番外編 リリアのその後 第8話「全ては子供のため」
本日2話更新!
1話目は17時更新!
アレクシスが部屋を出ていった後。
リリアはしばらく、閉じられた扉を睨んでいた。
「……どうして」
ぽつりと呟く。
「どうして私ばかり……」
胸の奥が、もやもやする。
自分は何も悪いことをしていない。
茶会だって、皆と仲良くなりたかっただけ。
贈り物だって、侯爵夫人として恥ずかしくないようにしただけだ。
それなのに。
アレクシスは、まるで自分が無駄遣いをしているかのように言う。
「……おかしいわ」
リリアはソファへ腰を下ろした。
そして、ゆっくりと自分のお腹へ手を当てる。
「私は、この子の母親なのよ」
まだ大きく膨らんではいない。
けれど。
確かに、この中には命がある。
「この子を守るのも、この子が生まれた後に困らないようにするのも……私の役目じゃない」
そこで、リリアは少し考えた。
「……アレクシス様の役目でもあるわよね」
すぐに答えが出た。
自分は母親。
アレクシスは父親。
そして侯爵。
ならば。
侯爵家の財産を管理するのはアレクシスの仕事だ。
「だったら……」
リリアは少しだけ笑った。
「私が気にする必要なんてないじゃない」
自分がどれだけ使っても。
アレクシスが必要なら止めればいい。
止めないということは、払えるということだ。
リリアにとっては、それだけの話だった。
翌朝。
「奥様、お食事をお持ちいたしました」
「いらないわ」
「ですが、今はお身体のためにも――」
「お腹が空いていないの」
リリアはベッドの上でそっぽを向いた。
侍女は困ったように立っている。
「昨夜もあまり召し上がっておられませんでしたので……」
「じゃあ、果物だけ置いていって」
「かしこまりました」
侍女が皿を置く。
リリアは一つだけ葡萄を摘まんだ。
「……ねえ」
「はい」
「私、何か間違っているのかしら?」
突然の問いに、侍女は答えに詰まった。
「……奥様」
「正直に言って」
「……」
「私は侯爵夫人よね?」
「はい」
「だったら、侯爵夫人らしくするのは当然でしょう?」
「……はい」
「それなのに、どうしてアレクシス様は私を責めるの?」
侍女は目を伏せた。
「旦那様が奥様を責めているわけでは……」
「でも、アレクシス様は怒っていたわ」
「旦那様は、侯爵家の財政を心配されているのかと……」
「だから、それがおかしいのよ」
リリアは葡萄を口へ運ぶ。
「侯爵家なのよ?」
「……」
「お金がなくなるような家じゃないでしょう?」
侍女は答えなかった。
「お姉様がいた頃だって、何も困っていなかったじゃない」
その言葉に。
侍女の指が僅かに動いた。
確かに。
何も困ってはいなかった。
だが。
それは、何もしていなかったからではない。
エレノアが。
毎日。
毎月。
何年も。
細かな数字を確認し続けていたからだ。
「……奥様」
「何?」
「以前、エレノア様がなさっていたことを、少しでもご覧になったことはございますか?」
「え?」
「帳簿や領地からの報告書などを……」
「そんなもの、見たことないわ」
リリアは即答した。
「だって、難しいでしょう?」
「……」
「お姉様はそういうのが好きだったんじゃない?」
「好き……」
侍女は思わず呟いた。
「ええ」
リリアは頷く。
「数字とか書類とか。ああいうのが好きだったから、ずっとやっていたんでしょう?私、活字が苦手なの。見てるだけで嫌になっちゃうわ」
侍女は何も言えなかった。
それ以上、何を説明しても。
きっとリリアには伝わらない。
「それより」
リリアが身を起こす。
「今日、外へ出るわ」
「……外出でございますか?」
「ええ」
「ですが旦那様から、しばらく不要不急の外出は控えるようにと――」
「聞いているわ」
「でしたら……」
「別に不要不急の外出をするわけじゃないもの」
リリアは立ち上がった。
「ちょっと見に行くだけよ」
「どちらへ?」
「子供用品を見に行くの」
侍女は目を見開いた。
「お子様の?」
「そうよ」
リリアはお腹を撫でる。
「この子のために必要なものを揃えなくちゃ」
「ですが……」
「何?」
「旦那様にご相談されてからの方が……」
「どうして?」
リリアは不思議そうに首を傾げた。
「子供のものなのよ?」
「……」
