第四話 はじめての嘘
「お姉様、お加減はいかがですか?」
朝から少し熱っぽく、私は自室で休んでいた。
医師は「季節の変わり目です」と言っていたが、身体が重く、頭もぼんやりする。
「大丈夫よ。少し眠れば治るわ」
「では、お薬をお持ちしますね」
リリアは心配そうな表情で部屋を出ていった。
その背中を見送りながら、私は思う。
本当に優しい子。
あの子が妹でいてくれて良かった。
昼過ぎ。
目が覚めると、部屋には誰もいなかった。
喉が渇き、自分で水を取りに行こうと廊下へ出る。
屋敷は静かだった。
執事たちは来客の対応で忙しいらしい。
私はゆっくり歩きながら、中庭へ続く回廊を通った。
すると。
「……義兄様」
聞き覚えのある声。
リリアだった。
柱の陰からそっと覗くと、庭園の東屋で夫と向かい合って座っている。
二人とも穏やかに笑っていた。
仕事の話かしら。
そう思った、その時。
夫がリリアの髪に落ちた花びらを、そっと指先で払った。
あまりにも自然な仕草だった。
私は思わず足を止める。
夫は昔から気遣いのできる人だ。
だから、それだけ。
それだけなのに。
胸の奥で、小さな何かが軋んだ。
「お姉様!」
リリアがこちらに気付き、慌てて立ち上がる。
「どうして起きてこられたのですか?」
「少し良くなったから……」
夫も立ち上がった。
「まだ休んでいたほうがいい」
「ええ。でも水を飲もうと思って」
「それなら誰かに言えば良かったのに」
二人とも、まるで悪いことを見られた子どものような表情だった。
そんなはずはない。
きっと私の気のせい。
私はそう思い込むことにした。
夕方。
部屋へ戻ると、机の上に一冊の本が置かれていた。
『王都の名庭園』
私が以前から欲しいと言っていた本だ。
「旦那様からでございます」
侍女が嬉しそうに教えてくれる。
「お見舞いですって」
私は思わず頬を緩めた。
やっぱり考えすぎだった。
あの人は優しい。
リリアだって、私を心配してくれている。
疑うなんて最低だ。
その夜。
眠れずに廊下を歩いていると、一階から物音が聞こえた。
書斎の灯りがついている。
夫はまだ仕事をしているのだろうか。
私は温かい飲み物でも淹れようと厨房へ向かった。
そこで、年配の料理長と下働きの少女が話している声が耳に入る。
「また旦那様とリリア様が一緒だったそうですね」
「しっ!」
料理長が慌てて少女を小声でたしなめる。
「滅多なことを言うんじゃない!」
「でも、使用人の間では……」
「奥様に聞こえたらどうする!」
「ご、ごめんなさい!」
私は思わず立ち止まった。
二人は私に気付くと、顔色を変えて深く頭を下げる。
「奥様!」
「今の話は何?」
少女は青ざめたまま黙り込む。
料理長が代わりに答えた。
「大した話ではございません」
「でも……」
「屋敷の者の噂話など、聞かれるだけ無駄でございます」
そう言って話を終わらせてしまった。
部屋へ戻っても、その言葉が頭から離れなかった。
『使用人の間では……』
彼らは何を知っているの?
どうして誰も教えてくれないの?
翌朝。
私は老執事を呼んだ。
「あなたに一つだけ聞きます」
「はい」
「アレクシス様とリリアについて、何か知っていますか?」
「…………」
老執事は長い間黙っていた。
そして苦しそうに目を伏せる。
「……奥様」
「正直に答えて。お願い」
老執事は震える声で言った。
「私は、証拠のないことを申し上げるつもりはございません」
その答えは、否定ではなかった。
私は初めて、自分の胸の奥にあった小さな違和感を認める。
――もしかしたら。
私は、とても大きな何かを見落としているのではないか。
その日の午後。
夫から一通の手紙が老執事から渡された。
『急な仕事で今夜は帰りが遅くなる。先に休んでいてほしい』
短い文だった。
私は何気なく窓の外へ目を向ける。
すると、裏門から一台の馬車が静かに屋敷を出ていくのが見えた。
御者席には侯爵家の紋章。
そして、カーテンがわずかに揺れた車内には
——寄り添う男女の影が映っていた。
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