第三話 信じたい人
春の訪れとともに、侯爵家では王都でも名高い春の夜会が開かれることになった。
侯爵家当主であるアレクシスが主催し、多くの貴族や商人が集う一大行事。
準備は数週間前から始まっていた。
「お姉様、この招待状はこちらへお持ちしますね」
「ありがとう」
「こちらのお花は応接間へ飾ります」
「ええ、お願い」
リリアは誰よりもよく働いた。
使用人たちへの指示も的確で、気遣いも忘れない。
「リリア様がいてくださると本当に助かります」
そんな声を耳にするたび、私は嬉しくなった。
妹が認められている。
それだけで十分だった。
夜会当日。
私は侯爵夫人として来客を迎え、夫は貴族たちと挨拶を交わす。
リリアも淡い桃色のドレスをまとい、招待客たちと言葉を交わしていた。
「あちらのお嬢さんは?」
「侯爵夫人の妹君ですよ。」
「まあ、お美しいこと」
「仲の良い姉妹だそうですよ」
聞こえてくる噂話に、私は思わず笑みを浮かべた。
母には申し訳ないけれど、私はこの光景が好きだった。
婚外子だからと蔑まれることなく、リリアが堂々と笑っている。
父もきっと喜んでいるだろう。
夜会も終盤に差しかかった頃だった。
「奥様」
古くから侯爵家に仕える老執事が、小さな声で私を呼び止めた。
「少々、お耳に入れたいことがございます。」
「どうしたの?」
彼は周囲を気にしながら声を潜める。
「……旦那様とリリア様のお姿をお見かけしません。」
「え?」
「先ほどから、どちらも会場にいらっしゃらないのです」
私は時計を見る。
確かに、開宴から二時間ほど経っている。
夫は主催者だ。
姿が見えないのは珍しい。
「仕事の話でもしているのでしょう」
そう答えると、老執事は何か言いたげな表情を浮かべた。
「ですが……」
「心配いらないわ」
私は笑った。
「二人とも責任感の強い人だもの」
老執事は深く頭を下げ、それ以上は何も言わなかった。
夜会が終わり、客を見送る頃。
夫がようやく姿を現した。
「すまない、急な商談が入ってね」
「お疲れ様でした」
その少し後に、リリアも戻ってきた。
「ごめんなさい、お姉様。少し気分が悪くなって休んでいました」
「そうだったの?」
「はい。ご迷惑をお掛けしました」
顔色は少し赤い。
緊張して疲れたのだろう。
私はそう思った。
数日後。
王都で一番親しい友人である伯爵夫人クラリスが、お茶に誘ってくれた。
他愛ない話で笑い合っていた時だった。
クラリスが少し言いづらそうに口を開く。
「エレノア……怒らないで聞いてくれる?」
「もちろん」
「最近、あまりアレクシス様とリリアさんを二人で外へ出さないほうがいいかもしれないわ」
「どうして?」
「その……」
クラリスは紅茶へ視線を落とした。
「王都で、アレクシス様と一緒に歩いている姿を見たという話を耳にしたの」
私は思わず笑ってしまった。
「ふふっ、仕事の付き添いでしょう」
「そうかもしれない。でも……」
「リリアは私の妹よ」
私は迷いなく言った。
「それに、彼はそんな人じゃないわ」
「そう……そ、そうよね」
クラリスは何も返せなかった。
帰りの馬車の中。
窓の外を流れる街並みを眺めながら、私は少しだけ考えた。
確かに最近、夫とリリアはよく一緒にいる。
でも、それは家族だからだ。
私が二人を近づけた。
私が「義兄と義妹として仲良くしてほしい」と願った。
だから今さら疑うなんて失礼だ。
そう結論づけると、不思議と胸のもやもやは消えた。
その夜。
屋敷へ戻ると、書斎から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
夫とリリアだろう。
私は扉を開けようとして、ふと立ち止まる。
今日くらいは邪魔をしないでおこう。
そう思って踵を返した、その時だった。
「……ありがとう」
夫の声。
続いて聞こえたリリアの小さな声は、扉越しでよく聞き取れなかった。
けれど最後の一言だけは、はっきり耳に届いた。
「私、お姉様には絶対に知られたくありません」
その言葉に、胸が小さくざわついた。
だが次の瞬間、私は自分で首を振る。
きっと私の誕生日の準備でもしているのだろう。
そう思い込むことにした。
――この時もまだ、私は二人を信じることしかできなかった。
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