第4レグ 内装劇的ビフォーアフターと小さすぎる整備士 ①
十一月の一大イベントであった都立瑞穂高校の文化祭『瑞穂祭』も、大盛況のうちに無事幕を閉じた。
手芸部の展示教室には、部員総出で仕上げた繊細な手刺繍の作品群や、莉子が手掛けた精巧な数学的あみぐるみがズラリと並べられたが、中でもひときわ来場者の目を引き、子どもたちの絶大な人気を集めたのは『手芸自動車部(仮)』の特設コーナーだった。
想与香と乙花が放課後のわずかな合間を縫って制作したのは、赤や青のカラフルなフェルトを丁寧に縫い合わせたクラシックカーの立体ぬいぐるみや、ホイールのスポークまで刺繍で表現したふんわり柔らかいタイヤ型クッションだ。
小さな子供たちが「ブーブーだ!」「これカッコいい!」と歓声をあげて抱きしめ、来場した地域の人々や保護者からも「なんて手間の込んだ素晴らしい作品でしょう」と大好評を博したのだった。
厳しいことで有名な顧問の富川真紀先生も、手芸部の教室を視察に訪れた際、展示された見事なぬいぐるみクッションと盛況ぶりを目にして、スクエア型の眼鏡を指先でクイと押し直した。
「……ふむ。やればできるじゃないですか、片岡さん、藤本さん。
この調子で本業の手芸も怠らないようにしてくださいね」
富川先生から一定の評価と言葉を得たことで、想与香と乙花は晴れて胸を張り、放課後は堂々と『篠塚モータース』のガレージ通いに集中できる環境を手に入れていた。
そして、季節はめぐり十二月。
瑞穂町を吹き抜ける風は刺すような冷たさを帯び始め、奥多摩の山々からは薄っすらと雪化粧の気配を孕んだ冬気が降りてきていた。
『篠塚モータース』のガレージ奥にある事務所。
石油ストーブが赤々とオレンジ色の熱を放ち、ストーブの上に置かれたアルミやかんからシュンシュンと白い湯気が勢いよく立ち上る室内で、想与香と乙花はソファーに腰掛け、テーブルの上に広げられた書類の山を前に身をよじらせていた。
「——つまり、ラリーコンピュータがないノーマル計算クラスにおいては、チェックポイント通過時刻の決定関数は、単なる『距離÷速度』では完結しないの」
銀縁メガネを指先でクイと押し上げながら、眞貝莉子が黒板代わりに持ち込んだ折りたたみ式の小型ホワイトボードの前に立っていた。
ホワイトボードには、複雑な分数、微分方程式めいた変数、そしてグラフや図形がびっしりと黒と赤のマーカーで書き込まれている。
「指示速度の変更ポイントであるチューリップ図(コマ図)の通過地点 dn に対し、走行区間における自車トリップメーターの距離誤差補正係数を α と置く。
さらに、チェックポイント直前の前走車追い越し不能区間での減速ロス補正項 δ を加味した場合、理想通過目標時間 T は……」
「あうう……あたまが……あたまが沸騰する……っ!」
想与香は頭を両手で抱え込み、ソファーの上に突っ伏した。
耳からぷしゅーと熱い湯気が噴き出しそうなほど、脳味噌が完全なオーバーヒートを起こしている。
「り、莉子ちゃん……! アルファ とか デルタ とか言われても、わたし、時速42キロで3.85キロ走る計算だけで頭がパニックになったんだよ!?
