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婚約者と乙女  作者: 千鶴
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婚約者と使用人

 コンラッド=ミラーは代々リグタード家に仕える使用人一家の長子である。主人に当たるアルフレッドより五つ歳上の彼は、もっぱらアルフレッドが暴走したとき第一被害者になることが多かった。


「うわー、今日も朝が来てしまった」


 与えられた自室で布団にくるまった男、コンラッドはぶつぶつ呟く。寝転んだままごろごろじたじたばたばたしていた。まだ辺りは静かで薄暗い。耳を澄ませても生活音は聞こえてこないので、まだ働き始める時間でないことがわかった。

 時計は一応ある。壁にかけられており、ベッドから顔を出せばすぐ見える位置に配置されている。

 でも見たくない。見たくないのだ。見たらあと何時間、いや、あと何分でこの微睡みが終わってしまうと知ってしまうから。

 いやだいやだ。見たくない。ずっと寝ていたい。外寒い。お布団に包まれていたい。


 ぐうたらすぴすぴしていたコンラッドだったが、かちりと針が頂点を指した瞬間に飛び起きた。ばっとクローゼットを開け、支給された使用人専用の制服に着替える。髪型は面倒なので毎回オールバック。寝癖があっても押さえ付けてしまえばいい。跳ねるならピンで留める。きっちり手袋まではめて、寝巻きからびしっとした使用人姿になったコンラッドは、へなへなとベッドに座り込んだ。


「何で毎回こんな早く準備しちゃうんだよー……」


 しょんぼり肩を落として時計を見つめる。時間は早朝。やっと日が見え始める時間。他の使用人は起きていないだろう。だってまだ就業時間より二時間も早いのだ。それなのに起きてしまう。それなのに準備してしまう。


 それは彼がまだ幼い時分からリグタード家に仕えている頃からの習慣だった。コンラッドがリグタード家に来たのはアルフレッドが二つの時、コンラッドが七つの時だ。


 まだまだ幼い少年だったコンラッドはそれは素直で真面目ないい子だったので、早く仕事を覚えて役に立とうと努力したのだ。特に復習は欠かさなかった。夜はすぐに眠くなってしまうので、仕事が終わったら一通りメモを書き残しざっとまとめる。そしてしっかり眠ると、出来るだけ早く起きて昨日習ったことを思い出す。

 毎日欠かさず行ってきた行動は習慣となり、もはや無意識で仕事をこなせる域に達した今でもつい目が覚めてしまう。


 そう、もう無意識でもこなせるのだ。さすがに来客対応は緊張するが、主人の世話は何とかなる。昔からアルフレッドは手のかからない主人だった。

 世話が焼けるのは婚約者であるリーデシアに関することだけで、それさえなければ放置していてもどうとでもなるのだ。


 気付いたコンラッドは復習をやめようと思った。仕事は体力より心労の方が酷いので、気力を取り戻すために始業時間ぎりぎりまで寝ようと決めた。

 でも起きてしまう。針の音を聞くと体が勝手に動いてしまう。


 いやだ。いやだ。寝ていたい。働きたくない。でも着替えてしまった。寝転ぶとしわになってしまう。それはみっともない。なら寝巻きに着替え直すか。それも面倒だ。


 今日も無駄に早く起きてしまった使用人は諦めて朝食をとり、早い内から仕事に取り掛かった。



***



「お、わー、あっ、うーん」


 仕事が一段落したコンラッドは、来月の献立について料理長と打ち合わせをするために食堂に来た。

 普段は騒がしいそこが何だか淑やかな空気を漂わせていたので、不思議に思いつつ覗くと、厨房に立つ先客に思わず言葉にならない呻き声が漏れる。


 深呼吸しつつ辺りを見回すが、かの暴走少年の姿は見えない。

 これはどちらだろうか。サプライズのために黙って来たのか。それとも伝えたけれどついてくるなと伝えたのか。

 一筋の冷や汗が流れる。鼓動が嫌に速くなる。返答によっては今後の対応が変わる重要な局面に、コンラッドは意を決して挑んだ。


「おはようございます、お嬢様。お一人でここまでいらしたのですか」

(訳:あの暴走少年こと主人のアルフレッドは一緒じゃないんですか)


「まあ、おはようございます、コンラッド。お仕事お疲れ様。アルは今領地についてお義父様と打ち合わせ中よ」


「恐れ入ります。なるほど、ではお嬢様はアルフレッド様に何も伝えずにいらしたのですね」

(訳:やめてください、名前を呼ばないでください、労わないでください。主人に凄い睨まれるんです、あいつ凄い怖いんです、恐ろしい。しかも主人に伝えずに来たとかマジですかヤバいっすよ。打ち合わせ終わったらすぐに探し回りますよ。伝えてもらえなかったって八つ当たりされるんですよ、俺が。大事なことだから先に伝えてから来てほしかったなあ!)


「はい、あの人を驚かせたくて……。あの、会議って頭を使うでしょう? だから糖分が必要になるかと思って、クッキーを作りに来たの」


「そうですか。ではすぐに材料を準備致します。早く作らないと、主人はすぐに探しに来てしまいますからね。貴方のことになると歯止めがきかないようですから」

(訳:俯いて耳まで染めてて可愛いけどあとが怖いのでプラマイゼロ! むしろマイナス! 命大事に! 俺の! 命を! 大事にして!)


