第1レグ 納屋で見つけた赤い宝物と大きな夢 ②
バササッ! と長年の埃が光の粒となって舞い散り、高窓から差し込む一すじの光が、その下に眠っていた「それ」を色鮮やかに照らし出した。
「わ……っ!」
想与香の口から、漏れ出たのは深い感嘆の吐息だった。
そこに現れたのは、息をのむほど鮮やかで美しい「赤」だった。
長年、防炎シートで大切に保護されていたおかげだろうか、塗装はほとんど衰えておらず、光を浴びて艶やかに輝いている。
朱色に近い、澄み切った鮮烈なレッド。そしてフロントマスクの左右には、まるで生き物のように愛らしい、大きな「丸目二灯」のヘッドライトがちょこんと収まっていた。
現代の流線型で流れるようなデザインの車とはまったく違う、どこかパコッとした角丸のスクエアなハッチバック形状。低いボンネットの左右からは、黒く小さなフェンダーミラーがピコッとツノのように生えている。
一目で、胸が締め付けられるような恋に落ちた衝撃だった。
これまで車というものに一切の興味を持たずに生きてきた想与香だったが、その胸の奥がドクンと大きく波打った。
レトロで、小さくて、だけどどこかキュッと引き締まったスポーティーな佇まい。
「想与香ー、草刈りご苦労だったな。
道具片付いたか……おや」
納屋の入口で、腰をさすりながらおじいちゃんがポカンと立ち尽くしていた。
めくられたシートと、目を輝かせて車を見つめる孫の姿を見て、目尻の深いシワをさらに寄せてくしゃりと笑った。
「見つかっちゃったか。
この車はな、若い頃に俺が乗っていた
『トヨタ 1300 スターレット』だよ。
型式はE-KP61というんだ」
「ケーピー……ロクイチ?」
丸いヘッドライトと、カプセルトイのようにキュートでコンパクトなフォルム。
ケーピーロクイチという無機質な型式の響きとあいまって、想与香の頭の中に『カプちゃん』という愛称がぽんと浮かび上がった。
「おじいちゃん、中見てもいい?」
「ああ、乗ってみるかい?」
おじいちゃんがドアに歩み寄り、メッキで飾られたクラシカルなドアハンドルを引いてくれた。
『ガチャリ』と重厚で硬質な金属音が納屋に響き渡り、重みのあるドアが開いた。
車内に広がっていたのは、まるで古い図書館の古書をめくった時のような、どこか懐かしく香ばしいレザーと機械油の独特な匂いだった。
「お邪魔します……」
想与香が助手席からそっと足を踏み入れ乗り込むと、黒いビニールレザーのシートが沈み込んだ。
見ると、シートの端の縫い目が少し解け、中の黄色いスポンジがちょこんと顔を出している。
こんなところも、手芸部員の想与香にとってはなんだか愛おしく感じられた。
ダッシュボードは現代の車とは比べものにならないほどシンプルで、プラスチックの無骨な質感が剥き出しになっている。
運転席の前には、スピードメーターとタコメーターという二つの大きな丸型メーターが並んでいた。
そして何より異彩を放っていたのは、助手席の足元から天井、そして後部座席にかけて車内全体を強固に張り巡る、太い黒い鉄パイプの存在だった。
車外からドア越しに中を覗き込んでいるおじいちゃんに、想与香は首をかしげて尋ねた。
「おじいちゃん、車の中にジャングルジムがあるんだけど……?」
「はは、ジャングルジムか。面白い表現をするねぇ。これはロールケージといってね。
万が一、厳しい山道や競技で車がひっくり返っても、屋根が潰れて中の人間がペシャンコにならないように、頑丈な鉄パイプで室内を補強してあるんだよ」
「へぇ……ふーん……」
想与香はまだあまりピンとこない様子で、冷たくて硬い黒パイプを撫でた。
そして、助手席側のダッシュボードにある黒い小さなドアを指差した。
「おじいちゃん、この棚、開けてみていい?」
「ん? ああ、構わないよ。何が入っていたかな」
小さな黒いノブを指でカチリとひねると、パタンと手前に倒れた蓋の奥から、数冊の古びた書類と大学ノートを取り出した。
膝の上に広げたのは、経年変化で黄色に変色した紙の束だった。
一枚目には、見たこともない独特の記号や矢印、謎の数字が几帳面に並んだプリントが挟まれている。
一番上には『昭和56年 全日本ラリー選手権 舗装ステージ 指示書(コマ図)』と黒い文字で印刷されていた。
二枚目は、JAF(日本自動車連盟)の刻印が入った写真付きのプラスチック製ライセンスカードだった。
そこには、今の優しい顔つきとは全く違う、若い頃のおじいちゃんが眼光鋭い精悍な表情で写っており、『国内Bライセンス』の文字が誇らしげに刻まれていた。
そして最後の一冊は、長年の使用で革表紙の角が擦り切れた、厚みのある手書きの大学ノートだった。
表紙には太い黒の油性ペンで、力強い文字が書かれている。
