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【完結】妹として迎えた婚外子が、私から夫まで奪いました  作者: モーヒアス


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番外編 覆水盆に返らず

「……本当に、エレノアなのか」


 アレクシスは港町で足を止めた。

 王命により、ヴァルハイム王国へ視察に来ていた。

 現在、交易相手として急成長している国。

 その成功の中心にいるのが、かつて自分が捨てた妻だと聞いてもどこか現実味がなかった。


(王太子妃になったなど、誇張だろう)


 そう思っていた。

 だが。

 港へ着いた瞬間、その考えは砕け散る。


「王太子妃殿下!」

「おはようございます!」

「この前のお菓子、美味しかったです!」


 市場の人々が次々と笑顔で声を掛ける。


 その中心にいたのは……一人の女性。


 淡い青のドレスを身にまとい、子どもと同じ目線で話し、魚屋の主人と笑い合っている。

 間違いない。

 エレノアだった。

 だが、侯爵夫人だった頃とはまるで違う。

 肩の力が抜け、心から笑っていた。


「なんてたくさんの魚なの!今日は大漁だったのですね!」

「ええ! 殿下の提案のおかげですよ!」

「いいえ……」


 エレノアは困ったように笑う。


「皆さんが毎日頑張ってくださるからです」


 その言葉に、魚屋の主人は照れくさそうに頭をかいた。

 アレクシスは思わず息を呑む。


(変わっていない)


 人を思いやる優しさは、昔のままだ。

 変わったのは。

 あの笑顔だった。

 あれほど自然に笑う彼女を、自分は一度も見たことがない。


 ……変わってしまったのは、私の方なのだ。


 その時、港の方から歓声が上がる。


「殿下だ!」

「王太子殿下!」


 一隻の船が着岸する。

 甲板から降りてきたウィリアムは、周囲へ笑顔で手を振るとそのまま真っ直ぐエレノアの元へ歩いてきた。


「お待たせしました」

「お帰りなさいませ」


 それだけ。

 それだけなのに。

 二人の間には、深い信頼が感じられた。

 ウィリアムは自然な仕草でエレノアの手を取り、小さく微笑む。


「今日は予定より早く戻ってこられました」

「それでは、一緒に市場を回れますね」

「はい」


 エレノアの笑顔が、さらに柔らかくなる。

 アレクシスは、その光景から目を離せなかった。

 かつて自分は、一度もあんな笑顔を引き出せなかった。

 いや。

 引き出そうともしなかった。


「おや」


 案内役がアレクシスの視線に気付く。


「毎日です……」

「え?」

「毎日ああなのですよ」


 案内役は微笑む。


「殿下は公務から戻られると、必ず王太子妃殿下と港を歩かれます」

「忙しくても?」

「はい。今日はどんなことがあったのか、お互い話しながら歩かれるそうです」

「……毎日」


 アレクシスは呆然と呟いた。

 案内役は穏やかに笑う。


「ええ。どれほどお忙しくても、殿下は王太子妃殿下と港を歩かれます。今日あった出来事をお互いに話しながら、一緒に帰られるそうですよ。王太子妃殿下も、その時間が一番楽しみだと仰っていました」


 何気ない言葉だった。

 だが、その一言が胸に深く突き刺さる。


(私は……)


 毎日、そんな時間を作ったことがあっただろうか。

 仕事を理由に帰りが遅くなることは珍しくなかった。

 帰宅しても執務室へ向かい、エレノアと顔を合わせても短い挨拶だけ。

 それでも彼女は笑顔で迎えてくれた。


『お帰りなさいませ。お疲れでしょう。お食事をご用意しております』


 いつも変わらない笑顔だった。

 それなのに、自分は。


『……ああ、後で食べる』


 その一言で終わらせることが増えていった。


 ありがとう。

 今日も助かった。


 その言葉すら口にしなかった。


 いつからだ。

 ……いや。

 違う。

 分かっていた。

 最初から、分かっていた。

 エレノアが誰より家を……私を支えてくれていることも。

 使用人たちが彼女を慕っていることも。

 領地が安定していたのが彼女のおかげだということも。

 全部知っていた。

 それでも。

 若く、甘えてくれるリリアが愛おしかった。

「自分だけを見てくれる」という心地よさに酔った。

 エレノアは何も言わない。

 だから後回しにした。

 どうせ待っていてくれる。

 どうせ許してくれる。

 そう思っていた。

 優しさに甘え続けた。

 

