第3レグ 手芸自動車部と恐怖の看板事件 ③
『篠塚モータース』のピットヤードに、キーーーッという甲高いブレーキ音とともに一台の白い乗用車が滑り込んできた。
運転席のドアがバタンと勢いよく開き、怒り心頭の富川先生が降り立つ。
リフトの下で工具を手に作業していた葵が何事かと振り返ると、その直後、先生の車を学校から全力疾走で追いかけてきた想与香と乙花が、肩を大きく上下させながらゼーゼーと猛烈に息を切らしてピットへ滑り込んできた。
「はぁ……はぁ……っ! と、富川先生……車なんてズルイです……っ!」
「ぜぇ……ぜぇ……息が……命が縮むかと思ったわよ……っ!」
膝に手をついて倒れ込みそうな息絶え絶えの二人を横目に、富川先生は葵に向かってつかつかと歩み寄った。
「篠塚さん! あなたプロの整備士でしょう!?
高校生の女子生徒に車をいじらせるなんて、正気の沙汰ですか!
もしジャッキが外れたり、火災でも起きたらどう責任を取るつもりですか!」
葵は怒鳴り込んできた富川先生を静かに見つめると、ウエスで手の汚れを拭い、「立ち話もなんですから、中で話し合いましょう」と事務所へ案内した。
冷房の効いた事務所の応接ソファー。
葵はキンキンに冷えた缶のお茶を富川先生の前に置いた。
想与香と乙花は、事務所の隅で身を縮めて事の顛末を見守っている。
「先生の心配はごもっともですよ。
ですがね、彼女たちは適当な遊びでやってるわけじゃありません。
作業前には必ず体調チェックと保護具の着用、工具の正しい使い方を叩き込んでいます。
整理整頓も徹底させている。
手芸部で培った集中力と手先の器用さがあるから、ヘタな見習い整備士よりよっぽど安全意識が高いですよ。
……もちろん、私はボランティアで手弁当の指導をしています」
「ボランティア……? し、しかし……! 学校として許可できるはずが……!」
「私が正式に『手芸自動車部』の技術コーチ兼、安全管理責任者として面倒を見ます」
葵はハッキリと言い放ち、胸を張った。
「私も元全日本ラリーの選手です。
モータースポーツの厳しさと安全管理は誰よりも熟知しています。
放課後と休日の指導、作業中の監督まで、すべて私が責任を持ちますよ。
……学校としても、プロのコーチがついて安全に指導する部活動なら、文句はないでしょう?」
「うぐっ……! こ、コーチ……!?」
富川先生は絶句した。
元全日本ラリー選手という肩書と、葵の隙のない頼もしさに、反論の言葉が詰まってしまう。
富川先生は眼鏡をかけ直し、フシューと激しく息を吐くと、腕組みをして想与香と乙花を睨みつけた。
「……いいでしょう。
篠塚さんがそこまで仰るなら、安全管理については一任します。
ですが! 学校として野良の活動を野放しにはできません。
条件を出します!」
想与香と乙花は顔を見合わせ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「条件……ですか?」
「そうです!
片岡さん、あなたが教務室で啖呵を切った通り、来年度のラリー大会に出場し、無事に完走という『実績』を残しなさい!
それができなければ、仮認可は取り消し! 即刻活動停止とします! 良いですね!?」
「えっ!? ラリーに出るだと!?」
横で聞いていた葵が目を丸くして想与香を見た。想与香は申し訳なさそうに頭をかく。
「うん……さっき先生に『実績』と言われて、思わず言っちゃいました……」
葵は呆れたように息をついたが、すぐにニヤリと口端を上げた。
「まあ……来年想与香が18歳になって免許を取るまでは、私がドライバーで、想与香たちがコ・ドライバーとして参戦するのも有りか」
「えっ! カプちゃんのドライバーやってくれるんですか!?」
「まあ、成り行き上仕方ないだろう。面白そうだしね」
条件が見事に噛み合った瞬間だった。
さすがに今年度の大会出場は準備期間的にも不可能だが、来年度の大会までなら、じっくりと車両を仕上げて練習を積むことができる。
「「はいっ!! ありがとうございます、葵さん、富川先生!!」」
想与香と乙花は跳び上がらんばかりに喜んだ。
「勘違いしないでくださいね! 完走ですよ!
事故を起こしたり完走できなければ即終了ですからね!
校長には私から説明しておきます!」
富川先生は捨てるように言い放つと、どこか降参したような苦笑いを浮かべながら事務所をあとにしたのだった。
こうして、『手芸自動車部(仮)』は、学校からの条件付き正式認可(仮)を勝ち取ったのだった!