「私が母親なんだから、私が選んで何が悪いの?」
「それではこちらに商品を持って来るよう……」
「お店丸ごと持って来させるつもり?私はこの子のために全ての商品を自分の目で見たいの!」
侍女は何も言えなくなった。
その日の昼。
リリアは王都の高級子供用品店「ゴ・マースリ」を訪れていた。
「まあ……!」
店内に並べられた品々を見て、リリアの目が輝く。
「こんなにあるのね!」
「はぁい。最近では王侯貴族の皆様もこちらでお求めになることが多く――」
店員が説明する。
「こちらは王都でも最高級の乳母用家具でございます。はぁい」
「素敵!」
「こちらは特注の揺り籠でございます。はぁい」
「これも!」
「お子様用のお部屋には、こちらの絨毯を敷かれる方も多く――」
「それも必要ね」
「こちらの天蓋付きの寝台も人気でございます。はぁい」
「それもお願い」
侍女の顔が引きつった。
「奥様……」
「何?」
「本当にすべて必要でしょうか?」
「必要よ」
リリアは当然のように答えた。
「この子のためなんだから」
「ですが、まだご出産までは……」
「だから私が動ける今のうちから準備するのよ」
「……」
「それに」
リリアは店内を見渡す。
「侯爵家の跡継ぎになる子なのよ?」
その一言で。
店員の顔に笑みが浮かんだ。
「まあ、それでしたら……こちらも大変おすすめでございます。はぁい」
奥から別の商品を持ってくる。
「最高級の銀食器でございます。お子様が成長された後も長くお使いいただけます。はぁい」
「まあ、素敵」
「さすが奥様、お目が高い。こちらの品も非常に人気がございまして――」
「それもいただくわ」
「ありがとうございます。はぁい」
「他には?」
「こちらの記念用の宝飾品なども……」
「見せて」
侍女は頭を抱えた。
だが。
リリアは止まらない。
「これは?」
「お子様の誕生を記念するペンダントでございます。はぁい」
「素敵ね」
「母子お揃いにされる方も多く――」
「それにしましょう」
「ありがとうございます。はぁい」
そして。
「奥様、お子様用のおもちゃも――」
「もちろん」
「絵本や知育玩具もございます。はぁい」
「それも」
「乳母の衣装も――」
「必要ね」
「お部屋の壁紙も特注できます。はぁい」
「それもお願い」
次々と注文が決まっていく。
店員は笑顔を崩さない。
当然だ。
リリアは非常に気前の良い客だった。
「では、こちらの請求は――」
「侯爵家へお願い」
「かしこまりました」
その瞬間。
侍女が思わず口を挟んだ。
「奥様!」
「何よ?」
「旦那様にご相談されていないものまで……」
「子供のためでしょう?」
「ですが――」
「私が勝手に自分の宝石を買っているわけじゃないのよ?」
リリアは少し苛立ったように言った。
「全てこの子のためなの」
「……」
「それとも、あなたはこの子に粗末なものを使わせろと言うの?」
「そんなことは……」
「だったらいいでしょう?」
リリアは笑顔を作った。
「アレクシス様だって、きっと分かってくださるわ。なんと言っても自分の跡継ぎが使うものなんですから」
侍女は黙った。
その言葉が。
自分自身を安心させるためのものだと。
なんとなく分かってしまった。
夕方。
侯爵家へ戻ると。
玄関には大量の荷物が届いていた。
「まあ!」
リリアが嬉しそうに声を上げる。
「もう届いたの?」
「奥様……」
買い物に同行していなかった侍女が青ざめる。
「何?」
「こちらは……」
執事が現れた。
「奥様、お戻りになりましたか」
「ええ」
「少しお話がございます」
「何?」
執事は一枚の書類を差し出した。
「本日のご購入分についてでございます」
「ええ」
「こちらの支払いについてですが――」
「侯爵家に請求してちょうだい」
「……すでにそのように手配されております」
「なら問題ないでしょう?」
「問題がございます」
「何が?」
執事は静かに答えた。
「旦那様より、社交関係に関わらず今後の高額な購入については事前承認を取るようにとの指示が出ております」
「……」
リリアの笑顔が消えた。
「でも、これは子供のためよ。それもアレクシス様の子供のためよ?」
「はい」
「なら、問題ないでしょう?」
「旦那様の指示では、理由にかかわらず事前承認が必要となっております」
「……」
