婚約者と恋敵 2/4
去っていくフュエルを呆然と見ていたリーデシアは、茶会がお開きになった後もどこかぼんやりしていた。
リーデシアはアルフレッドと共に暮らしているのだが、彼の裸体を見たことは一度もない。不健全な一夜を過ごしたこともあるが、精々が明け方まで内緒話をするように会話をしただけであり、一線を越えたことはない。
寛いでいる時に晒け出された手足は見たことがあるが、右腿に黒子があるというのは初耳だった。
帰宅してからもリーデシアは黙考する。何故フュエルがそんなことを知っていたのか。アルフレッドとフュエルの関係は。
今まで婚約者のことを疑ったことがない彼女は、先程の出来事を深刻には考えていなかった。アルフレッドは彼女に基本隠し事をしない。
今回のこともきちんと説明してくれるだろう。そう信じていたリーデシアは、アルフレッドの帰りをひたすら待っていた。
馬車の音が聞こえる。使用人が婚約者の帰宅を告げる。待ち望んでいた報せに意気揚々と迎えに出た少女は、アルフレッドの姿を見てぱっと顔を輝かせた。
「お帰りなさい、アル」
「ああ。ただいま、リディ。茶会はどうだった」
「ねえ、アル。あなた私に隠していることはないかしら?」
「……え」
リーデシアに抱き着こうとしていたアルフレッドの動きが止まった。静止した手をおずおずと引っ込め、窺うように少女を見詰める。
「……、何もないが、どうしたんだ。茶会で何を聞いた」
婚約者の言葉にリーデシアは驚愕した。普段は隠しだてすることなく何でも話してくれる彼が、こんなにも不審な態度をとるとは思わなかった。確実に何かを隠しているアルフレッドに、少女は困ったように眉を下げて言い募る。
「その……詳しくは聞いてないのよ? だからあなたに教えてほしくって。……駄目かしら」
「そう、か……いや、すまない。いずれ話す。だから、今回は見逃してくれないか?」
「……ええ、わかりました」
素直に了承したリーデシアに少年は視線を逸らす。どこから漏れたんだ、と呟く小声が聞こえてきて、少女はそっと俯いた。しんみりとした空気を振り払うように一度唇を引き結ぶと、笑顔を取り繕ってから顔をあげた。
「ごめんなさい。無神経だったわね。もう大丈夫だから、気にしないで」
「いや、俺の方こそすまないな。その、それとな、リディ」
どこか気まずそうなアルフレッドは言葉を切り、髪を掻きむしる。長い溜め息を吐いてからリーデシアと目を合わせると、申し訳なさそうに言葉を続けた。
「その、今後は帰りが遅くなるから。図書館に来ても、騎士団の詰所には迎えに来なくて良い。先に寝ててくれ」
「そうなの? 仕事が忙しいのかしら」
「仕事……ああ、そうだな。仕事だ、うん。忙しくなるから帰れない日もあると思うが、気にしないでくれ」
「泊まり込みなのね。わかったわ。無理しないでね」
「う、ん。……すまない」
謝罪を繰り返す婚約者に、リーデシアは苦笑を返すことしか出来なかった。
きっと深い理由があるのだろう。そうでなければ愛するこの人がこんなに不自然な言動をするはずがない。
疑うことを知らない彼女は自分に言い聞かせると、自分でもわからない感情をそっと胸の内に押し込めた。
その後は彼の言葉通り、一度も帰ってこない日が何日も続いていた。
昔は訓練でぼろぼろになろうと這ってでも帰ってきてくれたのに。いや、無理をしてまで顔を見せる必要はない。大事なのは彼の体調である。仕事が忙しいならそちらに専念していてほしい。
寂しさをこらえる少女は日課になっていた図書館での読書中に、かの令嬢と再開した。フュエルである。
フュエルは茶会の時とは異なり、露出は少ないが華やかなドレス姿だった。髪は後ろで捻るように巻かれ、大輪の薔薇飾りでまとめられている。
「まあ、ごきげんようアルミア様。こんなところで会うなんて偶然ね」
「ジオーネ様……。ごきげんよう。図書館で会うなんて奇遇ですね」
「ええ本当。ここなら騎士団の詰所に近いですもの。迎えにも行きやすいですわ」
「迎えに……ジオーネ様は騎士団詰所に知り合いがいらっしゃるのですか」
「そうねぇ、アルフレッド様からは何も聞いてないのかしら?」
「アルから? いえ。何も……」
「まあ、そうでしたの! わたくしったらつい。ごめんあそばせ。何も聞いていらっしゃらないのよね? どうかお忘れになってくださいな」
フュエルが扇子で口許を隠し笑う。茶会の時よりも随分楽しそうだった。ちらりとリーデシアを見てはわざとらしく目を逸らし、大仰に狼狽えてみせる。
「ごめんなさいね? 本当に何もないのよ? あなたが気にすることじゃないわ」
「あの、アルが何か」
「本当に気になさらないで? ああ、でも、凄いのね彼って。すっごく逞しくって、とっても鍛えられていて。そうそう、彼って背中に痣があるのだけれど、あなた知っていて?」
「え、そんなの、知らない……」
「まあそうでしたの! ではこういった話は早かったわね、ごめんなさいね。あなた達、そんな関係ではないものね?」
とうとう声をあげて笑う女性にリーデシアは嫌な気分になる。何故この人はこんなことを言うのだろう。そもそもその言葉は事実なのか。アルフレッドとどういう関係なのか。
疑問が口から出かけるが、声になる前に飲み込んだ。婚約者であるアルフレッドは聞かれたくなさそうにしていたのだ。それならば他人から聞くのも控えた方が良いのではないか。
悶々と悩む少女に、フュエルはぴたりと笑いをおさめる。どことなく面白くなさそうな表情を浮かべ、リーデシアに暗い目を向けた。
「本当に良い子ちゃんね、あなた。本当に可哀想ね、あなた。良いことを教えてあげる。リグタードの倅はね、そんなに優しい男じゃないのよ」
これが婚約者だなんて、嫌になるわ。
そう言って踵を返す令嬢を、リーデシアは混乱したまま見送った。
疑問ばかりが沸き上がる中、それでも少女は婚約者を信じていた。アルフレッドは不貞を働くような男ではない。真摯に自分を愛してくれている自信がある。
何より自分が彼を信じていたいのだ。婚約者の心が移ろったとは思えない。
しかし、帰ってこないアルフレッドに対して不満を抱いているのも事実だ。理由なんて単純だった。
もうすぐリーデシア自身の誕生日なのに、彼は一度もその事を口にしてくれていないのだから。




