とある令嬢の話 5
がくんと、体が落ちた感覚で目が覚めた。ふるりと震える瞼が重く、鼓動は頭に響くほど速い。
一度目を閉じて深く息を吸い込めば、埃っぽい臭いが鼻をつく。かすかに咳き込みながら吐き出せば、喉が乾燥していく気がした。
リーデシアが再び目を開けると、真っ先に薄暗い天井が視界に入った。寝返りを打とうとしてぎしりとベッドが鳴る。しかし体は思うように動かせず、わずかに横に向いたのみ。
そこでようやく自分が両手を頭の上で縛られており、ベッドに寝かせられていることに気付く。足首から固く重い音がして、何とか足元を見れば鎖に繋がれていた。
どうしてこんなところにいるのだろう。早く帰らないと、アルフレッドが心配してしまう。
巡らせた視線は部屋の隅までは見渡せない。見える範囲で探しても窓はなく、外からの光が射し込む箇所はどこにもなさそうだ。
本来であれば真っ暗闇だろうにも関わらず、部屋の明るさが薄暗い程度で済んでいるのは、恐らく魔力かそれに類する道具のおかげだろう。
ランプや蝋燭の類いがないにも関わらず、かろうじて見える天井や壁は煤けていた。
縛られた手を動かすが、縄が緩む気配はない。手を縛るのは縄で、足を縛るのは鎖。その他に縛られている場所はない。
だからといって縄も鎖も、簡単に解けるようなものではないし、逃げることも出来ないが。
何故こんな部屋にいるのだろう。繰り返す疑問に記憶を呼び起こす。
たしか、下級生に絵のモデルを頼まれたはず。それが昼休みのことで、放課後に会おうと約束をした。
指定された庭園の時計台は大きくて、正面に植えられた色鮮やかな花々が目を彩る。
それから、何だったか。確かに約束をした相手が来たのに、そこからが酷く曖昧だ。
覚えているのは、相手の笑顔。それから淡々とした声と、ガラスが砕ける澄んだ音。白い煙に刺激臭。喉の痛みを感じた直後、全身を襲った倦怠感に意識を手離した。
ではここは、恐らく彼女に運ばれてきた部屋なのだろう。連れてこられた理由はわからないけれど、身動きが出来ない今は大人しくしている他ない。
リーデシアがそう結論付け、細く長く息を吐き出す。
無意識に速まる鼓動を落ち着けるために繰り返した呼吸が数え切れなくなったころ、頭の方からがちゃんと鍵が開くような音がした。
軋みながら開く扉と、複数の足音。出入口はこちらにあったのだとリーデシアが見付からなかった原因に納得していると、柔らかな声がかけられた。
「ご機嫌よう、気分はどうかしら」
ひょこりと顔を出して見下ろしてくるのは、栗色の髪と琥珀の瞳を持つ令嬢。自国の王太子の婚約者である、隣国の王女。ミラベル=トバイアス。
「まあ、綺麗な顔が汚れているわ。ちょっと、フェミナ。汚さないでって言ったでしょう」
「……申し訳ございません、お嬢様」
謝罪と共に視界に入った女性は、ライと名乗った相手だった。動かぬ表情とぴんと伸びた背筋、伏せられた瞳からは先ほどとはまったく違う印象を受ける。
きっとフェミナというのが本当の名前なのだろう。
「……どうして、こんな」
リーデシアから疑問の声が零れ落ちる。
どうして、こんなところに彼女たちがいるのだろう。どうして、こんなところに私は連れてこられたのだろう。どうして、彼女たちはこんなことをしたのだろう。どうして、私はこんな目に合っているのだろう。
眉を下げたリーデシアの憂いを帯びた眼差しがミラベルを射抜く。きゅっと引き結んだ唇は寒風に耐える花びらに似ており、埃でかすかに汚れていた頬すら一層気高く見せていた。
決して折れないだろう誇り高い姿が、ミラベルの癇に障る。
「どうして、なんて。そんなのわたしが言いたいわよ」
ミラベルを中心に、生温い風が一瞬で吹き荒れた。弄ばれた髪がバタバタとはためき、頬や顔を打ち付ける。風に混じって錆びた鉄の匂いが漂い、埃っぽい部屋がより深く淀んでいく。彼女の足元から沸き上がる靄が、蛇のように足を登って絡み付く。
「どうして、あなたばかり、そんなに幸せそうなの。わたしだって、そんな風に生きたかったのに」
口を開けば呪詛のごとき言葉がこぼれ落ちていく。湧き上がる衝動を抑え込むために握り締めた掌に、さらに力を込めれば爪が食い込んだ。じわりと血が滲む感覚がする。食い縛った奥歯からみしりと音が鳴った。
一心に、真っ直ぐに。目の前に横たわる存在を見つめる。見開いた瞳が渇いて痛むけれど、目を逸らすことなどできない。
羨ましい。妬ましい。恨めしい。怨やましい。
「わたしだって、好きで王族なんかに産まれたわけじゃないのに。豪華なアクセサリーも、豪奢なドレスもいらないのに。普通に好きな人と、普通に幸せに過ごせたら、それだけでよかったのに」
どうしてこんなに、彼女とわたしは違うのだろう。
魔力が高いことは同じなのに。
栗色の髪を持っているのは同じなのに。
琥珀の瞳を持っているのは同じなのに。
見た目が可愛くて綺麗なのは同じなのに。
身分が確かなのは同じなのに。
甘やかされてきたことは同じなのに
彼女に悲しさなんてわからない。彼女に苦しさなんてわからない。彼女に虚しさなんてわからない。
わたしに唯一の夢は叶えられない。わたしに自由に生きることは許されない。わたしに選択肢はなく、わたしがわたしのままでは、望む未来は訪れない。
このままで終わるなら、理不尽を仕方ないと終わらせてしまうなら。
努力と忍耐を強いられてきた自分があまりに憐れではないか。
だから。
この場所を代わりましょう、リーデシア=アルミア。
この身が持ち得るすべての権限と、この身が被るすべての理不尽を、あなたにあげる。
「――例えば、肉体と精神が入れ替わったとしたら。どちらがあなたで、どちらがわたしなのでしょうね」
笑みを含んだ言葉に応えるように、くすぶる靄がリーデシアとミラベルを包み込む。
「あなたの大事なあの人が、気付いてくれると良いわよね」
落ちた言葉を引き継ぐように、笑い声が響いた。




