婚約者と恋敵 4/4
魔術師団の研究室で、二人の男女が対峙していた。
男は片手を腰に当て、いつでも抜剣出来るように構えている。普段は纏っている副団長用のマントは身に付けていなかったが、きっちり着込んだ騎士団服は僅かな乱れすらない。無表情を崩し眉間に深い皺を刻んだ表情は、相対するものの心臓すら凍えさせそうなほど冷えきっている。
女は机に浅く腰掛け、足を組んでいる。胸の下を通るように回した右腕に左肘を乗せ、摘まんだ杖を無造作に回していた。体の線を覆い隠す魔術師団制服を着崩して、けれど肌が見える部分は顔と首だけしかない。嘲笑うように引き上げた唇は薔薇のように赤く、男を見る瞳は深海よりもなお暗い。
視線を合わせるごとに二人の腕に力が入る。ぎちりと柄を握り締める音が鳴った。びきりと杖がひび割れた音が鳴った。険悪な空気をさらに刺々しくさせながら、ゆっくりと男が口を開く。
「貴様、俺の彼女に、何を言った」
一つひとつ区切りつつ、魔力を込めて言葉を発する。声が落ちるごとに空気が凍てつき、部屋の気温が下がっていく。眇めた目付きは剣呑で、心底から女を嫌っていることがわかった。
対する女はくすくすと笑っている。男が機嫌を悪くすればするほど、心底愉快だと言うように楽しげな笑みを深くする。
「別に。事実を言ってあげたのよ。貴方が隠した行動を、それとなく、教えてあげたの。ねえ、わたくし優しいでしょう?」
女は声をあげて笑った。首を仰け反らせ、目の前の存在を見下すように。哄笑が部屋に響くごとに、空気が熱せられていく。
至るところで空気が爆ぜた。凍えた魔力と熱せられた魔力が衝突し、爆発しては強風を巻き起こす。本ばかりが詰め込まれた棚が荒れる。机に申し訳程度に置かれたガラス瓶が派手な音を立てて砕け散った。
憎々しげな睥睨と淀み歪んだ嘲笑が二人の関係を物語る。音が響くほど歯を軋ませた男は抜刀すると、女の喉元に剣を突き付けた。
「……二度と彼女に近付くな。あれは俺の女だ」
「………………俺の、女だなんて。随分傲慢ね。本当、さいてい」
選択肢すら与えず、未来を潰した極悪人の癖に。
女の瞳から光が消える。淀み歪んだ笑みすら消える。不機嫌などと生温い、身の毛もよだつおぞましい表情を浮かべていた。それを見ても男の態度は変わらない。
女が言葉を落としていく。嗤い混じりの声はなく、硬質で無機質で、どこか怒りを孕んだ言葉を紡ぐ。
「わたくしが穿った腿は治ったかしら。わたくしが燃やした痣は治ったかしら。訓練で負った傷は癒えたかしら。残っているでしょう。治さなかったのでしょう。治せる人が傍にいたのに、力を使わせたくないと黙って遣り過ごしたのでしょう。そうやって彼女の道を潰してきたのでしょう。彼女の能力を成長させず、未熟なまま、独り善がりに囲い込んで。磨けば光る宝石を。鍛えれば伸びる才能を。そうやって全部握り潰して、守っている気になっているのでしょう!」
女が立ち上がる。喉に刃が食い込んで血が溢れだす。黙って引かれた剣すら視界に入らず、血走った瞳で男を睨み付けた。女の激情が迸る。
「本当ならもっと強くなれたものを! 本当ならもっと祝福されたものを! 本当なら歴史に名を刻む『聖女』として、国の行く末に貢献できたものを! お前が潰したくせに! 『英雄』にもなれていないお前が! 彼女を縛り付けて傲慢にも己の女呼ばわりか! 身の程を知れ!」
激昂し荒れ狂う魔力が女に集約する。対峙する男も空間に存在する魔力を吸収し、練り上げ、自身の剣に氷の刃を纏わせた。
一触即発。髪一筋でも動けば破裂しそうな緊張感の中、空気を読まない声が割り込んだ。
「はいはーい。そこまでー。フュエル、それ以上やるなら退団させるよ。アルフレッドくんも、剣を引きなさい。これ以上はジャスパーに報告するからね」
魔術師団長のキースが手を叩きながら割って入った。
上司の声にフュエルは歯ぎしりしながら魔力を霧散させる。アルフレッドも刃を解き、鞘に収めた。
フュエルがキースを睨み付ける。吐き捨てるように言葉を発する。
「何故邪魔をするのですか、おじ様……ッ! アルミア様の魔力を見たでしょう! 彼女なら『聖女』に、最高位の治療術師になれるのに! 我等が研究し追い求めた古の魔術を、彼女なら行使できるかもしれないのに……ッ!」