『KP61 スターレット 1300S 整備ノート』
想与香がそっとページをめくると、そこには細かな手書き文字と、精密な車体の図面がびっしりと書き込まれていた。
『4K-Uエンジン キャブレター同調メモ』
『サスペンション減衰力調整:湿潤路面用』
『KP61は710kgの羽を持つ。無理に曲げるな、車重の軽さを信じてラインに乗せろ』
(きゃぶれたー……? げんすいりょく……? 専門用語ばっかりで、書いてある意味はさっぱり分からない。だけど……)
「710kgの羽を持つ」というフレーズが、なんだか絵本の魔法の言葉みたいで、想与香の胸の奥にストレートに刺さった。
細かく描かれた車体の図面や、ページに溢れんばかりに詰まった力強い文字から、おじいちゃんがどれほどこの赤い車を大切にし、愛していたのか、その熱い情熱がビシバシと伝わってくるようだった。
「おじいちゃん……ラリーってなに?」
想与香の真っ直ぐな質問に、おじいちゃんは照れくさそうに、けれどどこか誇らしげに胸を張った。
「ラリーというのはね、整備された綺麗なサーキットをぐるぐる回るんじゃなくて、一般の本物の山道や峠道を、一台ずつ全開で走ってタイムを競う過酷なレースだよ。
昔は俺も、この車で全国の山を駆け回ったもんだ」
「へぇ……! おじいちゃん、カプちゃんとレースに出てたんだ……!」
「……カプちゃん?」
おじいちゃんが思わず聞き返すと、想与香は嬉しそうに何度も頷いた。
「うん、この子の名前! カプセルみたいで可愛いし、KP61だから『カプちゃん』!」
「カプちゃんか……ふふ、いい名前だ」
いつも庭でのんびりお茶を飲んでいる優しいおじいちゃんが、若い頃、この真っ赤で可愛いカプちゃんに乗って、山道を激しく爆走していた。
想与香は胸に抱えた整備ノートをギュッと抱きしめ、改めてこの愛らしい車内を愛おしそうに見渡したのだった。
◇
庭仕事と片付けをすべて終え、母屋の広い縁側で冷たい麦茶を飲みながら、おじいちゃんは庭の青葉を眺め、懐かしそうに目を細めた。
「トヨタのKP61型スターレット。昭和53年──1978年式の『1300 3ドア S』というモデルだよ。
おばあさんと結婚して間もない頃、なけなしの貯金を叩いて新車で買ったんだ。
エンジンは1300ccのOHVで、たったの72馬力。
今時の軽自動車よりもパワーはないかもしれないが、車重がたったの710キロしかない。
後輪駆動のFRでね、ハンドルを切れば思った通りにくるりと向きを変えて曲がる、本当に最高の車だったんだ」
麦茶のグラスを両手で持ちながら、想与香は瞳を輝かせて尋ねた。
「おじいちゃん、カプちゃん……今でも動くの?」
想与香の期待に満ちた問いかけに、おじいちゃんは少し寂しそうに首を横に振った。
「動くわけないよ。
もう三十年も納屋に放置しているからね。
タンクのガソリンも腐っているだろうし、ブレーキの部品もサビで完全に固まっているはずだ。
……今のカプちゃんは、ただの思い出の粗大ゴミだよ」
「そんなことないよ!」
想与香は思わず手にしていたグラスを置き、縁側で身を乗り出して立ち上がっていた。
「すっごく格好いいよ! 真っ赤で、丸い目で……あんなにステキな車、納屋で眠らせとくなんて勿体ない!
わたし、あの子がエンジンの音を立てて動くところ、どうしても見てみたいよ!」
想与香の熱い眼差しと真剣な声に、おじいちゃんは圧倒されたように目を丸くした。それから「参ったな」と言いたげに頭を掻き、目尻のシワを深めて苦笑した。
「そう言ってもらえて嬉しいけれどねぇ。
俺一人じゃもうとても直せないし、そんな体力も金もない……。
……ふーむ、そういえば」
おじいちゃんは白髪混じりのあごをさすりながら、何かを思い出したように言葉を続けた。
「瑞穂町の街道沿いに、俺の昔のラリー仲間だったやつの息子がやっている自動車整備ショップがある。
『篠塚モータース』というんだがね、そこの娘さんも優秀なメカニックでな。
俺には逆立ちしても直せないが、あそこなら診てもらえるかもしれん。
一度、動く可能性があるかどうかだけでも診てもらうか?」
「本当!? 行く! 診てもらいたい!」
想与香は膝を叩いて身を乗り出し、ぶんぶんと勢いよく頷いた。
「よしよし。そうと決まればさっそく連絡してみるが、今日はもう遅いからな。
夕飯を食べたら気をつけて帰りなさい。
ショップへの連絡や、カプちゃんを運ぶ手続きは俺が全部やっておくから」
「本当!? うん! おじいちゃん、ありがとう!」
想与香は満面の笑みを浮かべると、嬉しそうにおじいちゃんの手を固く握りしめたのだった。
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