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婚約者と乙女  作者: 千鶴
28/36

とある令嬢の話 6

 ふわり、と。栗色の髪が風になびく。

 かすかにウェーブがかったそれは、羽のようにひらめいている。

 太陽の煌めきを閉じ込めた瞳は琥珀に似ていた。

 緩やかに上がった口角は、穏やかで清廉な微笑みを湛えている。


 テラス席でティータイムを楽しむリーデシア。

 花の精霊と呼ばれた令嬢は、今日も人々の視線を集めていた。

 温かな日射しがテーブルを照らす。

 吹く風は決して冷たくはないが、程よく涼しさを与えてくれた。


 カバーのかけられた本に琥珀の瞳が向けられている。

 ページを捲ればきゅうと細まり、唇が微かに震えた。

 口寂しさにつまむクッキーがなくなる頃には読書も終わり、すっかり紅茶が冷めていた。

 飲み干すタイミングを見計らったかのように、婚約者の青年が姿を現す。


「リディ! すまない、待たせた」

「アル! 待っていたわ」


 僅かに呼吸の乱れたアルフレッド。

 急いで来たのだろう。髪を掻き上げるついでに、額の汗を拭っている。

 席に座ったままリーデシアはアルフレッドを見つめる。

 こてりと首を傾げながら、彼女は悪戯気に微笑んだ。


「ねえ、アル。私、いつもと違うところはないかしら?」

「ん? そうだな、前髪の分け目が普段より3ミリ右側になっているな」

「そう? そこは気にしてなかったわ」


 リーデシアは視線を前髪に移して、片手で分け目を整える。

 期待した答えではなかったのか、彼女は再びアルフレッドを見つめた。

 アルフレッドは彼女の頭の天辺から爪先までを凝視する。

 すると一つ頷いて、笑みを浮かべながら問いかけた。


「少し雰囲気が明るいな。いいことでもあったのか?」

「ふふ、わかった?」

「詳しく聞いても?」

「んー……アルって本当に、私のこと愛してるんだなって。再確認したの」


 リーデシアが無邪気に笑って、席から立ち上がる。

 そのまま気分が良さそうにテラスの出口へと歩いていく。

 アルフレッドは不思議そうに彼女の後ろ姿を眺めたが、すぐに追いかけて隣に並んだ。

 自然と差し出された手を繋ぐ。

 どちらともなく笑みを交わせば、屋敷への帰り道をゆっくりと歩いていった。




***




 王城の地下には石造りの牢屋がある。

 堅牢にして硬質、防音のそこから中の様子は伺えない。

 そしてその牢屋には、大きく分けて二つ種類があった。

 貴族用とそれ以外だ。

 貴族用の牢屋には牢屋に相応しくない家具が置かれている。

 日射しが差し込まない故に魔道具の暖房器具もあり、さらには夜でも自由に灯りが点せるようになっている。

 その一室、最も奥まった場所に複数の人間が集まっていた。


「やだやだ、離して! 違うの! わたしは、ミラベルなんかじゃない!」

「落ち着いてください、トバイアスの姫君! おい、暴れさせないようしっかり抑えてろ!」

「違う違う違う! わたしは! トバイアスの王女なんかじゃない!」


 泣きわめく少女を、鎧を纏う騎士が三人がかりで抑えている。

 栗色の髪を振り乱し、琥珀の瞳を真っ赤に腫らして。

 トバイアスの王女であるミラベルが叫んでいる。


「暴れないでください、トバイアス様! 怪我をしてしまいます!」

「違う! わたしは、わたし、ああああ!」

「落ち着いてください!」

「いやああ! 離して!」


 牢屋の外にいたローレンスはその光景を眺め、控えめに溜め息を吐き出した。

 隣には侍女が立っている。

 動きやすいメイド服を着こなし、書類の束を抱えている女性。フェミナだった。


「あまり騒ぎにしてほしくなかったんだけど」

「申し訳ありません」

「謝罪はいいよ。理由は?」

「花の精霊です」