「今の彼女は『聖女』どころか高位の治療術師にすら劣るよね」
「それは魔術の研鑽を積んでいないからです! 魔術師団に入り訓練すれば、必ず最高位に……」
「もしもとか、たらればとか、そんな不確定要素いらないんだよねぇ。それに王太子殿下は隣国の王女を娶られる予定だから、今さら『聖女』が現れても困るんだよ」
「……婚約者がいるとしても、そのための、重婚制度の例外ではないのですか」
「隣国の王女を第二妃にしろと? それとも『聖女』が第二妃? どちらも不敬極まりない話だよね」
キースの言葉にフュエルは唇を噛み締める。確かに師団長の言う通り、今『聖女』が現れれば王太子妃騒動が起きるだろう。
それにアルミア嬢には才能があるが、あくまでも可能性の話だ。努力すれば必ずしも最高位の治療術師になれる訳ではない。
しかし、現在の彼女はその努力すらしていない状態。これから才能を伸ばすように修練すれば、『英雄』に並び立つ『聖女』として大成する可能性は非常に高い。
国王が国を統治し、『英雄』が国を守護する。そして『聖女』は国母として、国に仕えるすべての者を癒す。そうやってこの王国は築かれてきた。そうやってこの王国は発展してきた。
貴族は建国の際尽力した者達であり、国のために尽くすことが義務である。国のために砕身し、その立場に誇りを持つ。
だからこそフュエルはアルフレッドが許せないのだ。国に尽くす貴族であるにも関わらず、国母になるであろう存在を縛り付け、囲い込む。いずれ多くの命を救うであろう才能を、ひた隠し、未熟なまま封じ込める。
将来は『英雄』かと持て囃されている男が、未来の『聖女』を殺したのだ。これが婚約者など聞いて呆れる。嫌悪感が沸き上がる。
「……何があろうと、彼女は渡さない。」
アルフレッドが静かに、けれども激情を孕んだ声で呟く。咄嗟に視線を向ければ、凍てついた瞳に射貫かれた。
「『聖女』も『英雄』もどうでもいい。俺は、彼女さえいればそれでいい」
恋慕と執着を吐き出して、男は研究室から出ていった。
男の背を見送ったフュエルは思う。ああ、本当に。
こんな男が婚約者だなんて、あの子が可哀想だ。
***
無人の廊下を歩きながらアルフレッドは舌打ちした。
誰も彼もが『英雄』や『聖女』を神聖視する。記録だけを見て持て囃す。その記憶など、誰も気にも止めすらしない。
「……リディ。今生は、必ず」
アルフレッド=リグタードには記憶がある。かつて『英雄』として生きた記憶が。幼馴染みであり婚約者であった少女を守るため、戦場にて散った前世を覚えている。
国が二分した危機だった。己の役職は騎士だった。婚約者の少女は、奇跡とも呼べる力を持っていた。
争いは激化した。もはや原因が何だったのかすら曖昧になった。ただ、彼女を守りたかった。帰ってくるつもりだった。彼女の元に、彼女の傍に。
帰れなかった。命を散らした。肉体は破損し、魂だけが彼女の元へとたどり着いた。
婚約者を残して散った騎士。婚約者を待ち続ける希有な少女。多くの物語の題材となった。多くの演劇の題材となった。当人の気持ちなど置き去りにして。
勝利した若き王太子は国王となった。元は騎士団の副団長を務めていた王太子は、国を守護した騎士を、戦場にて散った彼を『英雄』とした。奇跡の力を持った少女を『聖女』とした。
誓いを新たに平和な国を築き上げる。その証として、悲劇の『聖女』を娶り国母とした。
彼女は、婚約者を待ち続けた。「覚えている証」だと言って、国妃となってもなお、初めて婚約者に送られたドレスの色を身に付けた。アリスブルーのドレスを身にまとった。子を成してもなお、白い結婚と揶揄されながも、生涯その心が変わることはなかった。
アルフレッドは、今生で再会したあの日に初めて運命に感謝したのだ。彼女がすべてを覚えていないことに安堵したのだ。
心を決めるのは容易かった。例え何があろうとも、彼女だけは守り抜くと誓った。
そして、最後は。死を見届けられなかったと悔いた彼女の傍で。この身の終わりを見守ってほしいと思う。
愛しているのだ。これまでも、これからも。この先もずっと。彼女の傍が、己の帰る場所だから。




