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婚約者と乙女  作者: 千鶴
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とある令嬢の話 4

 リーデシアは王立学園の庭園に来ていた。円を描くように咲く花は色ごとに植えられており、グラデーションが目に鮮やかだった。一部の乱れなく並べられたそれらに庭園を管理する者の誇りと矜持がうかがえる。


 爽やかで甘い香りに包まれた空間は居心地がよく、暖かな光で照らされていた。きっと満腹であれば眠気を誘ったことだろう。

 中心に置かれたテーブルとソファに近付いて、リーデシアは傍に設置されている時計を見上げた。


 そして構内ですれ違った女生徒の顔を思い出す。





 麗らかな日差しが心地よい昼休み。アルフレッドは今日明日は騎士としての勤めがあるため、今は王城にいる頃だろうか。

 リーデシアはハンナと昼食を取りにテラスに向かっていた。その途中、庭に咲く花に目が止まる。薄紅色で五枚の花弁を持つそれは花壇とは離れた場所に咲いており、意図して植えられたものではないと分かった。


 リーデシアが呼び寄せられるようにふらふらと近付いていけば、ハンナが訝しげにそちらを見る。そして目的を理解すると、呆れたように「先に行ってる」と声をかけて去っていった。

 リーデシアが自由で奔放な行動を取るのはいつものことだ。今回の行動も初めてではないので、慣れたハンナは先に行って席を確保してくるらしい。


 しげしげと花を見つめるリーデシアは、しかし後ろからとある生徒に声をかけられる。振り向くが顔を見ても覚えはなく、制服から恐らく下級生なのだろうと判断した。きょとんとした瞳を向けらたその娘は、リーデシアを見つめながら弾む声をあげた。


「あの! 花の精霊さんですよね! わたし、ライって言います! 趣味で絵を描いてて、ぜひ花の精霊さんにモデルになってもらいたくって……!」


 きらきらとした笑顔は純粋な好意しか見えず、握られた掌は話すたびにぶんぶんと振られている。唇が震えているのは緊張のせいだろうか。

 驚いて目を瞬かせたリーデシアに、唐突すぎたかとライがあわあわと言葉を継ぎ足す。意味をなさない言葉の羅列と声をトーンに、リーデシアは微笑ましさを覚えた。


「えぇと、私で良いのなら喜んで」

「マージですか!? やったあ! じゃあじゃあ、今日の放課後、庭園の時計台の前にいらしてくださいませんか! いーっぱい画材用意します!」


 怒濤の勢いで喋るライに頷いて快諾するリーデシア。体全体を使って喜びをあらわにしたライは、無駄にぴょんぴょん跳び跳ねている。

 そのまま教室に戻るらしい彼女は、何度も振り返ってはリーデシアに手を振って、時間をかけながら去っていった。





 放課後になった今、リーデシアは一人で待ち合わせ場所に佇む。


 見上げた時計の秒針が、音を立てながら時を刻んでいく。すべての針が頂点を指した瞬間、ざあっと強い風が吹いた。

 砂を巻き込んで叩きつけるように、周囲の音を掻き消すほどの強風にとっさに目を閉じる。長い髪が風に弄ばれた。


 はためくドレスを無意識に抑えて、思わず体を守るように身を縮める。咲き誇る花が一斉に同じ向きへと倒れ、耐えきれなかっただろう草や花びらが空を舞う。

 ふと、足音が風に乗って届いた。


「あーあ、ほんとに来てしまったんですね」


 目を向ければライが入り口から姿を現した。満面の笑みだった昼間とは打って変わって、眉は下がり唇はへの字に曲がっている。大きな肩掛け鞄をわざわざ両手で持ち、ゆっくりとした足取りは酷く重い。

 快活さは微塵もなく、ともすれば困惑した雰囲気すら漂わせてライはリーデシアの目の前に立ち止まる。


「せっかく生徒になれて、今日一日楽しかったのに。また無言で従順な侍女に戻らなきゃいけないとか、理不尽ですよね」


 ライが頬を膨らませて文句を言う。肩から提げた鞄を重そうに地面へと下ろし、大きな溜め息を吐いた。片手で前髪をかき上げて後頭部へと流せば、リーデシアを見てかすかに眉を寄せる。


「禍福は糾える縄の如し、ですっけ? わたしだって好きでこんな立場な訳じゃないし、もっとまともな幸せを享受したいですし」


 しゃがんで鞄のロックをはずし、無造作に音を立てて広げる。中から現れたのは鞄にぎりぎり収まっているサイズのキャンパスと、液体の入った細工の美しい小瓶が数本。

 小瓶を取り出しキャンパスを除けば、丈夫そうな縄と袋が仕舞われていた。


 ライが畳まれていた袋を引っ張り出し、両手で雑に広げていく。空気に打ち付けるように広ければ、袋はちょうど人ひとりが入りそうな大きさだった。


「それと同じように、いつもにこにこにこにこしている幸せそうな子が、突然おっきい不幸に巻き込まれたって仕方がないと思いませんか?」


 袋が鞄の上に落とされる。ライは小瓶を全部取り出して両手に持つと、にっこりと目の前の存在に笑いかけた。困惑したリーデシアが目を瞬かせれば、ずいっと顔が近付けられる。


「ねえ、知ってます? ライってトバイアス(うちの言葉)では、嘘って意味なんですよ」


 小瓶が地面に叩き付けられ、高く澄んだ音を立てて砕け散る。白い煙が一瞬で立ち上った。

 意識せずにリーデシアが手で口許を覆うより早く、ライがその手を捕まえる。


 煙を吸い込んだ体がぐらりと傾ぐ。リーデシアは崩れ落ちる寸前で、ライの手により受け止められた。

 いつの間につけたのだろうか。ライの顔には煙を吸わないように、顔全体を隠す仮面がつけられている。


 再び叩きつけるようにような強風が吹き荒れた。それが治まった時には既に、広げた鞄も割れた小瓶も、人の姿すらどこにもなかった。


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