「……起きたのか」

「はい」


 ローレンスは今度こそ盛大に溜め息を吐き出した。

 米神を揉みほぐし頭痛に耐える。

 受け答えをしていたフェミナは無表情で、会話している時ですら唇しか動いていない。


「それで、彼女(ミラベル)が錯乱している原因は?」

「覚醒の魔力に巻き込まれた故かと。元々精神と肉体を入れ替える禁術を行おうとしておりましたので、失敗した反動だと推測致します」

「ああ、記憶の混同ね。面倒だな……どう言い繕おうか」

「侯爵令嬢誘拐、及び傷害未遂の証拠は揃っております」

「本当はそうなる前に止めてほしかったんだけど」

「僭越ながら、ミラベル=トバイアスとの婚約は破棄するよう進言致します。我が甘言に容易く躍らされる彼女は、王族に相応しくありませんでした」

「そう……彼女の頑張る姿を気に入っていたのだけど。本当に、残念だな」


 思わず呟いたローレンスは、どこか遠くを見つめていた。




 ○




 花の精霊とは可憐な女性を表す代名詞とされている。

 かつて神話がまだ神話でなかったころ。

 美を司る神の領域で、花を愛でながら暮らす人間がいた。

 彼女の穏やかさと愛らしさに美の神は恋をし、彼女に寵愛を授けて寿命のない精霊へと召し上げたと伝えられている。


 神話を描いた絵画で花の精霊は、常に美の神の傍らに侍り微笑んでいる。

 姿は幼い少女であったり、妙齢の女性であったりと定まってはいないが、どの絵画も穏やかで可憐な姿で描かれる。


 ここまでが神話として伝えられている話だが、しかし神からも愛された彼女は、人からも当然のごとく愛された。

 精霊へと存在を変えても人々は彼女を求めた。

 そして一人の男と彼女は恋に落ちたのだ。


 美の神は寵愛を授けた彼女の裏切りに怒り、その肉体を取り上げた。

 彼女は精神のみの概念と成り果てたが、恋に落ちた相手はそんなこと関係ないとばかりに、彼女を愛し続けた。

 やがて人間である男が亡くなった後も、肉体を失った彼女の心は彼のものだった。


 寵愛を授けた彼女のあまりの嘆きように、神は転生を許した。

 肉体を失い精神だけとなった彼女に、何度産まれ変わろうと再び彼と出会える奇跡を与えた。

 精霊としての権能を取り上げて、すべての記憶を覚え続けていくこと代償に。


 人へと戻った彼女は、人であるが故に脳が記憶を保持し続けられない。

 生きていくために忘れた記憶は、しかし決して消えた訳ではない。

 きっかけすらなくそれは甦る。


 花の精霊だったリーデシアは、すべての過去を覚えている。

 大戦で死に別れた前世だけでなく、その前も、さらにその前の生の記憶も覚えている。

 そして。

 忘れていてほしいと、忘れていることに安堵したアルフレッドの思いを知っている。


 アルフレッドから囲われている意識はあった。

 外界から遠ざけようもしていることも。守ることを言い訳に、縛り付けていることも知っている。

 それに気付かない姿を見て、何も知らない彼女を見て。良かったと、紡いだ唇を知っている。


 リーデシアはアルフレッドのことが好きだ。


 優しいところが好きだ。強いところが好きだ。

 たくましいところが好きだ。頼りになるところが好きだ。

 甘やかしてくれるところが好きだ。抱き締めてくれる腕が好きだ。

 低い声が好きだ。穏やかな眼差しが好きだ。

 触れる唇が好きだ。乗せてくれる膝が好きだ。

 ほっとして吐き出される息が好きだ。さらさらの髪が好きだ。

 硬くも温かい掌が好きだ。体温を伝える胸が好きだ。


 息をしている彼が好きだ。心臓が動いている彼が好きだ。

 好きだと言ってくれる彼が好きだ。

 何度生まれ変わろうと愛してくれた彼が好きだ。

 どんな姿になろうと愛し続けてくれた彼が好きだ。

 だから彼女は。