「ふふ、そうね。早く作って会いに行かないと、待たせてしまうのは可哀想だわ」


「そうしましょう。すぐ作りましょう。こちら材料です。器具も用意できましたので、何かあればお呼びください」

(訳:どうか主人が来るまで何も起こりませんように! てか主人が来ませんように!)


 切なる祈りが通じたのかその後何事もなく、リーデシアのクッキー作りは終わった。コンラッドの安堵の溜め息はさながら海溝よりも深かった。

 このままあとはリーデシアがアルフレッドにクッキーの差し入れを持っていけば良いだけなのだが、そうは問屋が卸さない。そんなに都合良く済むならコンラッドは第一被害者の称号を得ていないのだ。


「……リディ、何してるんだ」


 穏やかな声音が厨房に響く。コンラッドの背筋がぴんと伸びる。器具と食器を洗う水音にかき消されることなく、凛とした声がその場に落ちる。


「アル!? どうしてここに……」


 打合せを終えたアルフレッドの登場だった。

 コンラッドがひきつった笑みを貼り付ける傍らで、リーデシアはさっと片手を隠す。袋に詰められたクッキーを持っている手だ。


 コンラッドは思った。うわ、めっためた怪しい行動じゃーん、と。


 滅茶苦茶に怪しいリーデシアはアルフレッドから視線を逸らし、音が鳴るか鳴らないかくらいの口笛とも呼べない空気を吹いた。リーデシアは口笛を吹けないのだ。余談だが彼女はウインクも出来ない。両目を瞑ってしまう。


 彼女の怪しい行動にアルフレッドの瞼がぴくりと動く。にこっと浮かべた笑みがどことなく恐ろしいのはコンラッドの見間違いだろうか。

 いや、見間違いではなかった。コンラッドに説明しろと視線が訴えている。リーデシアには優しい笑みを向けているのに、後ろにいるコンラッドには突き刺さるような視線を送っている。とても器用だ。こんな芸当はきっとリーデシアを前にしたアルフレッドにしか出来ないだろう。


「お嬢様」


 極めて落ち着いた声で話しかければ、リーデシアがゆっくりと振り向く。眉が下げられた情けない顔はどうか黙っていてほしいと伝えてきたが、それにほだされるような使用人はここにはあまりいない。彼らの主人はアルフレッドであり、主人の機嫌を損ねるような真似はしないからだ。あと単純にコンラッドは自分の命が惜しい。


 コンラッドの訴えを分かってはいないだろうリーデシアは決意を固めると、アルフレッドに近付いて袋を差し出した。下がりきった眉は悲しげで、目元がきらきらと光っている。薄く膜を張った涙目で見上げられ、アルフレッドは息をつまらせた。


「本当はあなたを驚かせたかったのだけど、うまくいかないものね。お仕事お疲れ様。クッキーを作ったの、受け取ってくれる?」


 恐る恐る差し出された包みを持つ両手を見て、少年が顔を覆う。深呼吸を繰り返し、落ち着いたのか、おもむろにリーデシアを抱き締めた。

 戸惑う少女を確認して、コンラッドは後片付けを急がせる。早くここから逃げようと思ったが、突然料理長に片手を捕まれた。残念、コンラッドは逃げられなかった!


「リディ……ありがとう、凄く嬉しいよ。ちょうど小腹が空いていたんだ。部屋に戻ったら紅茶を用意して、二人で食べよう。怪我はしなかった?」


「ええ、平気よ。もう昔とは違うもの。それにコンラッドが手伝ってくれたから」


「へえ、そう。コンラッドが」


 リーデシアの多分きっと恐らく悪意のない純粋な台詞に、コンラッドは内心悲鳴をあげた。相槌を打つアルフレッドの低い声に背筋が粟立つ。

 コンラッドは捕まれた手を外し、料理長の脇を掻い潜る。立ちふさがる使用人達を次々と交わし、一目散に出口を目指した。早くここから逃げようと思ったが、突然肩を叩かれる。残念、コンラッドは回り込まれてしまった!


「そうだ、手伝いご苦労だな、コンラッド。ついでにお前も同伴するといい」


「いえ、そんな、滅相もない。あ、わたくし、他に仕事がありますので、これで」


「紅茶を用意して、部屋に持って来てくれるよな? ああ、それと、リディと一緒に菓子を作ったんだろう? その話も聞かせてくれ。細部まできっちりとな」


「…………………………おっ、仰せのままに」


「まあ、コンラッドも一緒なの? ではクッキーだけでは足りないわね。料理長、他のお菓子は用意出来るかしら?」


「もちろんです、お嬢様。運良くここにケーキなどがありまして」


「ほう、それは好都合。それじゃあ行こうか、リディ」


 笑顔で連れ立っていく二人に遅れて、コンラッドも菓子器とティーポット、カップやソーサーなどが準備されたカートを押しながら着いていく。

 背後ではわざとらしくハンカチを目元に当てる同僚達と、満面の笑みを浮かべて手を振る料理長。まるで売られていく仔牛よろしく連行されるコンラッドは思う。


 俺の! 命を! 大事に! してくれ!

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