◇
「あうー……アベレージスピード……? コマ図の距離と時間が全然合わないよぉ……」
数日後の放課後。二年生の教室で、想与香は頭を抱えて机に突っ伏していた。
机の上には、おじいちゃんの納屋のグローブボックスから出てきた、昭和56年の『全日本ラリー指示書(コマ図)』と手書きの整備ノートが広げられている。
ラリーはただ速く走れば勝ちという単純なレースではない。
指示された区間ごとに定められた指定速度を正確に守り、定められた秒単位の時間通りにチェックポイントを通過しなければならないのだ。
そのためには、走行中に複雑な時間と距離の計算を行う『コ・ドライバー(ナビゲーター)』の存在が絶対不可欠だった。
「どうしたの想与香、頭から煙が出てるわよ」
隣の席でノートをまとめていた乙花が呆れ顔で覗き込む。
「だってさぁ……『指示速度42km/hで3.85km走った地点のチェックポイント通過予定時間を求めよ』って……分数、小数がごちゃごちゃになって、計算が合わないんだもん……!
走るだけでも大変なのに、助手席でこんな計算できる人、いるわけないよ〜!」
想与香が泣きついた、その時だった。
「……それ、離散数学の時間計算構造だね」
静かな、けれど通る声が教室に響いた。
振り返ると、一番窓際の席で分厚い数学の専門書を開いていたクラスメイト
——眞貝莉子が立ち上がり、すうっと想与香の机へと歩み寄ってきていた。
長めの髪を両脇で束ね、銀縁の眼鏡。
理系科目の成績は常に学年トップクラスで、数学パズルや論理パズルが大好きな、静かだが芯のある女子生徒だった。
実は莉子も手芸部の部員の一人だ。
彼女の手芸のこだわりは「あみぐるみ」を作ること。
1次元の1本の毛糸から、増し目や減らし目、細編みや長編みといった数理的な計算を駆使して、3次元の美しい立体造形を起こすプロセスに何よりの快感を覚えるという、筋金入りの理系手芸女子だった。
「莉子ちゃん……?」
莉子は想与香の机に近寄ると、眼鏡の奥の鋭い光で二人を見つめた。
「想与香さん、乙花さん。
……あなた達、来年ラリーに出るって噂だけど、本当なの?」
「え? あ、うん……!」
乙花が頷き、富川先生に怒られたことや、条件付きで『手芸自動車部』が仮認可されたこと、完走という実績を作らなければならない顛末を簡単に説明した。
話を聞き終えた莉子は、机の上に広げられた黄色いコマ図と計算メモに視線の焦点を合わせた。
「……図記号による離散的な分岐指示。
距離パラメータと指定アベレージスピードに基づく、秒単位の時間決定問題。
……これ、すごく面白いアルゴリズム構造をしてる」
莉子は細い指先でコマ図の矢印と数字をなぞり、想与香のボロボロの計算メモを手に取った。
「想与香さん。あなたの計算、アベレージスピードの時速を分速に換算する際の四捨五入の誤差が累積して、通過予定時刻が14秒ズレてるわよ」
「じ、14秒もズレてるの!?」
想与香が目を丸くすると、莉子は胸ポケットからマイシャープペンシルを取り出し、想与香のノートの余白にサラサラと美しく整然とした数式を書き始めた。
「区間距離3.85kmを指示速度42km/hで走行する場合、所要時間は 3.85 ÷ 42 = 0.091666... 時間。
秒に換算すると 330秒。つまり正確に5分30秒。
前のチェックポイント発進時刻が10時15分00秒なら、通過目標は10時20分30秒になる。
走行中の路面状況による補正マージンを考慮するなら、関数として数式化しておけば瞬時に誤差を弾き出せるわ」
「「……!!!」」
想与香と乙花は、開いた口が塞がらなかった。あんなに頭を悩ませていた計算が、莉子の手にかかると一瞬で解き明かされていく。
莉子は眼鏡のブリッジを指でクイッと押し上げると、普段はクールなその瞳に、見たこともない情熱の光を宿らせて想与香を見つめた。
「……想与香さん。
この『コマ図』と時間管理の計算……私にやらせてくれない?」
「え……!? 莉子ちゃんが!?」
「ええ。単なる速度の競い合いじゃなく、数学的論理と時間計算の精度で勝利を目指すモータースポーツ……こんなに魅力的な離散数学の実践フィールド、他にないわ。
私、この車の『ナビゲーター』をやりたい」
莉子の迷いのない宣言に、想与香と乙花は顔を見合わせ、それから弾けたような笑顔で手を取り合った。
「やったぁぁぁーーっ! 莉子ちゃんが仲間になってくれたぁぁぁーーっ!」
「これで、ドライバーの想与香、メカニックと安全管理の私、そしてナビゲーターの莉子ちゃん……! 完璧なチームじゃない!」
想与香は莉子の両手をギュッと握りしめた。
「莉子ちゃん、ありがとう!
私たちのカプちゃんのナビゲーター、よろしくね!」
「ええ。任せて。
秒単位のズレも許さない完璧な計算で、あなたを完走させてあげるわ」
莉子は少し照れくさそうに、けれど力強く微笑んだのだった。
ドライバー、メカニック、ナビゲーター。
こうして、知識ゼロから始まった女子高生たちのDIYレストアに、最高の3人のチーム——『手芸自動車部(仮)』が、正式に結成された瞬間だった!
(続く)
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