 何も知らないふりをする。彼が望むまま、何も知らず、何も見ず、何も聞かない無邪気さを振る舞い続ける。


 そして彼女が笑っていることを、寵愛を授けた神は望んでいる。

 彼女の近くで、もしかしたらと彼女の心に期待して。

 人間へと転生した神は、王太子として彼女の平和を願っている。




***




 その後、ミラベルは病気であり、療養のために自国に戻った。

 それに伴い婚約は彼女の異母妹である、第三王女のレベッカに移行された。

 ミラベルのその後は不明である。




 ローレンスは事件のせいで後回しにし、溜まってしまった書類にペンを走らせていた。

 侍女であるフェミナが処理済みの束を片付け、新たな仕事を持ってくる。

 側近に似た立場のアルフレッドも、斜め前の机で仕分けられた書類に目を通していた。

 不機嫌な雰囲気を隠さないアルフレッドにローレンスは苦笑する。


「これでも僕も頑張ったんだよ。内々に処理したんだから、むしろ感謝してくれていいぐらいだ」

「身内の問題に他者を巻き込んだ時点でお前の落ち度だ。一度死んだくらいでは筋金入りの悪癖は治らないようだな」


 苛立ちをぶつけるように書き込まれているせいか、先ほどからガリガリとペン先が削れる音がしている。

 筆圧で紙が破けないか心配だ。


「まさか。前世も今も、僕は止めようとしたんだよ。彼女と結婚する気なんて欠片もないからね」

「どうだかな。前世では結局、結婚したんだろうが。何が悲劇の聖女だ。ふざけるな」


 びしびしと柄にヒビが入ったと思えば、甲高い音をたててペンが砕け散る。

 アルフレッドの苛立ちを込めた握力に耐えられなかったのだ。

 ローレンスは机に散らばった破片を見てひきつった笑みを浮かべる。


「仕方ないだろ。そうしないと別の誰かが彼女を娶るだろうし。それに、彼女には触れてないよ。そのせいで白い結婚なんて揶揄されるし……いや、事実だけど。あの子も一途だったから、『覚えている証』だってずっとアリスブルーのドレスを着続けていたからね」


 ローレンスは机へ軽くペンを放ると、両手を上げて固まった体をほぐした。ごきりと関節が鳴る。

 自覚はあったが、だいぶ体が固まっている。

 肉体的にも精神的にも疲弊していた。

 アルフレッドの方を見ないようにしながら、言葉を続けていく。


「英雄様に倣って国王なのに副騎士団長にされたし、君の息子には結局本当のことを言えなかったし、散々だよ。君は知らないだろうけど、彼女と君の息子は君そっくりだったんだからね。本を読むなら必ず英雄の話を選ぶし、母親のことが大好きだったし。ほーんと、見た目も言動も君そっくりでさ」

「……ああ、知っている」


 その時のアルフレッドは、今にでも泣き出しそうな顔をしていた。

 それが嬉しさ故か、それとも悲しさ故かはわからない。


「今生ではいつ会えるのかな? 君たちの息子に」

「煩い。その頃には領地に帰る。王都なんぞに居られるか」


 仕事を片付けたアルフレッドが荒々しく椅子から立ち上がる。

 そのまま部屋から出ていく様を見送りながら、ローレンスは独り言のように呟いた。


「……今生こそ、幸せになれよ」


 フェミナがちらりとローレンスを見る。


「あなたも、幸せになって良いと思いますが」

「恋しい女性を散々嘆かせた僕に、その資格はないよ」

「殿下は時々理解不能な言葉を仰います。そのような過去は私が記憶する限りございません」

「いいよ、わからなくて。あ、次はレベッカに付いてくれるかい。名前は、そうだな。ブジーアにしよう」

「偽名は結構ですが、あらゆる言語で『嘘』という意味の言葉を名前にするのはお止めください」

「分かりやすくていいと思ったんだけど」

「分かりやすいから嫌なんです」


 きっぱりと告げた侍女の言葉に、王太子は笑った。


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