春になって無事に免許が取れたとして、助手席からそんな難しい計算指示されても、ピタッとその通りのスピードで車を走らせるなんて絶対無理だよぉ……!」
「想与香、静かにしなさい……っ! 私だって必死なんだから……っ!」
隣の乙花は、ノートとシャープペンシルを握り締め、額に青筋を浮かべながらホワイトボードを睨みつけていた。
「ええと、つまり……主催者が設定した基準車と、私たちのカプちゃんのタイヤ外径の違いで生じる距離の『ズレ』を、走るたびに掛け算して修正しなきゃいけないってこと……? 1.02倍とか1.05倍とか……?」
「その通りよ、乙花。飲み込みが早くて助かるわ」
莉子は満足そうに頷くと、ホワイトボードの数式をパシッと指差し、言葉を続けた。
「タイヤの外径が1ミリ違うだけでも、100キロ走れば数百メートルの誤差になる。
その誤差を修正し、指定された通過時刻に対して『何秒早すぎるか・遅すぎているか』を数式化してドライバーに指示するのがナビゲーターの役割なの」
「あうう……やっぱりラリーって凄すぎるよぉ……」
想与香がソファーで頭を抱えていると、ソファーの向かいで温かい缶コーヒーを飲んでいた葵が、おかしそうに肩を揺らして笑った。
「ハハハ! 参ったな、莉子。お前さんの計算は完璧だが、ドライバーの脳味噌が先にパンクしちゃあ元も子もないよ」
莉子は葵の言葉にコトンと首を傾げると、メガネの奥の瞳を静かに瞬かせた。
「……あ、そう言えば」
莉子は通学カバンの中から薄型のノートPCを取り出すと、カチリと電源を入れ、ディスプレイを想与香と乙花の方へと向けた。
「で」
「「……で?」」
想与香と乙花が首をかしげると、莉子は整然とした表が並ぶ画面をトントンと指で叩いた。
「この表に、スタート前の段階で主催者から配られた『コマ図の指示速度』と『区間距離』を入力しておくでしょ?
そうすると、キャリブレーションで弾き出したカプちゃんの『タイヤ外径補正値』を含めた目標通過時刻が、秒単位でズラリと一瞬で自動計算されるのよ」
画面には、区間ごとの通過予定時刻や、1秒あたりの距離換算、補正後の目標車速が、見事なまでに美しい数式で組み上げられたシートとして並んでいた。
「……え?」
想与香は突っ伏していた頭を上げ、目を丸くした。
乙花もシャープペンシルをポロリと落とす。
「……え、ちょっと待って莉子ちゃん。これ、自動で計算してくれるの……?」
「ええ。関数を組んであるから、距離と数字を打ち込むだけよ。
車内で複雑な手計算をする必要なんて、最初からないわ」
「「は——や——く——い——っ——て——よ――――っ!!!!」」
想与香と乙花の絶叫が、事務所の天井に木霊した。
想与香はガクッとソファーから崩れ落ち、乙花は「私の必死のメモ返しなさいよー!」と莉子の肩をペシペシと叩いた。
「ふふ、まあまあ。
莉子の手作りの計算シートがあれば、実戦での計算ミスは大幅に減る。大したものだよ、莉子」
葵が感心したように深く頷くと、莉子は少し照れくさそうに眼鏡のブリッジをクイッと押し上げた。
「……手芸の『あみぐるみ』と同じよ。
1本の毛糸から複雑な3次元立体を作るのも、数式で最適な走行ラインと時間管理を導き出すのも、本質的なロジックは同じだから」
頼もしすぎるナビゲーターの頭脳に、想与香と乙花は深い溜息をつきながらも、心から感動したのだった。
◇
十二月中旬。瑞穂町に本格的な冬の寒さが到来した、ある休日の朝。
「うう〜〜っ! 寒っ! ガレージの床、氷みたいに冷たいよぉ〜〜っ!」
つなぎの上にダボついた厚手のジャンパーを羽織った想与香は、白い息を吐きながら両手をすり合わせ、ガレージのコンクリート床で足踏みをしていた。
冬の『篠塚モータース』のガレージは、まるで巨大な冷蔵庫の中のように冷え切っていた。
だが、カプちゃんのレストア作業は止まらない。
エンジン周りの復元が順調に進んだことで、作業はいよいよ『車内(内装)の修繕と配線処理』という、地味だが非常に手間のかかるフェーズへと突入していた。
「想与香、文句言わないの!
ほら、この使い捨てカイロ、ツナギの腰に貼りなさい。
冷えると工具を滑らせて事故の元なんだから」
乙花が手際よくカイロを配っていると、ガレージの入口から「おはよ〜〜ございま〜〜す!」という、跳ねるような甲高い声が響き渡った。
二人で振り返ると、そこには手芸部の一年生——勝田陽葵が立っていた。
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