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婚約者と乙女  作者: 千鶴
33/36

閑話集 イフ

①If:すれ違う二人(リーデシアに特殊能力があったなら)



 ああ、夢を見た。あなたの夢を、あなたが結婚式を挙げる夢を。


 純白の軍服に身を包み、穏やかに笑うあなた。

 胸元に一輪の青い薔薇を飾って、貴族としてではなく騎士として式を挙げるあなた。

 喝采と祝福。歓声と拍手。

 赤い薔薇の花びらが散らされて、二人の歩む道を彩っていた。

 義父と義母が手を取り合って息子を見つめていた。

 父と母が俯いて肩を震わせていた。

 騎士団長殿が腕に顔を埋め泣いていた。

 国王陛下が寄り添う二人を見守っていた。

 顔を隠すベールが上げられて、あなたは優しく笑っていて。

 ゆっくりと顔が近付いて、一瞬躊躇って、口付けを交わして。

 すっと離れたあなたの顔は、幸せそうに微笑んでいた。

 幸福な時間だった。幸福な空間だった。


 暖かく穏やかで、寿ぎ満ちたその場所に、終ぞ私はいなかった。



 ああ、夢から覚める。夢が褪める。


 声が聞こえる、名前を呼ぶ声が。


「……ディ、リディ」

「……アル?」

「ああ、起こしてすまない。だが今眠ると夜に眠れなくなるだろう。それに夕食の時間だ」


 ふっと窓の外を見れば、夕日に世界が赤く染まっていた。遠くの空は夜に沈む青の色。赤も青も、夢で見た薔薇の色。


「……ねえ、アル。あなた、私が好き?」

「勿論愛しているとも。俺がお前以外を愛することはない」


 そう言って笑う彼は穏やかで、幸せそうだった。



 ああ、きっとあなたは知らないでしょう。


 予知夢、未来視、あるいは千里眼。

 観たくない未来を視る魔眼があることを。

 見たくない未来を視てしまう私を。

 裏切られると知りながら、報われぬと知りながら。

 あなたに愛を捧ぐ私を。あなたの愛に縋る私を。


 滑稽でしょうね、笑って頂戴。

 二人歩む未来も、二人寄り添う未来も、来るはずかないのに。

 それでも明日を願う私を。ねえ。どうか。

 その日が来るまで、裏切る時まで。叶わぬ夢を見させて頂戴。




○○○


②If:すれ違う二人(リーデシアが受け入れられなかったなら)



 華奢な肩が震えている。琥珀の瞳が見開かれている。大粒の涙を幾筋も落としながら、小さな唇がおののいている。

 傷だらけの鎧が軋む。差し出した手甲が真っ赤に染まっている。腰に下げた剣が酷く重い。一歩踏み出せば、彼女は悲鳴をあげて後退る。


「いやっ、来ないで……!」


 彼女の視線が剣に固定された。刃こぼれし、こびりついた汚れで輝きを失ったなまくらが煩わしい。


 優しい君よ、愛しい君よ。可憐で清楚で麗しく、素直で綺麗な君ならば。国を守ったこの俺を、人を殺したこの俺を。今まで通りの優しさで、果たして愛してくれるだろうか。

 愛してくれるのだろうと思っていた、ずっと。


 けれども、現実は理想と程遠かった。

 彼女には何も知らないまま、綺麗なままで笑っていてほしかった。自分のために泣いてほしくはなかった。

 今、自分が惨劇を知らせている。今、自分が綺麗な笑顔を崩させている。今、自分が彼女を泣かせている。


 こんなはずじゃなかった。こんなことになるのなら、俺は帰って来なかった。

 血塗れの顔が恐ろしいのだろう。返り血を浴びた鎧が恐ろしいのだろう。血で汚れた手が恐ろしいのだろう。敵を斬りふせた、生々しい凶器が恐ろしいのだろう。


 それでも、いいや、それならば。もはや先がないのなら。この先に彼女が傍にいないのならば。どうかその手で、俺を殺してほしい。どうか最期まで、俺を見ていてほしい。

 最後の一瞬だけは、君が俺を見守ってほしい。


 腰に下げた剣を手に持てば、彼女の顔がひきつった。大きな瞳が泣きすぎて充血している。ああ、そんな顔をさせたい訳じゃなかったのに。これが安堵の涙であれば、素直に悲しむことができたのに。

 どうやら俺は、優しい婚約者ではなかったらしい。愛しい女性を怯えさせているのに、その感情をもたらしたのが自分だと愉悦を覚えた。


「……ごめんな、リディ。どうか、幸せに」


 願わくば、どうか忘れることが出来ませんように。どうかこの死に様を、目に焼き付けてくれますように。


「あ、アル……ッ!」


 少女の叫びと同時に、赤い鮮血が散った。




○○○


③If:すれ違う二人(現在と過去の人格がそれぞれ別物であったなら)



