第七話 私も少しだけ、嘘をつきます
翌朝。
「お姉様、おはようございます」
リリアはいつもと変わらぬ笑顔で食堂へやって来た。
「昨夜は眠れましたか?」
「ええ、おかげさまで」
エレノアも穏やかに微笑む。
昨日までと何も変わらない朝。
パンを切り分け、紅茶を注ぎ、三人で食卓を囲む。
夫のアレクシスは新聞を読みながら言った。
「来週、王都で建国祭がある」
「今年もずいぶん賑わいそうですね」
「夜会にも招待されている」
「お姉様、私楽しみです」
リリアが嬉しそうに微笑んだ。
「新しいドレスを着てもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
エレノアは迷わず頷いた。
「去年仕立てた薄紫のドレスが、とても似合っていたものね」
「ありがとうございます、お姉様!」
そのドレスも。
首元の真珠も。
髪飾りも。
全部、エレノアが贈ったものだった。
リリアは何一つ気付いていない。
エレノアがもう昔の姉ではないことに。
朝食後。
エレノアは老執事を執務室へ呼んだ。
「お願いがあります」
「何なりと」
「侯爵家の帳簿を持ってきてください」
「帳簿、でございますか」
「ここ三年分、すべて」
老執事は少し驚いたようだった。
侯爵家の財務は、結婚以来ずっとエレノアが管理してきた。
だがここ一年ほどは、アレクシスが「仕事が増えたから」と言って帳簿を自分の書斎へ置くようになっていた。
以前のエレノアなら気にも留めなかった。
夫婦なのだから、と。
しかし今は違う。
帳簿を開いた瞬間、違和感があった。
「……これは」
宝飾店への支払い。
高級香水店。
婦人服店。
どれも見覚えのない金額ばかり。
しかも支払日は、自分が領地へ視察に出ていた日と重なっている。
エレノアは静かに老執事を見る。
「私は、この宝石を受け取ったことがありますか?」
「いいえ」
「この香水は?」
「屋敷では一度も見たことがございません」
「そう」
もう答えは分かっていた。
その日の午後。
エレノアは町へ出ることにした。
「お姉様、お一人で?」
「ええ」
「私もご一緒します」
「今日はいいわ」
初めてだった。
リリアの申し出を断ったのは。
ほんの一瞬だけ。
リリアの笑顔が固まった。
「……そ、そうですか」
「帰りにあなたの好きなお菓子を買ってくるわね」
そう言うと、リリアはすぐ笑顔に戻った。
「はい!」
その笑顔を見ながら、エレノアは心の中で呟く。
(ごめんなさい。もう、あなたを信じられないの)
向かった先は、王都でも一番大きな宝飾店だった。
店主はエレノアを見るなり頭を下げる。
「侯爵夫人様。本日はどのようなご用件で」
エレノアは帳簿の写しを差し出した。
「この日に購入された品を見せていただけますか」
店主は帳簿を見て頷いた。
「ああ、侯爵様がお買い求めになった首飾りですね」
胸が痛む。
「どのような物でした?」
「大粒のサファイアをあしらった、大変美しい品でした」
サファイア。
私は青い宝石は苦手だ。
夫は知っている。
そして、リリアの好きな宝石だ。
「贈り物だと仰っていました」
「……そうですか」
「贈り物とは、なんとも羨ましいと話していたのですよ」
エレノアは微笑んだ。
「ええ」
嘘は言っていない。
あの首飾りは確かに贈り物だった。
私ではない誰かへの。
店を出ようとした時だった。
若い店員が店主へ声を掛ける。
「そういえば、あのお嬢様、お元気でしょうか」
「ああ、侯爵様とご一緒だった可愛らしい方か」
「とても仲の良いご夫婦だと思っていました」
エレノアの足が止まる。
店主が慌てて咳払いをした。
「お、おい」
若い店員はようやくエレノアに気付き、青ざめた。
「も、申し訳ございません!」
エレノアはゆっくり振り返る。
「そのお嬢様は、どのような方でしたか」
「え……」
「正直に教えてください」
店員は震えながら答えた。
「金色の髪で……淡い紫色の瞳の、とてもお綺麗な方でした」
リリアだった。
間違いない。
「侯爵様が首飾りをその場で着けて差し上げて……」
そこまで聞いて、エレノアは静かに目を閉じた。
もう十分だった。
店を出ると、空はよく晴れていた。
王都はいつもと何も変わらない。
行き交う人々の笑い声。
子どもたちのはしゃぐ声。
世界はこんなにも穏やかなのに。
自分だけが、まるで別の世界へ取り残されたようだった。
それでもエレノアは涙を流さない。
「……あと少し」
そう小さく呟く。
「あと少しだけ、待っていてください」
その言葉が、誰に向けられたものだったのか。
父なのか。
過去の自分なのか。
それとも、裏切った二人なのか。
エレノア自身にも分からなかった。
ただ一つ分かっていることがある。
反撃の日は、もう近い。
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