 あの頃の自分は、本当に愚かだった。


 


 その夜。

 宿へ戻ったアレクシスは、窓辺へ腰を下ろした。

 一枚の紙を取り出す。

 リリアとの暮らしが壊れ始めた頃から。

 気付けば、これだけは捨てられなかった。

 なぜ持ち歩いているのか、自分でも分からない。

 それでも捨てられなかった。



 エレノアとの離縁届の写し。




 あの日、自ら署名したものだった。

 指先でゆっくりとなぞる。

 紙は少し黄ばんでいた。

 それだけの時間が過ぎたということだ。


「……何を、失った」


 乾いた笑みが漏れる。


「私は……」


 思い出す。

 あの日の自分。

 リリアと新しい人生を歩める。

 そう思い込んでいた。

 エレノアを失っても困らないと、本気で考えていた。

 エレノアが去り、リリアとの生活もうまくいかなくなった頃。

 私は、愚かにも考えていた。


「……リリアのお腹に、あの子さえいなければ」


 そうすれば。

 リリアとはきっぱり別れられる。

 そして、今ならエレノアも許してくれるのではないか、と。


 何という身勝手な考えだったのだろう。

 自分が裏切った。

 自分が離縁届に署名した。

 自分がエレノアの心を踏みにじった。

 その事実から目を逸らし、全てを一人の子どもの存在のせいにしようとしていた。


 生まれてもいない命にまで責任を押し付けようとした。

 子供は何も悪くなかった。

 当たり前だ。

 悪かったのは、全て私だ。

 あの時の私は、父親になる資格すらなかった。


 そして今、ようやく分かる。

 仮にリリアのお腹に子どもがいなかったとしても。

 エレノアは、もう私を選ばなかった。

 

 私は誰一人、幸せにしようとはしていなかった。

 欲しかったのは責任ではない。

 ただ、自分に都合のいい未来だけだった。

 だからエレノアを傷付けた。

 だからリリアまで不幸にした。

 全ては、自分の弱さが招いた結果だった。

 震える指で、離縁届をもう一度なぞる。


「今さら謝りたいなどと願うことさえ、彼女には迷惑なのだろうな」


 あの日。

 失ったと思っていたのは、有能な妻だった。

 違う。

 失ったのは。

 毎日「お帰りなさい」と笑って迎えてくれる人。

 どんな時でも、自分の味方でいてくれる人。

 疲れて帰れば温かい食事を用意し。

 失敗すれば黙って隣に座り。

 成功すれば、自分のことのように喜んでくれる人。

 人生を共に歩いてくれる、たった一人の伴侶だった。

 あの日、失ったのは妻ではない。

 私を信じてくれていた、彼女の心だったのだから。


 それを。

 自分は……自分の欲望で手放した。

 誰かに奪われたわけではない。

 騙されたわけでもない。

 自分で選び、自分で壊した。


「……馬鹿だった」


 ぽつりと呟く。

 返事はない。

 もう、その言葉を聞いてくれる人はいない。

 窓の外では、王城の灯りが海を優しく照らしていた。

 その灯りの下には、今もきっと二人がいる。

 互いを信じ、互いを想い、笑い合いながら歩いている。

 本来なら、自分が守ると誓った笑顔だった。

 だが、その資格はもうない。

 失ったものは、二度と戻らない。

 その事実だけが、一生消えることのない罰として、胸に残り続けるのだった。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!


『エレノアの恋』は「完」で締めたのですが、投稿したあとに「あっ……アレクシスとリリアのその後を書いてない!」と気付きました笑


このまま終わるのは自分でも落ち着かないので、現在その後の番外編を急いで執筆しています。


エレノアたちの物語は一区切りですが、もう少しだけお付き合いいただけたら嬉しいです。


引き続きよろしくお願いいたします!

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― 新着の感想 ―
ようやく屑元夫の後悔が聞けてよかったーーーヽ(;▽;)ノ そうだ!もっと後悔しろ! 妹は腹違いの姉が隣国の皇太子妃になったて聞いたら発狂するかな??しかもめちゃくちゃ幸せそうな噂……。 姉みたいになり…
 リリアはともかく、せめて子供はちゃんと幸せにしろ。
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