 あなたは誰を見ているのだろうか。

 甘く呼び掛ける声は誰に向けられているのだろう。

 優しい眼差しはどこに向けられているのだろう。

 壊れ物を扱うかのような指先は、幸せを湛えるかのような笑みは。

 私を見ているようで、私ではない何かを見ているあなたは、いったい誰を求めているのだろうか。


「おはよう、リディ」

 起きたばかりの私に、アルフレッドは蕩けるような声音で呼び掛ける。

「おはよう、アル。もう起きてたのね」


 その瞳がぼやけて見えて、その瞳で見据える私を、私と重ねられた誰かを、見たくなくて。目を覚ますふりをして顔を擦れば、両手を捕まれて窘められた。


「駄目だろう、目が痛む」


 心配する声音は確かに私に向けられているのに、二重に聞こえるのは気のせいだろうか。

 同じ布団で、いつも私よりも後に眠って、いつも私よりも先に起きるアルフレッド。眠る前の眼差しが優しいのはどうしてだろう。起きた私を見る目が安堵に包まれているのは何故だろう。


 昔からそうだった。初めて出会ったときから、彼は私を通して誰かを、いいや、私と同時に、私に重ねた誰かを見ていた。幼い頃は無自覚で、けれども、いつからか自覚を持って。


 私を見つけては安堵して、私に触れては安心して。私が笑うと心底嬉しそうで、私が無邪気に振る舞う様を、慈しむように見守っている。

 囲っている意識はあるのだろう。外界から遠ざけようもしていることも、守ることを言い訳に、縛り付けていることも。彼自身がわかっているだろう。

 それに気付かない私を見て、何も知らない私を見て、良かったと、紡いだ唇を知っている。


 アルフレッドのことが好きだ。

 優しいところが好きだ。強いところが好きだ。たくましいところが好きだ。頼りになるところが好きだ。甘やかしてくれるところが好きだ。抱き締めてくれる腕が好きだ。低い声が好きだ。穏やか眼差しが好きだ。触れた唇が好きだ。乗せてくれる膝が好きだ。ほっとして吐き出される息が好きだ。さらさらの髪が好きだ。硬くも温かい掌が好きだ。体温を伝える胸が好きだ。

 息をしている彼が好きだ。心臓が動いている彼が好きだ。好きだと言ってくれる彼が好きだ。だから。


 だから私は。何も知らないふりをする。あなたが望むまま、何も知らず、何も見ず、何も聞かない無邪気さを振る舞い続ける。


 そうすれば私もあなたも、幸せなままでいられると。誰も傷付かす、誰も苦しまないと。信じていたのだ。本当に、本気で。何もかも、このままでいられると。


 信じていたのに。


 歓喜に震えるあなたと、やり遂げた姿の友人と。笑みを浮かべた親友と、安堵の溜め息を吐く王子さま。

 ねえ、待って。私はここに、ここにいるのに。

 勝手に体が動いている。勝手に顔が動かされる。必死に抵抗しているのに、体は全然言うことを聞いてくれなくて。嫌だと叫び出したいのに、唇はゆっくりと弧を描く。


「……リディ」

「――アル? それに、みんなも……わざわざ集まって、どうしたの?」

「リディ、今から質問をするから、ゆっくりでいい。答えてくれ」


 そうして告げられていく質問は、私の知らないことばかりで。勝手に動く口が告げる答えも、私の知らないことばかり。それなのに、答えを聞くたびにアルフレッドの瞳が輝いていく。笑顔が深くなって、溢れんばかりの喜びを漂わせて。

 最後の質問が終わった瞬間に抱き締められて、零れたのだろう言葉にぞっとする。


「ああ、やっと、会えた……お帰り、リディ」


 私は、ずっと、ここにいるのに。今までずっと、あなたの傍にいたのに。

 やめて、見ないで。助けて、私を、わたしは。

 見たくないのに目が閉じられない。聞きたくないのに耳が塞げない。喋りたくないのに口が止まらない。


 助けてハンナ。泣きそうな顔でわたしを見ないで。助けてフュエル。愛しそうな顔でわたしを見ないで。助けて殿下。懐かしそうな顔でわたしを見ないで。


 やめて、見ないで、助けて、アルフレッド。あなたが愛したわたしは、私ではないのだと。突き付けないで、分からせないで。今まで過ごした日々が、大事ではなかったとわかる顔で、わたしを見つめないで。

 大好きだったの、本当に。だから私は。何も知らないふりをして。あなたが望むまま、何も知らず、何も見ず、何も聞かない無邪気さを振る舞い続けてきたのに。


 幸せなままでいられると思っていたの。誰も傷付かす、誰も苦しまないと信じていたの。本当に、本気で。何もかも、このままでいられると。こんなはずじゃなかったのに。

 誰か、どうか。見てないで、助けて。ねえ、このままじゃ私、壊れてしまうわ。壊れても誰にも気付かれず、大事な人たちを見つめ続けるくらいなら。どうか、殺して。心だけ、意識だけ。どうか、ねえ。もういいから。

 あなたが誰を見ていてもいいから。

 要らないわたしを、今すぐ消し去って。


活動報告に載せていた短編を移行しました。

イフ編。本編とは関係ありません。

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