデシアに似た、栗色の髪と琥珀の瞳に。

 誰にも必要とされない不要な私。そのくせ消える勇気もない情けない私。

 ローレンスには心が真っ直ぐな人が相応しい。優しく穏やかな、花の精霊と呼ばれる令嬢のような。

 アルフレッドはどうやら婚約者の見目を慈しんでいるらしい。同じ色を持つ見ず知らずの私さえ助けて、藍の瞳を向けるほどに。


 例えば、流れる星に願いをかけたとして。叶わぬ願いが叶うようになると思い込めるほど幼くはない。純粋無垢な子どものように、無邪気で無様に笑っていたかった。

 だから星には願わない。私に使える力を振るう。

 誰もが笑って過ごせるのなら、あの人が笑って過ごせるのなら。それが私の願い。どうせ燃え尽きるべき石ころならば、落ちて消えてしまえばいい。


 彼女に、なりたい。彼女に成り代わってしまえたら。心優しいあの人の隣は、見目こそ私だけれど、素直で穏やかな彼女がいる。雪解けのような彼の隣には、心こそ私だけれど、麗しく花のような彼女がいる。

 ああ、彼女になりたい。羨ましい。恨めしい。怨ましい。


 純粋な願いだったはずなのに、この心が歪んでいるせいだろう。いつしか呪いにも似たそれが、胸を焦がして焼き付いた。


活動報告に載せていた短編を移行しました。

番外編。本編に載せきれなかった小話。

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