「今回のご購入分につきましても、旦那様へ報告させていただきます」
リリアの顔が赤くなった。
「……どうして?」
「奥様?」
「どうして私がいちいち許可を取らなきゃいけないの?」
「侯爵家の財産でございますので」
「私は侯爵夫人なのよ!」
声が響く。
「私が子供のために必要だと思ったものを買って、どうしていちいち許可をもらわなきゃいけないの!」
「……」
「この子はアレクシス様の子供なのよ!」
「承知しております」
「だったら!」
リリアはお腹へ手を当てた。
「父親なら、子供のためにお金を使うくらい当然でしょう!」
執事は静かに頭を下げた。
「その点につきましては、旦那様も同じお考えかと存じます」
「なら――」
「ですが」
執事は続けた。
「必要なものと、そうでないものを分ける必要がございます」
「……何よ、それ」
「以前のエレノア様は――」
「またお姉様!もう聞き飽きたわ!」
リリアが叫んだ。
執事は黙った。
「どうして何でもお姉様なの!」
「……申し訳ございません」
「私はお姉様じゃない!」
「はい」
「私はこの子の母親なの!」
「……はい」
「だったら私の好きにさせて!」
リリアはそのまま自室へ戻っていった。
その夜。
アレクシスのもとへ、購入品の一覧が届いた。
「……」
一枚。
二枚。
三枚。
ページをめくる。
揺り籠。
寝台。
銀食器。
絨毯。
壁紙。
玩具。
母子お揃いの宝飾品。
「……子供のため、か」
アレクシスは椅子へ深く腰を下ろした。
確かに。
子供には必要なものがある。
将来のために準備することも悪くない。
だが。
これは違う。
一つ一つを見れば高品質な品ばかりだ。
しかし。
必要最低限という考えがまるでない。
「……」
ふと。
エレノアの記録を思い出す。
かつて。
領地で子供向けの施設を整備した際。
エレノアは何度も業者と打ち合わせをしていた。
安いからという理由だけでもない。
高いからという理由でもない。
必要な品質。
維持費。
耐久性。
将来の修繕。
すべてを計算していた。
「……エレノアには」
アレクシスは小さく息を吐いた。
「何を買うにも、理由があったんだな」
今まで。
そんなことを考えたこともなかった。
侯爵家に金がある。
だから必要なものは買える。
そう思っていた。
だが。
金があることと。
金を使っていいことは。
同じではない。
「……」
アレクシスは購入一覧を閉じた。
そして。
もう一枚の書類へ目を向ける。
そこには。
最近の侯爵家の収支予測が書かれていた。
「……まずいな」
思わず呟く。
今すぐ破綻するわけではない。
だが。
このまま余計な支出が増え続ければ。
数年後には領地経営にも影響が出る。
そして何より。
リリアには、それを理解しようとする様子がない。
「……一度、きちんと話さなければならない」
アレクシスはそう決めた。
今度は。
感情で流すわけにはいかない。
侯爵として。
父親として。
そして。
先祖から受け継いだものを守る者として。
一方。
リリアは自室で、お腹を撫でていた。
「大丈夫よ」
小さく笑う。
「全部、あなたのためだから」
机の上には。
「ゴ・マースリ」のカタログが並んでいる。
まだまだ欲しいものはあった。
子供用の馬車。
記念の肖像画。
生まれた日の記念品。
将来のための宝石。
そして。
「……そうだわ」
リリアの目が輝く。
「この子が生まれたら、お披露目のパーティーをしなくちゃ」
茶会は禁止された。
けれど。
出産祝いなら。
きっとアレクシスも反対しない。
侯爵家の跡継ぎが生まれるのだ。
盛大に祝うのが当然だ。
「今度こそ……」
リリアは鏡を見る。
「皆に私を認めさせるの」
その顔には。
もう迷いはなかった。
「この子が生まれれば、みんな私を見るようになるわ」
エレノアではなく。
誰よりも自分を。
「私は侯爵夫人なんだから」
リリアは笑った。
けれど。
彼女がまだ知らないことが一つあった。
その子が生まれることは。
リリアにとって最後の切り札になるどころか。
彼女が侯爵家に残れるかどうかを左右する、大きな転機になるということを。
そして。
その時、アレクシスが下す決断は――。
リリアが今まで一度も想像したことのないものになる。
感想、レビュー、☆、励みになります(小躍りします)




